学生運動の指導者で有機農法実践家でもあった藤本敏夫(ふじもと としお)さん。
羽田闘争に参加し、反帝全学連の委員長も務めた活動家として、著作も多数残しました。
さらに歌手の加藤登紀子さんの夫としても知られています。
今回は藤本さんの恋人、彼女の情報を見ていきます。
また加藤さんとの馴れ初め、赤軍、左翼だったかも確認しましょう。
藤本敏夫のプロフィール
本名:藤本敏夫
生年月日:1944年1月23日
死没:2002年7月31日
身長:不明
出身地:兵庫県西宮市甲子園
最終学歴:同志社大学文学部新聞学科中退
藤本敏夫の恋人、彼女の噂
まず藤本さんの恋人、彼女を見ていきます。
恋人、彼女の存在については、2018年9月5日に放送された『梅沢富美男のズバッと聞きます!』で、加藤さんが激白。
藤本さんが晩年にがんと診断され、闘病生活を送っていた時期のこと。
主治医が「がん治療にいちばん効果的なのは、恋をすること」と言ったそうです。
驚くべきことに加藤さんは、その言葉を素直に受け入れ、夫の恋人探しを始めます。
しかしこの時、藤本さんには既に恋人がいたことが明らかになりました。
思いがけず浮気がばれてしまった形ですね。
さらに恋人は大物文化人だったとのこと。
2023年現在も大物文化人の正体は判明しておらず、様々な憶測が飛び交っているようです。
一体誰が、藤本さんの最後の彼女だったのか真相は不明のまま。
しかし加藤さんは平然と当時を振り返っていますから、特別気に留めていないのでしょう。
凡人の感覚では大物たちの気持ちを推測するのは難しいですね。
肝臓がんにより、2002年に58歳で亡くなった藤本さん。
有名歌手の妻と大物文化人の恋人に愛された、数奇な人生だったのでしょう。
藤本敏夫と加藤登紀子の結婚馴れ初め
次に藤本さんと加藤さんの馴れ初めを見ていきます。
1965年、東京大学文学部西洋史学科に在学していた加藤さんは、日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝。
翌年にプロデビューし、『赤い風船』で日本レコード大賞新人賞を受賞しました。
歌手活動が忙しく、6年在学することになった大学を卒業するのは68年。
当時、東大紛争真っただ中の東京大学では、卒業式ボイコットが実施されていました。
卒業式には振袖を着るようにという週刊誌の依頼を無視し、加藤さんはジーパンで式に出席します。
そのままジーパン姿の加藤さんが週刊誌に写るのですが、その記事に目をとめたのが藤本さんでした。
学生運動の指導者だった彼は、加藤さんに集会で歌うことを依頼します。
歌が政治に使われることを嫌がり断ったそうですが、これを機に交際が始まったそうです。
しかし72年4月、藤本さんは学生運動による公務執行妨害などで実刑を受け、中野刑務所に入りました。
収監の直前、加藤さんの方からプロポーズを実行。
しかし釈放まで待たせてしまうという理由で断られました。
それでも加藤さんの妊娠が発覚したことで、獄中結婚が実現したそうです。
学生運動の指導者との結婚を、周囲から猛反対されながらも、事務所の社長だった石井好子さんは賛成してくれました。
さらに母親も後押ししてくれたので、結婚を決意したといいます。
事務所社長と親御さんが理解してくれたのなら、心強かったことでしょう。
その後は3人の娘を産み、育て上げました。
72年に生まれた美亜子さんは、千葉県鴨川市で旦那さんとカフェを経営しています。
75年に生まれた次女の八恵さんは、Yae名義で母と同じ歌手の道を歩みました。
さらに2009年からは、両親が作り上げた「鴨川自然王国」に暮らしているそうです。
80年生まれの美穂さんは一般人のようですが、姉たちと同じく鴨川市に住んでいるのかもしれませんね。
藤本敏夫は赤軍、左翼だった?
最後に藤本さんが赤軍、左翼だったか見ていきます。
ネット上には藤本さんが赤軍だったという発言も見られました。
赤軍は極左集団として知られており、藤本さんを赤軍派とみなしていた人も当時からいたようです。
加藤は満州生まれ。
夫・藤本敏夫は反帝全学連委員長であり赤軍の革命家として活動。
公務執行妨害、凶器準備集合罪等で学生運動を指揮した罪を問われ3年8ヶ月実刑を食らいます。
加藤は周囲の反対を押し切り獄中結婚してます。
所謂、極左ですね。#連合赤軍#藤本俊夫#加藤登紀子 https://t.co/TIMYp7NC4a
— Jack (@Jack06877987) April 11, 2020
しかし実際には、藤本さんは赤軍派に属していません。
記者だった前田明さんによると、セクト主義に陥りがちな集団の中で、藤本さんは人間味を感じさせる稀有な存在だったそうです。
左翼だったことは間違いありませんが、極左、いわば過激なテロ思想を持つ人物ではなかったのでしょう。
実際赤軍派の人々が行動し、逮捕される顛末を、藤本さんは距離を置いて見ているだけだったようです。
極端な左翼思想と距離を置き、さらに加藤さんという伴侶に恵まれたことで、活動から遠ざかったのでしょう。
その後は大地を守る会初代会長に就任するなど、自然を守り、農業活動に専念するようになるのです。
赤軍と左翼は同じに思えるかもしれませんが、藤本さんは赤軍の人々に比べれば、温厚な人柄だったようです。
熱い時代を駆け抜け、最後は愛する人に囲まれ、悠々自適な生活を送ったのでしょう。


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