矢沢永吉の若い頃は貧乏、デビュー前はバイト生活。生い立ちが壮絶&生まれは広島

日本のカリスマロックシンガーとして君臨する矢沢永吉(やざわえいきち)さん。

デビュー後50年以上にわたって音楽界を牽引してきたビッグスターですが、若い頃はとても貧しく、人並み以上に苦労したといいます。

今回は、デビュー前の矢沢さんに焦点を当てつつ、繰り返し流布されるあの噂についても調査しました。

矢沢永吉のプロフィール

愛称:永ちゃん、ボス、世界のYAZAWA、ロック界の神様

本名:矢沢永吉(やざわえいきち)

生年月日:1949年(昭和24年)9月14日

身長:180cm

出身地:広島県広島市仁保

最終学歴:私立広島電機大学附属高等学校卒業

所属事務所:GARURU RECORDS(レーベル)

矢沢永吉の若い頃は貧乏!デビュー前はアルバイト生活

矢沢永吉さんは、1972年にロックバンド「キャロル」を結成し本格的に音楽活動を開始したことが広く知られています。

活動期間は僅か3年でしたが、ファンの間では伝説のバンドとして語り継がれてきました。

矢沢さんは、そんなキャロルの結成以前から音楽活動をしていたそうで、複数のバンドを渡り歩いてきたといいます。


きっと、メジャーデビュー前に組んでいたそれらのバンドでも大人気で、大勢のファンからキャーキャー言われていたのだろうと思いきや、どうも、そういうわけではなかったようです。

公式サイトによれば、「ザ・ベース」や「イーセット」というバンドを結成しバーやクラブでライブを行っていたといいます。

しかも、酔った客に因縁をつけられたり、ライブ中にタバコなんかを投げつけられることもよくあったのだとか。

レストランなどでアルバイトをしながら、酒場やクラブで「ザ・ベース」や「イーセット」といったバンドを結成してはライヴを行う日々…

そんなバンド活動の傍らで、レストランなどでアルバイトをしながら生活していたということなのですが、この「レストランなど」というのが結構過酷な労働環境だったらしいのです。

なんでも、住み込みで働いていたらしく、非人道的な「タコ部屋労働」のようだったと伝えた週刊誌もありました。

少年時代からビートルズに憧れていたという矢沢さんは、高校を卒業してすぐに「ビッグになる」ことを夢見て夜行列車で東京へ向かいます。

しかし、横浜に差し掛かった時にビートルズの出身地として有名な港町「リバプール」を思い出し、同じ港町である横浜で途中下車。

そして、最初にアルバイトとして働いたのが横浜・日ノ出町にあった「喫茶・タクト」という店だったんだとか。

ここは「タクトビル」という建物で、数年前まではゲームセンターが入居していたものの、ほぼ当時のままの外観だったそうですが、今はもう建て替えられてしまいました。

矢沢さんが横浜で最初に組んだというバンド「ザ・ベース」は、この「喫茶・タクト」で練習をしていたそうです。

その頃、タクトビルにはスナックやお好み焼き店も入居していたそうなので、音楽一色でオシャレな雰囲気というわけではなかったようですね。

やがて矢沢さんは、横浜中華街に流れていったということです。

その後、「ヤマト」というバンドを結成しましたが、これが横浜界隈では誰もが一度は聞いたことがあるというほど人気だったんだとか。

矢沢さん自身「メンバーと一緒に骨を埋めてもいい」ほどの覚悟と手ごたえを感じていたそうですが、時代の波に翻弄されてしまいます。


全世界が度重なる戦争によって疲弊していた当時、反戦的なメッセージをのせた音楽やフォークソングが一大ブームとなり、日本においてはロックが下火になってしまいました。

「ヤマト」がライブを行っていたディスコも相次いで閉店し、行き場を失った彼らは解散するしかなくなったそうです。

そんな若い頃の生活は苦しく、運送業のアルバイトなどもしたそうですが、家賃を払うことすら厳しい状態がしばらく続いたといいます。

矢沢さんはそれでも夢を諦められず、手書きで「バンドメンバー募集」と書いた紙をあちこちに貼って回ったんだとか。

それが内海利勝さん、大倉洋一さんの目にとまり伝説のバンド「キャロル」が結成されたということです。

矢沢永吉の生い立ちが壮絶

矢沢永吉さんは、これまでの自身の足跡を語ったことも多いです。

1978年に発売された自伝『成りあがり』では、幼少期から苦難の連続で壮絶な生い立ちだったことが明かされました。

矢沢さんは広島で生まれですが、3歳の頃に母親が失踪し両親は離婚したといいます。

さらに、小学校2年生の時に父親が亡くなりました。

1945年8月6日に投下された原子爆弾の被爆者だったということで、その後遺症が原因だったということです。

幼くして両親を亡くした矢沢さんは親戚の家に預けられますが、たらい回しに……。

結局、父方の祖母の家で育ちましたが、かなり貧しい生活で牛乳配達や新聞配達をしながら家計を助けたそうです。

生まれは広島なのに韓国人と噂

矢沢永吉さんは、自伝でも明かしている通り広島の生まれです。

にもかかわらず、彼が在日韓国人だという噂を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

一部のレイシストによって流布されている悪意が込められたもので、「官報」のものだとされる画像まで出回っています。

それによれば、趙永吉(チョ・ヨンギル)というのが本名で、1978年に日本に帰化したとされているのですが、ファンの間では官報の画像自体が捏造でありデマだといわれているようです。

本来、在日韓国人は運転免許証に韓国名の記載があるはずなのに、写真集やオフィシャルショップで公開されているという高校生の頃に取得したバイクの運転免許証が日本国籍となっていることが主な理由となります。

2022年4月1日より前までは日本に帰化できるのは20歳以上の者だと定められていたため、高校時代に日本名のみ記載がある免許証を取得した矢沢さんは、紛れもなく日本国籍だというわけです。

年齢が18歳以上(注)であって、かつ、本国の法律によっても成人の年齢に達していることが必要です。

それにしても、有名人に対する在日韓国人説はなにが目的なのか意味が分かりませんね。

もし、仮に在日韓国人だったとしたら、なんだというのでしょうか。


そもそも、どんなルーツを持っていたとしても同じ人間であり、その人が素晴らしい行いをしていれば人種や国籍は関係ありません。

レイシスト丸出しの馬鹿馬鹿しいデマに耳を傾ける必要はありませんね。

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