藤村美樹が田中好子の葬儀で読んだ弔辞が話題。キャンディーズの絆

キャンディーズ解散後に女優として足跡を残した伊藤蘭さんと田中好子さんとは対照的に、結婚を機に芸能界を引退した藤村美樹(ふじむらみき)さん。

再び公の場に姿を見せたのは田中好子さんの通夜でした。

葬儀で涙ながらに弔辞を読む姿がワイドショーでもよく取り上げらましたね。

多くの人々の胸を打った弔辞の言葉とはどんなものだったのでしょうか。

あわせて昭和の伝説的アイドルグループ・キャンディーズについても振り返ってみたいと思います。

藤村美樹が田中好子の葬儀に参列して話題に


1956年1月15日東京都世田谷区に生まれ、福島県福島市で育った藤村美樹さん。

キャンディーズのデビュー曲『あなたに夢中』がリリースされた時は17歳でした。

キャンディーズは70年代に絶大な人気を誇った3人組の女性アイドルグループ。

「ミキ」の愛称で親しまれた藤村美樹さんは主にアルトを担当していましたが、音楽面で重要な役割を担うことが多く、歌うのが難しいパートを任せられることがたびたびあったそうです。

キャンディーズフリークによると、ミキちゃんの低音あってこそのキャンディーズのハーモニーなのだとか。

1978年の解散後は5年間の沈黙を経て期間限定で歌手活動に復帰。

シングル『夢・恋・人。』のスマッシュヒットを置き土産に結婚して引退しました。

キャンディーズのメンバーの交流は解散後も続き、年に数回は伊藤蘭さんの自宅に集まって夜中まで話に花を咲かせ、最後に写真撮影をするのが恒例だったそうです。

グループを通して喜びも苦しみも分かち合った、固い絆で結ばれた3人だったのですね。

結婚後は表舞台から完全に姿を消した藤村美樹さん。

再び公の場に現れたのは2011年に他界した田中好子さんの通夜で、実に28年ぶりのことでした。

翌日の葬儀で伊藤蘭さんとともに呼んだ弔辞が大きな反響を呼びましたね。

藤村美樹の弔事に多くの人が涙

2011年4月21日に乳がんのため55歳でこの世を去った田中好子さん。

乳がんは20年近く前から患っており、公表せずに治療を続けていました。

女優業復帰を強く望む一方で、伊藤蘭さんと藤村美樹さんには余命いくばくもないことを告げていたそうです。

危篤状態に陥った際は、家族同然だからという親族の意向で病室に呼ばれ、数時間も名前を呼び続けていたという2人。

青春時代をともに過ごした盟友との別れの瞬間でした。

25日に営まれた葬儀では、3人でおばあちゃんになるまで恒例の集合写真を撮りたかったと語りかけた藤村美樹さん。

長年にわたる病気との闘いをねぎらい、称えるとともに、亡くなった当日の頑張りにも言及しました。

もう間に合わないかもしれないと伊藤蘭さんも自分も思っていたのに、3人がそろってからの数時間は奇跡だったと述べています。

弔辞には、藤村美樹さんが敬虔なクリスチャンであり、信仰に生きていることを感じさせる言葉もありました。


天国はすばらしいところらしいと語り、天国での再会を信じて、その時が来るまで日々を大切に生きていくと亡き友に約束しています。

「私たちは永遠にキャンディーズ」という言葉に青春時代を思い出した往年のファンは多かったのではないでしょうか。

藤村美樹が在籍したキャンディーズとは?

ランこと伊藤蘭さん、ミキこと藤村美樹さん、スーこと田中好子さんによるキャンディーズは渡辺プロダクションに所属していました。

3人は渡辺プロダクション傘下である東京音楽学院のスクールメイツ出身。

さわやかなお色気と愛らしい振り付けを交えた『年下の男の子』『ハートのエースが出てこない』『暑中お見舞い申し上げます』『春一番』などのヒット曲を連発するかたわら、『8時だョ!全員集合』をはじめとするバラエティ番組でコメディエンヌぶりも発揮して幅広い人気を獲得しました。

ザ・ドリフターズのメンバーからは絶大な信頼を寄せられていたそうです。

ところが人気絶頂の1977年夏、コンサートのステージ上で「普通の女の子に戻りたい」と突然の解散宣言。

翌年の4月4日、後楽園球場の解散コンサートで活動に終止符を打ちます。

以降、3人はそれぞれの道を歩むことになり、解散後は一度も再結成されていません。

2019年、41年の時を経て再びマイクを握った伊藤蘭さん。

そんな伊藤蘭さんにエールを送った藤村美樹さん。

かつて一時代を築いたキャンディーズの2人がどのような人生の終盤を送るのか、見届けたいと思います。


田中好子の子供と夫。小達一雄にとっては再婚?実家は釣具店

田中好子の死因と最後の言葉とは。葬儀でキャンディーズのメンバーが弔辞

藤村美樹の2020年現在。子供や結婚した夫はだれ?教会で活動なぜ

コメント