名もなき庶民のささやかな哀歓をつづった時代小説家・藤沢周平(ふじさわ しゅうへい)。
実直に庶民の生活を描き続けた彼自身は、どのような暮らしを送っていたのでしょうか。
今回は娘で作家の遠藤展子さん、4人の妻について詳細を見ていき、家族情報をまとめます。
併せて亡くなるまで暮らした住まいが、練馬区大泉学園にあったという情報を確認します。
藤沢周平のプロフィール
本名:小菅留治(こすげ とめじ)
生年月日:1927年12月26日
死没:1997年1月26日
身長:不明
出身地:山形県鶴岡市
最終学歴:山形師範学校(現在の山形大学)
藤沢周平の娘は作家の遠藤展子
藤沢の娘は作家の遠藤展子さんです。
1963年に東京で生まれ、父に関する思い出をつづったエッセイや関連書籍を多く執筆してきました。
生まれた翌年に母を亡くしたため、実母の存在は知りませんでした。
都立高校を卒業後は、西武百貨店の書籍部に就職。
1988年に2歳年下の遠藤崇寿さんと結婚しました。
崇寿さんは藤沢周平事務所の代表取締役と、鶴岡市立藤沢周平記念館監修者として、義父関連のイベントを手がけてきました。
20200709
遠藤展子「父・藤沢周平との暮し」読了 pic.twitter.com/FPgwM0B6Wp— SmkSGUR (@smkyimtk) July 15, 2020
藤沢作品の映像化や朗読、新刊出版などのあらゆる業務を監修しています。
2018年には遠藤夫婦が共に監修した『藤沢周平「人はどう生きるか」 人生の大事なときにこそ読む』が出版されました。
夫婦二人三脚で藤沢の知名度向上と作品の継承に貢献してきたのです。
娘夫婦にここまで慕われ続ける藤沢とは、どんな人物だったのでしょう。
藤沢周平の妻は4人。死別と離婚、最後の妻は和子。家族まとめ
2004年に発表された福沢一郎さんの書籍『知られざる藤沢周平の真実』では、藤沢を巡る女性たちの姿が描かれました。
1959年に故郷の後輩・三浦悦子さんと結婚した藤沢は、共稼ぎの苦労もありましたが、彼女と愛し合いながら暮らします。
1963年に一人娘の展子さんが生まれますが、間もなく悦子さんにがんが見つかりました。
彼女は生後間もない我が子を置いて、年内の10月に28歳で亡くなります。
最愛の妻を失った藤沢は、深い悲しみに沈みながらも、仕事の傍ら作家の夢を叶えるために小説を書き続けました。
多くの人は彼について、「過酷な運命とまじめに向き合い、大成した人物」と考えているかもしれません。
しかし実はかなりのプレイボーイだったようで、妻の死後、教員時代の教え子たちにプロポーズしていました。
シングルファーザーとなった彼は、支えてくれる女性を求めて、少なくとも3人の教え子にアプローチしたそうです。
しかしさすがに元教師からの申し出を、誰も受け入れませんでした。
困っていた藤沢の元に、故郷の山形県鶴岡市から縁談が舞い込みます。
勢いに任せて再婚したものの、すぐに離婚。
娘の世話と家事の切り盛りを望むばかりの藤沢に、ロマンチックな新婚生活を夢見ていた新妻はミスマッチだったのです。
さらにもう1人の女性と再々婚しますが、妻が子供を産めなかったため離婚。
結局2度の結婚と離婚を経て、最初の妻・悦子さんの死から5年後、最後の妻である和子さんと結ばれたのです。
結婚から3年後の1972年、藤沢は『暗殺の年輪』で直木賞作家となりました。
以降は和子さんが彼の作家生活を支えたのです。
彼女は夫の死から21年後の2018年、86歳で亡くなりました。
庶民の哀しみに寄り添った実直な作品の多い藤沢ですが、作風と異なり、やや女性に対してわがままな男性だったようですね。
最後まで支えてくれた和子さんの存在は、藤沢にとって理想の伴侶だったのでしょう。
住まいは練馬区大泉学園。没後は故郷・鶴岡市に移築
藤沢が最後の約20年を過ごした住まいは、東京都練馬区の大泉学園町にありました。
彼はよく自宅からおよそ30分かけて、駅前まで散歩していたとのこと。
娘の展子さんによると、「本屋、喫茶店、碁会所、そしてパチンコ屋」がお決まりのコースだったそうです。
この中の本屋と喫茶店は、大泉学園町駅から徒歩1分の「書店英林堂」と、2階の喫茶店「ノヴェル」とされています。
残念ながらいずれも閉店してしまいましたが、藤沢ファンが彼の足取りを辿るのに最適なスポットでした。
大泉の栄林堂とノヴェル無くなるのか
— MasahiroTamaki (@tamati50mmf2) August 6, 2013
さらに彼が毎日通っていたというレストラン「サンロイヤル」も閉店してしまいました。
晩年を大泉学園で過ごした藤沢周平が毎日通ったというレストラン「サンロイヤル」が閉店していた。昭和っぽすぎて落ち着かない雰囲気が好きだったんだけど。 pic.twitter.com/pLrpus1yTg
— 望月 二 (@mozuchiki) April 9, 2017
藤沢は開店するとすぐに指定席へ向かい、30分ほどコーヒーを楽しんでいたそうです。
彼の息吹を感じられる古き良きスポットがなくなりつつあるのは、大変寂しいですね。
ただ彼の故郷・山形県鶴岡市には、鶴岡市立藤沢周平記念館があり、彼の過ごした場所の空気を感じられるためおすすめです。
先々週の今頃は…藤沢周平記念館(鶴ヶ岡城址公園内)。山形市内からだとバスで2時間ちょいで楽に行けた。書斎再現(常設)にはワクワクした😆ちょうど「三屋清左衛門残日録」の企画展が始まったばかりで、その為にまとめられてた庄内藩の役職組織図がほしいw pic.twitter.com/MXF2bVkYNe
— 黒豆 (@0n3acHIk6sgf) September 16, 2018
敷地内には大泉学園の旧藤沢邸にあった庭木や屋根瓦を配しており、中庭には塀に使われていた大谷石が敷き詰められています。
館内には移築された自宅の書斎があり、貴重な藤沢関連スポットとして来館者を楽しませています。
藤沢の過ごした場所の空気を肌で感じたい人は、ぜひ一度訪れてみてくださいね。
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