小森和子の養女は晴子。若い頃の男性遍歴、アランドロンに忠告。死因と謎の晩年

「小森のおばちゃま」として親しまれ、そのキャラクターと独特の語り口がものまね芸人からもターゲットにされた映画評論家の小森和子(こもりかずこ)さん。

独身で子供もいない小森さんには養子縁組した養女がいました。

のちに養女は数億円の資産を使いこんだとしてバッシングを浴びることになりますが、はたして真相はどうだったのでしょうか。

若い頃からの奔放な男性遍歴やアランドロンさんとの逸話、死因と謎の晩年にも迫ります。

小森和子の養女による資産使い込み疑惑

バラエティ番組出演も多く、ご意見番として幅広い世代から愛された小森和子さん。

その訃報は多くの日本人を悲しませましたが、没後しばらくして、遺産の行方をめぐる不穏な噂がささやかれるようになりました。

約4億円といわれた資産がすっかりなくなっていたことから、養女の晴子さんが使い込んだのではないかとの疑惑が持ち上がったのです。


小森和子さんが晴子さんと出会ったのは72歳の時。

場所は六本木の「ココ」でした。

映画ファンが語り合う場所として、小森さんが開いたムービーサロンです。

「ココ」の従業員だった晴子さんは当時35歳で、夫と離婚して北海道から上京してきたばかり。

すでに母も他界して、身寄りがなかった晴子さんを小森さんは娘のようにかわいがったといいます。

最初のうちは、養女にならないかと誘われても丁重に断っていたという晴子さん。

ところが、小森さんのやけど事故にはじまる容態の悪化があり、親族になって小森さんを守ろうと考えた晴子さんは、介護をするために養子縁組を決意します。

小森さんの病状や資産にまつわる報道をメディアが続け、養女が財産を食いつぶしたと報じられても、晴子さんは沈黙を守りました。

ようやく真相を明かしたのは、小森さんが他界して9年がたった2014年のこと。

自身が肺気腫に侵され、命のあるうちに話しておきたいとの思いから、小森さんの晩年や資産の使途を明かしたのです。

預貯金や不動産など4億円の資産は、手術・入院費、在宅介護のためのバリアフリー化、介護士費用、さらに知人に持ちかけられた介護事業の失敗によりどんどん目減り。

資産が底をついた2005年に小森さんはこの世を去ったとのこと。

財産の使い道については小森さんの了承を得ていたそうです。

血のつながらない養母と養女の関係でも、二人の絆は実の親子以上に固かったのかもしれません。

少なくとも、孤独の中にいた晩年の小森和子さんを支え続けたのが晴子さんであったことは間違いないでしょう。

小森和子、若い頃のアランドロンに名作への出演を勧める

2017年にスクリーンからの引退を発表したアランドロンさん。

日本での人気も高く、レナウンのダーバンやマツダ・カペラのCMにも出演していましたね。

小森和子さんが初めてインタビューしたのは49歳の時でした。

場所はセーヌ川のほとりにあるドロンさんのアパルトマン。

彼は買ってきたばかりの花を部屋中にばらまき、カフェオレを淹れてくれたそうです。

しばらくしてスタジオで撮影中のドロンさんを訪ねると、「ルネ・クレマン監督から、この映画に出ないかって言われてるんだけど、どう思う?」と、1冊の台本を見せてくれたそう。

それが『太陽がいっぱい』でした。


フランス語が読めない小森さんは、「あの監督の作品なら、とにかく引き受けるべき」と即答。

アランドロンさんは、この1作で世界的なスターダムに登りつめることになります。

この時、もし小森さんが出演を勧めなかったら、あの名作は誕生していなかったのでしょうか。

若い頃のドロンさんが日本から来た映画評論家に信頼を寄せ、意見を求めたという事実にも驚かされますが、どんなストーリーかわからないままに出演すべきだとアドバイスした小森さんにも敬服してしまいます。

まさに武勇伝?小森和子の男性遍歴

恋愛と男性関係は生涯現役を宣言していたこともあって、若い頃から艶話が多かった小森和子さん。

自らの男性遍歴を躊躇せずにあっけらかんと告白してしまうところもこの方の特徴でした。

なかでも文芸春秋社の創設者・菊池寛の愛人だったことは有名な話です。

高等女学校卒業後は『婦人公論』編集部で見習い記者をしていた小森さん。

菊池寛に服や靴を買ってもらい、時にはお小遣をもらう生活がはじまりました。

ある日、小森さんは待合(ラブホテルのようなもの)に誘われます。

すでに待合は他の男性と何度も経験ずみでしたが、「どんなところなの?」と誘いに乗りました。

ところが小森さんのあっけらかんとした態度が文豪・菊池寛を萎えさせてしまいます。

食事にするか、お風呂にするかの質問に「お風呂!」と答え、さっさと服を脱いでしまった小森さん。

「きみはほんとに悲しいやつだね」と菊池寛はため息をつき、その日は何も起きなかったそうです。


このほかにも、文士では川口松太郎、檀一雄との火遊びも。

海外のスターではフランク・シナトラに迫られたこともあったそう。

ちなみに、小森和子さんは32歳の時にNHKの元会長の息子である小森一郎さんと結婚しており、48歳で離婚してからは独身を通していました。

小森和子の死因と謎の晩年

小森和子さんは2005年1月8日、呼吸不全で95歳の天寿を全うしました。

10年前にやけど事故を起こしてからは体の衰えを隠せなくなり、表舞台から姿を消して、自宅で療養生活を送っていたのです。

やけど事故は1995年3月のこと。

小森さんは自宅で転倒してしまい、運悪く顔のそばにヒーターがあり、立ち上がれないまま何時間も熱風に顔をさらすことに。

さらにパーキンソン病を発症し、認知症も悪化して、寝たきり状態になっていたそうです。

公の場に姿を見せたのは、1998年11月の淀川長治さんの葬儀に参列したのが最後でした。

この時の車椅子姿の小森和子さんを、メディアがセンセーショナルに報じています。


亡くなる直前は、話そうにも言葉がでない状態だったと伝えられています。

ジェームズ・ディーンの熱狂的ファンとして有名だった小森和子さん。

天国でジェームズ・ディーンに会えたでしょうか。

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