加藤登紀子の父、母について。国籍・家族構成まとめ。現在は千葉県在住?

「おときさん」の愛称で親しまれる加藤登紀子(かとうときこ)さん。
シンガーソングライターで女優、しかも東大出身と素晴らしい才能の持ち主です。

加藤登紀子のデビューのきっかけは父?

「知床旅情」、「百万本のバラ」などのヒット曲で知られる加藤登紀子さん。
東京大学出身ということ、ハイジャック事件に巻き込まれたことは有名ですよね。


加藤登紀子さんは大学在学中の1965年にシャンソンコンクールに出演。
見事優勝した事で翌年に「誰も知らない」で歌手デビューすると2枚目の「赤い風船」で日本レコード大賞の新人賞を受賞。

1969年に「ひとり寝の子守唄」、1971年には「知床旅情」で2度も日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。
また、1971年には紅白歌合戦にも出場するなど歌手としての地位を確固たるものとしました。

加藤登紀子さんが歌手デビューするきっかけとなったシャンソンコンクール。
実は加藤登紀子さんの父が書類を出したそうです。

戦前、戦中は南満州鉄道に勤務していた加藤登紀子さんの父。
終戦後、日本に戻るとレコード会社「日本マーキュリーレコード」に勤務していました。

同社では演歌歌手の藤島桓夫さんのマネージャーも担当。
また、美空ひばりさんのオーディションに立ち会ったこともあるそうです。
きっとレコード会社に勤めていたからこそ加藤登紀子さんの歌の才能にいち早く気が付いたのでしょうね。

加藤登紀子さんの父は1957年に東京の新橋にロシア料理店「スンガリー」をオープン。
1972年には京都に「キエフ」を開店。
「日本ロシア料理店協会」設立にも関わるなどロシア料理の普及に多大なる貢献をしています。

なお、加藤登紀子さんの父の名前は「津田幸四郎」。
1935年に母である加藤淑子さんと結婚し加藤姓を名乗るようになったそうです。

加藤登紀子の母どんな人?

京都の呉服商の娘として誕生した加藤登紀子の母、加藤淑子さん。
実家が呉服商という事でかなり裕福だったはず。

おそらく父が結婚後に加藤姓となったのも母の実家の影響だったのでしょう。

夫が徴兵された事で共に満州に渡った加藤淑子さん。
終戦後は収容所生活になるも毅然とした態度で日々を過ごしていたそうです。

帰国後は洋裁の仕事に就くも夫が「スンガリー」を開店した事でお店で働くように。
1992年に夫が亡くなってからは経営にも携わるようになりました。

夫と共に日本ロシア料理店協会の設立にも携わるなど精力的に活躍した加藤淑子さん。
2017年に老衰のため101歳で亡くなっています。

夫に尽くし身を粉にして働く昔ながらの日本人女性の心意気を持った加藤淑子さん。
加藤登紀子さんが今も芸能界の第一線で活躍し続けるのは加藤淑子さんの姿を見てきたからかも知れません。

加藤登紀子の国籍はどこ?

満州のハルビンで産まれた加藤登紀子さん。
終戦を迎え日本に帰国してからは京都で育ちました。

通常は産まれた国の国籍を取得しますが満州国は既にありません。
では加藤登紀子さんの国籍は一体どうなっているのでしょうか。

調べてみると満州国で産まれた場合は満州国の大使に届け出る事で日本の戸籍に登録される流れになっていた事が分かりました。
そのため加藤登紀子さんの国籍は日本だと思われます。

加藤登紀子の家族構成は?

東大在学中に歌手デビューし人気を博した加藤登紀子さん。
高校卒業後ストレートで東大に合格するも芸能活動が多忙となったためか大学卒業までに6年を要しています。

人気歌手の加藤登紀子さんが卒業するという事で女性週刊誌は振袖で卒業式に参加する事を要請。
ところが加藤登紀子さんはジーパン姿で卒業式に出席したそうです。


その記事を見たのが当時、同志社大学の学生で学生運動の指揮者を務めていた藤本敏夫さん。
加藤登紀子さんに興味を持った藤本敏夫さんは学生の集まりで歌を歌って欲しいと依頼したそうです。

ですが、自身の歌が政治活動に利用される事を嫌がった加藤登紀子さんはこれを拒否。
依頼は断ったもののこの一件が気になり二人は交際するようになったそうです。

そして1972年に藤本敏夫さんと加藤登紀子さんは結婚。
藤本敏夫さんは防衛庁襲撃事件などにより逮捕・勾留中という獄中結婚でした。

1974年に出所した藤本敏夫さんは1976年に「大地を守る会」を設立し、有機農業の普及に尽力。
1981年には千葉県鴨川市に移住し、農業組合の「鴨川自然王国」を設立しています。

その後も農林水産省関東農政局の諮問委員になるなど農業の発展に貢献していましたが2002年に肝臓がんにより58歳という若さで亡くなっています。
加藤登紀子さんと藤本敏夫さんの間には3人の娘がいます。
このうち次女の八恵さんは「Yae」名義で歌手として活動されています。
Yaeさんの楽曲は多くのテレビやCMで起用されていますので、知らないうちに耳にしている人も多いかもしれません。

歌手活動の他にも福島県飯館村の「までい大使」や環境省「つなげよう、支えよう森里川海プロジェクト」のアンバサダーなど多才な活躍を見せるYaeさん。
現在は藤本敏夫さんが設立した鴨川自然王国で農業も営む「半農半歌手」生活を送っているようです。

父譲りの行動力と母譲りの歌唱力を併せ持つYaeさん。
芸能界だけでなくもっと広いフィールドで今後も活躍されていく事でしょう。

なお、長女、三女については全く情報が見つかりませんでしたので一般人と思われます。

加藤登紀子は千葉県在住?

上述の通り加藤登紀子さんの夫だった藤本敏夫さんは1981年に千葉県鴨川市に移住し「鴨川自然王国」を設立しています。
加藤登紀子さんも鴨川自然王国の理事となっており、鴨川市に自宅もあると言われています。

そのため加藤登紀子さんは千葉県在住と思っている方も少なくないようです。


ですが、加藤登紀子さんが暮らすのは東京なんだとか。
東京で暮らしてはいますが鴨川自然王国に良く足を運んでいるようです。

多忙な加藤登紀子さんなので時には大自然の中で身も心もリフレッシュしたくなるのでしょう。
また、亡き夫との思い出に耽ったりもしているのかもしれません。

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