昭和のドラマ史に残る傑作を数多く生みだした向田邦子(むこうだ くにこ)さん。
あまりにも早すぎる死は日本中に衝撃をもたらしました。
向田邦子のプロフィール
別名義: 幸田邦子
生年月日: 1929年11月28日
没年月日: 1981年8月22日(51歳没)
出身地: 東京府荏原郡世田ヶ谷町若林
最終学歴: 実践女子専門学校(現: 実践女子大学)国文科
向田邦子の死因は飛行機事故
脚本家、エッセイストとして活動した向田邦子さん。
「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」など昭和を代表するドラマの脚本を担当した事で知られています。
向田邦子さんの作品は時代や世代を超えて愛される物ばかり。
平成以降にリメイクされた作品も少なくありません。
時代が変わっても受け入れられる作品を作るというのは簡単な事ではありません。
きっと向田邦子さんの脚本は人間の本質を捉えているからこそ、世代を問わず多くの人々に受け入れられているのでしょうね。
1970年代には倉本聰さん、山田太一さんと並び「シナリオライター御三家」と呼ばれた向田邦子さん。
世間から高く評価されているだけに仕事の依頼も多かったはず。
ですが遅筆、乱筆でも知られた向田邦子さん。
あまりにも遅筆なため樹木希林さんが「話の筋だけ考えてくれれば現場で何とかする」と電話をしたほど。
温厚で懐の深い樹木希林さんが痺れを切らすなんて。
向田邦子さんの遅筆ぶりが良く分かるエピソードですよね。
遅筆で乱筆だったものの、生み出す作品は超一流。
その才能は小説でも遺憾無く発揮され、直木賞も受賞しています。
日本のテレビ界だけでなく文学界もリードする存在だった向田邦子さん。
ところが1981年8月22日に51歳という若さで亡くなっています。
死因となったのは病気ではなく事故。
乗っていた航空機が墜落したために亡くなってしまったんです。
向田邦子さんが乗っていたのは台北発で高雄行きの台湾・遠東航空ボーイング737型機。
機体腹部のアルミ合金が腐食していたせいで機体は空中で分解し墜落。
この事故で日本人の乗客18人を含め、乗員乗客110名全員が死亡してしまいました。
向田邦子は台灣に行く予定ではなかった?
台湾での飛行機事故で亡くなってしまった向田邦子さん。
実は当初の向田邦子さんは台湾に行く予定ではなかったんです。
元々、向田邦子さんが訪れる予定としていたのは中国。
中国でシルクロードを巡る旅をする予定でした。
ところが旅行会社に申し込みする際の手違いにより中国旅行がキャンセルに。
そこで過去に訪れた事が無かった台湾への旅行に切り替えたそうです。
もし向田邦子さんが予定通り中国旅行に行っていれば、まだ健在だったかもしれません。
そしてドラマ史に残るような傑作を数多く生み出した事でしょう。
飛行機事故と言えば日航機墜落事故を思い出す人も多いでしょう。
この事故でも多くの人々が命を落としています。
世界的スターだった坂本九さんもこの事故で亡くなってしまっていますよね。
その一方でこの便を奇跡的に回避し助かった芸能人も少なくありません。
命を落とすか助かるかはまさに紙一重。
頭では分かっていても向田邦子さんの死は本当に残念でなりません。
向田邦子は飛行機嫌いで有名
飛行機の墜落事故により命を落とした向田邦子さん。
何と意外なことに飛行機が嫌いだったそうです。
幼少期から高所恐怖症で閉所恐怖症だったという向田邦子さん。
そのため飛行機に乗る時には絶望的な気持ちになったんだとか。
その一方で向田邦子さんは海外旅行が大好きでした。
ただ、海外旅行に行くには飛行機に乗らざるを得ません。
飛行機嫌いの向田邦子さんにとってはきっと究極の選択だった事でしょう。
海外を訪れると創作意欲が掻き立てられたのでしょうか。
海外に行く事で逆に日本の良さに気づける部分があったのかもしれませんね。
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