向田邦子の父と母が作品モデルに。兄弟など家族まとめ&猫が大好き

没後40年近くたつ今も多くの作家が憧れ、根強いファンを持つ向田邦子(むこうだくにこ)さん。

脚本家としては20年あまり、直木賞受賞後はわずか1年の作家活動でしたが、その作品群は時代を経ても色褪せることがありません。

魅力的な女性としても慕われ続ける向田邦子さんは、いったいどんな父と母のもとで成長したのでしょう。

兄弟を含め家族にスポットをあててお送りします。

あわせてファンにはおなじみの愛猫マミオについても取り上げます。

向田邦子のプロフィール

別名義: 幸田邦子

生年月日: 1929年11月28日

没年月日: 1981年8月22日(51歳没)

出身地: 東京府荏原郡世田ヶ谷町若林

最終学歴: 実践女子専門学校(現: 実践女子大学)国文科

向田邦子の父は寺内貫太郎のモデル。母は『あ・うん』の水田たみのモデル

絶妙なセリフと鋭い人間観察で、懐かしく温かみのある昭和の情景を描き続けた向田邦子さん。

向田ドラマと呼ばれたそれらは、のちのホームドラマのベースになりました。


70年代に倉本聰さん、山田太一さんとともに「御三家」と呼ばれた脚本家です。

向田邦子さんは1929年11月28日、東京都世田谷区生まれ。

父の転勤に伴い、幼い頃から全国各地を転々としました。

実践女子専門学校国文科卒業後に財政文化社に入社し、2年後に雄鶏社の『映画ストーリー』の記者に転職。

脚本を学び、ラジオドラマのシナリオライターを経てテレビドラマに転向します。

1964年の『七人の孫』で注目を浴び、『だいこんの花』『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』『あ・うん』などの高視聴率ドラマを次々と送り出しました。

小説・エッセイの名手でもあり、1980年には『思い出トランプ』収録の短編3作で直木賞を受賞。

その翌年、台湾への取材旅行で飛行機事故にあい、51歳で不慮の死をとげました。

父・向田敏雄さんは明治生まれで、寺内貫太郎のモデルになった人物。

父の存在は大きかったようで、エッセイ集『父の詫び状』にも多く登場します。

家族を心から大切に思っているのに家では威張りちらす堅物で頑固者の父。

そんな夫を健気に支える母。

昭和の家族像が垣間見える初期の傑作です。

婚外子だった敏雄さんは母子家庭に育ち、高等小学校卒業後に第一徴兵保険に給仕として入社。

低学歴にもかかわらず地方支店長にまで上りつめた苦労人でした。

転校の多かった子供たちが新しい学校へ初登校する朝には、級友に軽く見られるかどうかは初対面で決まるのだから、気後れしないようにしっかり朝食を食べなさいと言い聞かせたそうです。

母・せいさんは水田たみのモデル。

結婚の決め手になったのは、敏雄さんは親一人子一人だけれど、しっかりした人物だという紹介者の言葉でした。

裕福な家に育ったせいさんは、気の優しい父親が人の保証人になったばかりに苦い経験をしたことがあったため、男性ははっきりとNOが言える性格の人がいいと考えていたそうです。

結婚後は夫に尽くし、親の愛情に恵まれなかった分を家族が補ってあげようと思うように。

敏雄さんは1969年に心不全のため64歳で死去。

せいさんは2008年に100歳で大往生しました。

向田邦子の家族は?兄弟まとめ

向田邦子さんは長女で、2歳年下の弟・保雄さん、次女・廸子(みちこ)さん、三女・和子さんがいます。

保雄さんは姉の思い出を綴った『姉貴の尻尾―向田邦子の思い出』を1983年に出版。

飛行機事故の際は台湾へ飛んで遺体と悲しみの対面をし、現地で荼毘に付して遺骨を日本へ持ち帰りました。

9歳年下の和子さんは『向田邦子の遺言』『向田邦子の恋文』などの著者として知られていますね。

実践女子短期大学を卒業後、短期間の仕事を経て、大東京火災に15年間勤めていました。

1978年には女性一人でも気軽に入れるお店をつくろうと邦子さんと東京の赤坂に小料理屋・ままやを開店。

姉の没後も営業を続けていましたが、1998年に惜しまれつつ閉店しました。

姉妹のなかで唯一嫁いだのが廸子さんとのことです。

向田邦子が愛した猫・マミオ

猫好きとしても知られ、家族と同居していた頃から亡くなるまで常に猫を飼っていた向田邦子さん。


なかでも「貴男はまことに男の中の男であります」とエッセイに綴るほど惚れ込んだのがマシャハイ・マミオでした。

マミオとの出会いはタイ旅行中のこと。

芝生の上を転げ回って遊ぶ銀色のかわいい猫。

それを目にした瞬間、感電するような衝撃を覚え、一目惚れしたそうです。

マミオはコラット種で生後3か月の仔猫でした。

「マシャハイ」とは伯爵という意味です。

向田邦子さんの死後、マミオは母のせいさんと和子さんに引き取られることに。

しかしマミオは自分のスペースに引きこもり、ほとんど何も口にしなくなりました。

49日が過ぎた頃から、主人をさがして鳴きながら家中を歩き回っていたそうです。

4年後、マミオはがんを患い、16歳で邦子さんのもとへ。

向田邦子さんの事故死のニュースは衝撃的であり、これから円熟期を迎える矢先の出来事でした。


その後は小説やエッセイが続々とドラマ化されたものの、もう新作に出会うことは永遠にありません。

そう考えると、やはりさびしい気持ちでいっぱいです。

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