池波正太郎は食通で美食家。蕎麦屋でお酒&うなぎを美味しく食べる方法。小説から料理番組

日本を代表する歴史小説家として多くのファンを持つ池波正太郎(いけなみ しょうたろう)さん。

作品を読んだことがなくとも名前を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

池波正太郎は食通で美食家としても有名

「鬼平犯科帳」や「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」の三大シリーズで知られる池波正太郎さん。

直木賞や吉川英治文学賞、菊池寛賞を受賞し紫綬褒章も受勲。

不世出の天才小説家と言っても決して過言ではありません。


家庭の事情により小学校を卒業後、働きに出た池波正太郎さんは1946年に東京都の職員に。

職員として勤務する傍ら、同年年に創設された読売新聞演劇文化賞に応募するため戯曲「雪晴れ」を執筆。

すると「雪晴れ」は入選し、新協劇団で上演。

その翌年にも「南風の吹く窓」が入選し劇作家として活動することに。

その後、小説家、劇作家として活動していた長谷川伸さんに師事した池波正太郎さん。

新国劇で「鈍牛」が上演されて以降、座付作家と呼ばれるほど多くの戯曲を新国劇に提供。

それと同時に師である長谷川伸さんの強い勧めで小説も執筆。

執筆した小説を雑誌で発表するなど多忙な日々を送っていました。

池波正太郎さんは意外にもこの時はまだ東京都職員との兼業作家。

都の職員を退職したのは1955年のこと。

その年に上演した「名寄岩」で文筆業で生計を立てる自身が付き退職を決意したそうです。

こうして文筆家に専念するようになった池波正太郎さん。

新国劇で次々に新作を発表しながら、定期的に小説も発表する日々。

現在は歴史小説家として知られる池波正太郎さんですが当初は現代ものばかり。

歴史小説にシフトしたのは1956年に発表した「恩田木工」からでした。

直木賞の候補にも選ばれるなど高い評価を得た「恩田木工」。

きっと池波正太郎さんは歴史小説に何か手ごたえを感じたのでしょうね。

その後、何度も直木賞の候補になりながら落選が続いた池波正太郎さん。

1960年に「錯乱」で直木賞を受賞した事で人気小説家の仲間入りを果たすことに。

それ以降も多くの小説を執筆しながら舞台の脚本も手掛けていましたが、1963年に周囲との軋轢が原因で新国劇並びに演劇界と距離を置き小説に専念。

代表作の「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」が誕生したのはそれ以降のこと。

小説に100%の心血を注ぐようになった事が間違いではなかったと証明する結果となっています。

このように池波正太郎さんは日本を代表する作家として知られていますが、もう一つの顔があるんです。

それは「食」に拘りを持つ、食通・美食家としての顔。

歴史小説のイメージが強い池波正太郎さんですが、実はグルメに関するエッセイも多数出版。

入院中も病院が用意した食事を食べる事はなく料亭に頼んでいたというエピソードも。

池波正太郎さんが生前、最後に食べたのは銀座にある割烹「いまむら」の金目鯛の煮つけだったそうです。

いくら美食家と言えども、ここまで食に強いこだわりを持つ人は決して多くはないはず。

決して妥協したり譲ることなく、とことんこだわりぬく。

この探求心の強さが多くの傑作を生みだす秘訣だったのかも知れません。

池波正太郎は蕎麦屋でお酒を楽しんだ

蕎麦屋では蕎麦だけ食べて帰る、という人が殆どではないでしょうか。

ですが食通の池波正太郎さんは違います。

もちろん蕎麦も楽しんでいたはず。

ですがそれと同じか、それ以上に楽しんでいたのはお酒を飲むこと。

池波正太郎さんは蕎麦屋でお酒を飲む事に拘りを持っていたようで「蕎麦前なくして蕎麦屋なし」という言葉まで残しています。
ちなみに蕎麦前とは蕎麦屋でお酒を飲むこと。

お酒を楽しむと言っても、そこは粋な江戸っ子の池波正太郎さん。

蕎麦とお酒をしっかり味わうために、蕎麦を食べながらお酒を飲むのではなく、お酒を飲んだ後の締めに蕎麦を食べていたそうです。

また、ベロベロになるまで飲むことはなく、お酒はほどほどで切り上げていたようです。

こんな楽しみ方をしていれば池波正太郎さんが食通で美食家として名を馳せるのも当然ですよね。

「これほど蕎麦屋が似合う人はいない」とも言われた池波正太郎さん。

色々な蕎麦屋に足を運んでいたそうですが、もちろん贔屓にしていた蕎麦屋も。

池波正太郎さんが贔屓にしていた事で有名なのが「神田まつや」と「並木藪蕎麦」、「浜町藪そば」。

すべて現在も営業中の蕎麦屋なので、興味がある人は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

池波正太郎さんのように蕎麦だけでなく、蕎麦前を楽しむのも良いかもしれません。

池波正太郎が明かすうなぎを楽しむ秘訣とは

池波正太郎さんのエッセイ「むかしの味」に登場する鰻屋「前川」。

創業は文化文政の頃という老舗の鰻屋。

美食家の池波正太郎さんが1番のお店と太鼓判を押す名店中の名店です。

戦前に祖父と共に訪れるなど、幼少期から前川に通っていた池波正太郎さん。

当時は作り置きなど全くせずに、お客さんが来てからウナギを捌いていたそうです。

そのため鰻が出てくるまでに非常に時間がかかっていました。


ですが、他の物を頼んだりせずに、お腹を空かせて待つ。

それが鰻をおいしく食べる秘訣と明かしています。

池波正太郎さんは「空腹は最高の調味料」という言葉を体現していたようです。

美味しいものをより美味しく食べるためには我慢をする。

この拘りもさすがは食通と言えるでしょう。

また、最近では有名人が足を運ぶ事をステータスにしているお店も多いですよね。

時には店主が訪れた有名人について語ることも。

ですが、前川は「お客様に干渉しない」が信条。

そのため池波正太郎さんについて尋ねられても特にコメントをする事はありません。

きっと美食家にとって静かに食事を楽しめるのは何よりもうれしいこと。

著名人だからと特別扱いしないところも池波正太郎さんが前川を贔屓にした理由なのかもしれません。

池波正太郎の書いた料理がテレビ番組に?

優れた小説家であり食通、美食家でもある池波正太郎さん。

そのため手掛けた作品には美味しそうな料理が数多く登場。

卓越した文才のため字面だけでも料理が思い浮かび、読むだけで涎が出る人も少なくないでしょう。

そんな池波正太郎さんが執筆した料理を再現するテレビ番組「池波正太郎の江戸料理帳」が大きな話題に。

作品に登場する江戸料理を再現したのは池波正太郎さんファンの料理人。

そして、これまた池波正太郎さんファンの著名人が再現された料理を囲み歓談。

また、池波正太郎さんが愛した名店を訪れるコーナーもあるなど、「美食家 池波正太郎」尽くしの番組。


放送終了から僅か半年後に第二弾が制作された事からも好評ぶりは明らか。

それだけ池波正太郎さんと料理に興味を持つ人が多いということ。

池波正太郎さんは生前、多くの作品を残しているので第三弾が制作されるのもそう遠くないかもしれませんね。

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