ディックミネの息子と大家族。モテモテ伝説、若い頃の逸話。淡谷のり子と交際の噂

俳優や歌手、司会者など多彩な活躍を見せたディックミネ(でぃっくみね)さん。

そんな姿を見て息子もミュージシャンを志したのでしょう。

家族が非常に多いのも伝説級にモテモテだったから。

芸名の由来となった若い頃に言われた言葉や淡谷のり子さんとの交際疑惑も気になるところです。

ディックミネのプロフィール

本名:三根徳一

生年月日:1908年10月5日

出身地:徳島県徳島市

最終学歴:立教大学卒業

ディックミネの息子も音楽の道に進んでいた

戦前から戦後にかけて大活躍したディックミネさん。

俳優に司会、コメンテーターなどマルチに活躍。

歌手としても紅白歌合戦に6度出場。

日本歌手協会の会長を務めるなど、歌手としての印象が強い人も多いでしょう。

その血を受け継ぐ息子達も音楽の道に進んでいるんです。

長男の三根敬男さんはかつてロカビリー歌手として活躍。

ただ、既に芸能界からは引退されているようです。

そして三男の三根信宏さんはギタリストに。


弱冠15歳にしてプロのギタリストとしてステージに出演。

16歳で平尾昌晃さんのバンドに「ボーイフレンド」に加入。

その翌年、バンド「ブルーファイヤー」を結成しリーダーに就任。

その後、参加した「井上宗孝&シャープファイブ」でエレキブームを牽引。

一世を風靡した当時の活躍ぶりから今では「伝説のギタリスト」とも呼ばれています。

また、YAMAHA SG、S-5MINE、フジゲンGF-MINEなどギターのデザイン設計を担当した事もありました。

その活動意欲は衰える事はなく、2021年1月25日にもアルバムをリリース。

実はこの日は三根信宏さんの76歳の誕生日当日。

まさに人生をギターに捧げたと言っても過言ではありません。

ディックミネさん同様、三根信宏さんも日本音楽史にその名を残す事は間違いありません。

なお、次男の三根健二朗さんは音楽の道には進まず実業家の道へ。

株式会社クリアロックス、有限会社オフィスマインで会長職を兼任するなど成功を収めています。

このように各々、異なる道に進んだディックミネさんの兄弟。

ですがお互いの活躍には刺激を受けていたはず。

そんな息子達の事をディックミネさんは逞しく感じていた事でしょう。

ディックミネは家族が非常に多い

生涯で4度結婚し、内縁の妻も1人いたというディックミネさん。

その5人の女性の間には10人もの子供がいるんだとか。

内縁の妻がいるなんて昨今の芸能界では世間からのバッシングは確実。

芸能生命を絶たれる可能性もゼロではありません。

ですが当時は珍しい事ではなかったのでしょうね。

ただ、これだけ複雑な家族だと危惧されるのが家族仲。

前妻やその子供達が妬みや恨みの感情を抱いていないのか心配になってしまいます。

ところが別れた後もディックミネさんの事を悪く言う人は1人もいないんだとか。

というのも離婚する度に全財産を元妻に渡してきたそうです。

生涯年収は500億円とも言われるディックミネさん。

おそらく数億円規模のお金を渡してきたのでしょう。

また、過去には「成人するまで面倒みるのが親の責任」とも語っています。

そのため子供達からも慕われており、異母兄弟の仲も良いそうです。

決して不義理をする事なく、別れた後の妻や子供にも責任を持つ。

この信念を貫いたからこそ良好な関係を築く事が出来たのでしょうね。

伝説になるほど女性にモテモテだった

端正な顔立ちに高身長のディックミネさん。

しかも当時はまだ数が少なかった大学出身という高学歴。

こんな素敵な男性がモテないはずがありません。

実際、ディックミネさんは女性にモテモテ。

結婚した4人の女性と内縁の妻1人の他に日本各地に現地妻がいたという噂も。

更に関係を持った女性は1000人以上。

「芸能界一のプレイボーイ」と言われるモテっぷりは今や伝説となっています。

当時はディックミネさんの女性遍歴を誰もが知っていたはず。

そのため普通なら声をかけられたとしても敬遠しそうなもの。

それでも次々に女性を虜にしてしまうなんて。

きっと不思議な魅力の持ち主だったのでしょう。

向かうところ敵なしだった全盛期のディックミネさん。

今のアイドルやイケメン俳優が束になっても叶わないかもしれませんね。

若い頃の逸話が芸名の元になった

立教大学在学中、相撲部に所属していたというディックミネさん。

廻しを付ける際にアメリカ人の教師に言われた言葉が「ディックが大きい」。

この言葉が「ディックミネ」という芸名の由来となったそうです。

ディックミネさんがいわゆる「巨根」である事は非常に有名。

かつて週刊誌で「巨根に訊け」というコーナーを持っていた事もあったんだとか。

アメリカ人が見て「大きい」という事は相当大きいのでしょう。

避妊具を付けようとして破れた、というエピソードからもその大きさが分かります。

男性のシンボルともいえる物が非常に大きい。

これがディックミネさんの自信の元になっていた事は間違いないでしょう。

次々に女性にアタック出来たのもこの自信があったから。

この逸話を聞いて「羨ましい」と思った男性も多かったかもしれませんね。

淡谷のり子とも交際していた?


ディックミネさんを芸能界に導いた恩人として知られる淡谷のり子さん。

大学卒業後、タンゴ楽団でボーカル兼ドラマ—として活動している所をスカウト。

そのおかげでレコード歌手への道を歩むことが出来たそうです。

数多くの女性と浮名を流してきたディックミネさん。

そのため世間は淡谷のり子さんが好意を抱いたから芸能界入りを手助けしたと思ったのでしょうか。

実は二人は交際していたと言われているんです。

そして歌手のバーブ佐竹さんが二人の隠し子という噂も。

実名が出されると不思議と噂に信憑性が出てきますよね。

きっと二人の交際や隠し子が真実だと思った人もいたかもしれません。

ですが、淡谷のり子さんは隠し子の噂をキッパリと否定しています。

ただ、この時に否定したのは「バーブ佐竹さんが二人の子供ではない」という事だけ。

交際していた事は否定していないんです。


歯に衣着せぬ発言で知られる淡谷のり子さん。

もし交際も事実でなければ「そもそも交際していない」とコメントしそうですよね。

このように否定しなかったという事は交際していた時期があったのかもしれません。

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