駒田 徳広(こまだ のりひろ)さんは「満塁男」のニックネームで知られた名スラッガーです。
巨人や横浜で活躍した選手ですが、プライベートでは離婚や再婚をしたと噂になっていました。
今回は駒田徳広さんの現在や再婚の情報や、現役時代の様子などについて見て行きましょう!
駒田徳広の現在は独立リーグの監督を辞任
まずは駒田徳広さんの現在について見て行くことにしましょう!
現役引退後は東北楽天ゴールデンイーグルスの初代・一軍打撃コーチや、古巣の横浜ベイスターズで一軍打撃コーチなどを務めたものの結果を残せず辞任していました。
その後は野球解説者としてテレビやイベントに出演していましたが、2016年に四国アイランドリーグ「高知ファイティングドッグス※以降は高知FD」の監督に就任していました!
監督として最下位に沈んでいたチームを優勝争いができるまで立て直しましたが、2019年シーズンをもって監督を辞任すると発表してファンに悲しまれました。
就任後に一度も優勝できなかった事や、高知FDからプロ野球に選手を送り込めなかった点を辞任の理由として挙げていますが、ファンからは惜しまれる声が多く上がっていました。
また、高知市内で「KOMA’S HOUSE」というバーを手伝っていましたが、駒田徳広さんの監督退任による引っ越しにもあって2019年10月25日に惜しまれつつ閉店しています。
高知FDの監督を辞任した現在はシーズンオフなのでタレント活動を中心に活動していました!
激!今夜もドル箱の収録でした🎥
11/26OA
ゲスト:広瀬哲郎さん 駒田徳広さん
ご意見番:葉月えりかさん
12/3OA
ゲスト:熊切あさ美さん マツモトクラブさん
ご意見番:さやかさん
司会 ホリ 岸明日香 pic.twitter.com/bybCShJdkL— ホリ (@horimateyo) 2019年11月12日
駒田徳広さんだけでなく広瀬哲郎さんも相変わらず元気そうで何よりでした(笑)
来シーズンは現場の予定は入っていないそうなので、主に野球解説者として活動するそうです。
駒田徳広と今の奥さんは再婚
駒田徳広さんは1989年に前妻と離婚し、翌年の1990年12月に美佳子さんと再婚をしていました!
美佳子さんは高校時代から駒田徳広さんのファン(追っかけ)で奥さんにまでなりましたが、今ではプロ野球選手とファンが結婚する例は少なくなってしまいましたね。
元読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズで大活躍され、現在独立リーグの高知ファイティングドッグスの監督をされている駒田徳広さんが奥様とご来店されました✨#マツダスポーツ#読売ジャイアンツ#横浜ベイスターズで#高知ファイティングドッグス#駒田徳広 pic.twitter.com/glPAFmE6qn
— マツダスポーツ奈良店 (@matsudanara) 2019年1月3日
ちなみに、ふたりの間には一男一女の子供を授かっているそうです!
駒田徳広さんの前の奥さんと言えばネットで語り継がれている「産んだ子供が黒人だった」という奇妙な噂がありますが、これはまったくのデマなので信じないで下さい。
前の奥さんはミス・ユニバース東北地区代表にも選ばれた凄い美人だったそうですが、結婚から1年4ヶ月程度で離婚していて夫婦の間に子供は居なかったそうです。
駒田徳広は巨人や横浜での年俸はどのくらい?
駒田 徳広
2063試合 .289(6941-2006)
195本塁打 953打点 35盗塁 28犠打巨人(1981-1993)
横浜(1994-2000)pic.twitter.com/dgBuiBZqFJ— プロ野球通算成績bot (@npb_player_bot) 2019年11月13日
次は駒田徳広さんのプロ野球選手としての年俸について見て行こうと思います。
1980年に投手としてドラフト2位で読売ジャイアンツに入団した時の契約金は2000万円でした。
直後に野手へ転向して入団3年目に1軍デビューして初打席で満塁ホームランを打つなど活躍しましたが、当時の読売ジャイアンツは層が厚くレギュラーになれませんでした。
しばらくは代打や守備固めとして使われていましたが、少しずつ成長して入団8年目には年俸が920万円から1800万円に倍増し、更に翌年には2900万円に急上昇しています。
その後、読売ジャイアンツ所属の最後となる1993年には1億2000万円と大台を突破しました。
横浜ベイスターズに移籍後も着実に増額し続け、1999年(37歳)には1億6000万円になるなど年俸が「ほぼ横ばいか上昇」で推移している点からも堅実なプレーヤーだと分かります。
安定した打撃や守備だけでなく、大きなケガをしなかったことも大きな特徴でした。
駒田徳広は守備の名人としても有名だった!
駒田徳広さんは”満塁男”のイメージもあってバッティングだけの選手と思われがちですが、実は守備の名人として素晴らしい成績や経歴を持っていました。
通算1548試合に出場してエラーは97回で、守備率(.993)は当時だとかなり安定した数値です。
特にショートバウンドに対応できる高い技術や手首の柔らかさに定評があり、ゴールデングラブ賞は一塁手として歴代最多の10回も獲得していました。
一方で、珍プレー好プレーでのワンシーンでエラーが多いイメージが付いています。
観客からは「エラー」と言われていますが、しっかり見ると一塁の駒田徳広さんではなく、ベースカバーに入ったピッチャーや二塁手のミスであると言えますよね。
実際に横浜ベイスターズに在籍していた7年でも最後の年を除く6年連続でゴールデングラブ賞を獲っており、年齢による衰えを感じさせない名選手でした!
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コメント
満塁男駒田この頃イチバン面白かった。大根切りでもスタンド入れちゃうとか言われてた。