向田邦子の恋人・中原歩とは?久世光彦との関係&結婚観と恋愛。マンションが有名

昭和という時代の人間模様を鮮やかに描き、多くの名作を送り出した向田邦子(むこうだくにこ)さん。

ドラマ版も好評だった『向田邦子の恋文』では、生涯独身だった彼女に恋人がいたことが明かされています。

この記事では中原歩さんという謎の人物の実像に迫るとともに、結婚や恋愛の面からみた向田邦子さんを追っていきます。

盟友・久世光彦さんとのドラマ制作や終の棲家となったマンションについてもまとめます。

向田邦子の恋人として登場する中原歩とは?

1929年11月28日、東京都世田谷区で誕生した向田邦子さん。

最終学歴は実践女子専門学校国文科卒業です。


雄鶏社で映画雑誌の編集に携わるかたわら、ラジオやテレビのドラマ脚本を書きはじめ、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』など伝説的ドラマを数多く送り出しました。

人間の狡猾さやしたたかさを抜群のユーモアで描いた『阿修羅のごとく』については、三谷幸喜さんが「神様が書いた脚本」と賛辞を寄せています。

小説家としては、1980年に『思い出トランプ』収録の3編で直木賞を受賞。

ますますの活躍が期待されるなか、翌1981年8月22日に航空機事故で急逝しました。

生前の功績を記念して、優れた脚本家に贈られる向田邦子賞が創設されています。

脚本家への階段を上りはじめた頃、向田邦子さんにはNさんという大切な男性がいました。

秘密の恋だったようです。

妹の和子さんは姉の死後、遺品の中から、今は亡き恋人たちの手紙と日記を発見。

和子さんはこれを一冊の本にまとめ、2002年に『向田邦子の恋文』として発表しました。

秘密の恋は死後20年を経てようやく明らかになったわけです。

この恋物語をドラマ化したのが山口智子さん主演の『向田邦子の恋文』です。

恋人の名前は中原歩さんということになっていますね。

出会いは新卒の邦子さんが財政文化社に勤めていた頃のこと。

13歳年上の写真家で、妻子がおり、家庭を捨てた男性でした。

親密な関係は当時から密かにはじまっていたようですから、交際期間は10年以上でしょうか。

のちに脳卒中を患い、働ける状況になかった恋人のために、向田邦子さんは寝る間も惜しんで仕事に励んだといいます。

ところが1964年2月、恋は自殺という形で突然終わりを迎えることに。

働きづめで疲労が蓄積し、やつれた邦子さんを見て、自身の不甲斐なさから命を絶ったという見方が強いようです。

向田邦子の脚本&久世光彦の演出で多くの名作が誕生

『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』をはじめ、『向田邦子新春シリーズ』や『向田邦子終戦特別企画シリーズ』など多くの向田ドラマの演出を手がけた久世光彦さん。

手を携えてテレビドラマの黄金期をともに駆け抜けた二人でした。

おそらく向田作品を最も愛し、最も理解していた演出家が久世光彦さんだったのでしょう。

『向田邦子の恋文』は、そんな久世光彦さんが渾身の思いで送り出した1作。

6歳年上の向田邦子さんに対しては、盟友としての意識だけでなく競争意識も抱いていたように思えます。

後年、久世光彦さんはまるで挑戦するかのように文筆業に軸足を移し、高い評価を得ることに。

20年に及ぶ二人の思い出を綴った『触れもせで 向田邦子との二十年』『夢あたたかき 向田邦子との二十年』も好評を博しました。

向田邦子の恋愛と結婚観

向田邦子さんは生涯を通じて独身でした。

妹の和子さんによると古風な性格で、結婚と仕事の両立は視野に入れていなかったそうです。

結婚するなら仕事はやめて家庭に入るのが当たり前という考え方でした。


気になるのは恋人が他界したその年のうちにお見合いをしていること。

夫より高収入の妻は困るという理由で破談となっていますが、この時に一度結婚を決意したのかもしれません。

結婚すれば家庭に入るのが一般的で、仕事を選ぶなら結婚はあきらめざるをえない時代でした。

さまざまな出来事を経て、向田邦子さんは仕事を選んだと考えられます。

13歳年上の写真家とのつかの間のロマンスが最初で最後の恋であり、青春の思い出だったのでしょうか。

向田邦子の終の棲家となった有名マンション

大阪で万国博覧会が開催された1970年、向田邦子さんは東京都港区南青山の高級マンションに居を移します。

このマンションこそ高度成長期の真っただ中に誕生し、抜群の立地条件と高級感あふれる佇まいで多くの著名人に愛された南青山第一マンションズです。

今ではヴィンテージマンションの趣がありますが、相変わらず不動の人気を誇っているのだそう。

ここが向田邦子さんの終の棲家となりました。

越してきた当時は閑静な住宅街でしたが、数年の間に集合住宅が乱立し、住んでいた5階の部屋の窓から見える空が形を変えたと著作で語っています。

自宅に庭がない向田邦子さんは買い物などの行き帰りに庭のある家のそばを通り、どの庭に何の木があって、どの時期に花を咲かせるかを記憶してささやかな四季を楽しんでいたようです。


妹・和子さんのエッセイからは、向田邦子さんが子供時代から晩年まで変わることなくほがらかで優しい女性であったことがうかがえます。

昭和の時代、お茶の間のテレビが大きな娯楽だった世代にとっては、特別な思いとともに心に生き続ける脚本家の一人でしょう。

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