奇抜なビジュアルに加え、上品な言葉遣いで下ネタを連発する奔放なキャラクターでお茶の間を楽しませた塩沢とき(しおざわとき)さん。
トレードマークのメガネやサングラス、髪型はどんな理由で生まれたのでしょう。
テレビではいつも明るく、豪快に自分の体験を赤裸々に語っていた塩沢さんですが、何度もがんを患い、そのたびに生還したことでも知られています。
気になる死因や晩年のようすもみていきます。
塩沢ときのド派手で大きいメガネとサングラス
若い頃は東宝の美人女優として知られた塩沢ときさん。
超個性的な髪型とあけすけなトークで人気に火がついたのは80年代に入ってからで、なかでも『ライオンのいただきます』にはたびたびゲスト出演していました。
塩沢さんといえば、まず思い浮かぶのがインパクト大のビジュアルですね。
大きな頭に派手なメガネやサングラスは、もはやキャラクターの一部でした。
バラエティ番組出演をきっかけにメガネもサングラスもどんどん派手になり、コレクションは200本以上に。
じつにさまざまなメガネをかけてテレビに登場していましたが、共通していたのは大きなメガネということ。
当時メガネと言えば塩沢ときさんということで、メガネ洗浄剤メガネブクのCMにも起用されています。
塩沢とき効果からなのか、商品は大ヒットしたそうです。
同じく髪型が特徴的な黒柳徹子さんとはとても仲がよかったという塩沢ときさん。
『徹子の部屋』では髪型について話に花が咲いたことも。
晩年に入院していた時、塩沢さんはお気に入りだったスパンコールつきのメガネを黒柳さんにもらってほしいと話していたそうです。
のちにこのメガネは形見として黒柳さんへ届けられることになりました。
徐々に大きくなった髪型は発砲スチロールで制作
一度見たら忘れられない、塩沢ときさんの左右に張りだしたへアスタイル。
髪型も当初は控えめでしたが、やはりだんだん巨大化していきました。
人間の慣れとは恐ろしいものですね。
重くないのだろうか、と思った視聴者は筆者だけではなかったはず。
髪型はその人を表すとよくいいますが、この方の場合、もはや髪型の範疇を超越しているように思えて、どう解釈したらよいのか悩みます。
塩沢とき #昭和 pic.twitter.com/QqE4tHGpRv
— 昭和ツイートMAN大沼ユミ (@syouwa2014) March 12, 2014
説明によると、あの髪型は「中に発泡スチロールを詰めた特注品」とあり、「特注品」という表現から、おそらくかつらと思われます。
奇抜な髪型になったきっかけは、ある番組に出演する際、「お好きな恰好でどうぞ」と言われたことでした。
ご本人の言葉を借りると、「すごいお家から出てくる人に憧れていた」とのこと。
彼らのような恰好を一度してみたところ、気づいたら大きくなってしまっていたのだそう。
デヴィ夫人に憧れて髪型を真似たという説や、頭を傾けないとトイレに入れないという都市伝説のような話も存在します。
塩沢ときのさまざまな病歴、死因について
晩年は壮絶な闘病生活を送っていた塩沢ときさん。
2007年5月17日、79歳で帰らぬ人となりました。
死因はスキルス性胃がんです。
病歴を振り返ってみると、30歳で舌がんを発症して総入れ歯になり、57歳で右乳がん、71歳で骨粗しょう症、76歳で左乳がんと、若い頃からがんとの闘いを繰り返してきたことがわかります。
5月17日は塩沢ときの命日。
世代的には(再放送世代だけど)『レインボーマン』のイグアナ、『ライオンのいただきます』の面白おば様。その奔放なトークと奇抜な容姿の陰で度々の大病からその都度復活した不死身のファンキー婆ちゃんだった。#塩沢とき pic.twitter.com/XLutZih0Za— 迷人⍟Q太郎 (@qtarox007) May 17, 2017
最終的な死因はがんであったものの、舌がんや乳がんを三度克服した経験から「がんは治る」と発言していました。
この前向きなメッセージに、がん患者やその家族はどれほど勇気づけられたことでしょう。
がんは不治の病ではなく、治せる病気という印象を塩沢さんから受けた人も多かったのではないでしょうか。
塩座ときの晩年について
テレビ番組でみる奇抜なイメージと裏腹に、つましい生活を送っていたという塩沢ときさん。
自宅は借家住まいで、生涯独身でした。
過去の恋愛遍歴や性体験を赤裸々に披露し、恋多き淑女として知られていた女性にしては少し意外です。
亡くなる数か月前には、菩提寺がある長野県の霊園にお墓を建てていました。
墓石には本名ではなく、芸名の「塩沢とき」と刻まれているそうです。
お墓の形状は、まるで自身の髪型を模したような丸みのあるデザイン。
最後のテレビ出演は2005年5月12日放送の『徹子の部屋』でした。
黒柳徹子さんとは、何か特別な縁があったのかもしれませんね。
がんを何度も乗りこえてきたからこそ、生きることに真剣に向き合った塩沢ときさん。
奔放な恋愛もがんとの闘いも、おそらく全身全霊でぶつかっていたのでしょう。
あの個性的なトークがもう聞けないのは残念です。
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