中村紘子とカレーCM。高い評価と過酷なピアノ練習。大腸がんで死去し追悼の会

国際的な名ピアニストとして知られる一方で、軽妙なエッセイやテレビ出演でも人気を呼んだ中村紘子(なかむらひろこ)さん。

カレーのCMも懐かしいですね。

文学賞をはじめとする音楽賞以外の受賞も多く、スーパーレデイぶりは有名ですが、そんな中村紘子さんの評価を総括してみたいと思います。

あわせて世界に通用する一流ピアニストのピアノ練習とはどれほどのものなのか、また早すぎる死去や追悼のようすをまとめます。

中村紘子はカレーのCMでもおなじみ

中村紘子さんは1944年7月25日、疎開先の山梨県甲州市で生まれ、東京都世田谷区で育ちました。

ピアノを始めたのは3歳の時。


桐朋学園音楽科の前身となった「子供のための音楽教室」の第1期生であり、同期には指揮者の小澤征爾さんやチェリストの堤剛さんらがいました。

慶応義塾中等部3年だった1959年、日本音楽コンクールで第1位特賞を受賞。

翌1960年に東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会で正式にデビューします。

その後は桐朋女子高校音楽科を中退してジュリアード音楽院へ。

ショパン国際ピアノコンクールで入賞を果たしたのは1965年のことでした。

世界を舞台に繰り広げる演奏活動の合い間には文筆活動や教育活動、さらには日本赤十字などを通じたボランティア活動にも精力的に取り組み、スーパーレディぶりを発揮。

ハウス食品のザ・カリーやネスカフェのゴールドブレンド赤ラベルのCMにも出演するなど、お茶の間でも親しまれていました。

ハウス食品のザ・カリーは、ルーと特製ペーストに分かれた新しいタイプの欧風カレー。

家庭でつくるカレーの味にこだわりを持つ人々をターゲットにCMを展開し、中村紘子さんのほかに役所広司さん夫妻や宮本亜門さんらが登場しています。

中村紘子さんは料理が得意という理由で起用されたそうです。

中村紘子の評価と幼少時からの厳しいピアノ練習

ピアニストとしてのキャリアをスタートさせた頃は、西洋文化であるクラシックは東洋人には理解できないという考え方が残っていた時代でした。

技術力だけでは聴衆の心には響かないと中村紘子さんは語ります。

そこがピアノという芸術の奥深さであり魅力でもあるとのこと。

考えてみると、ピアノは一台で音楽が完結するために、ピアニストは孤独な演奏家ともいえますね。

中村紘子さんの演奏については多くの賛辞が寄せられてきましたが、高い評価を裏付けるエピソードがあります。

20世紀最高の音楽批評家の一人であるハロルド・ショーンバーグさんは、名著『偉大なピアニストたち』の中で東洋人ピアニストとしてただ一人中村さんの名前を挙げ、「あふれる情感」「絢爛たる技巧」といった言葉で絶賛しています。

世界各地の聴衆を音楽で魅了しただけでなく、数多くの国際コンクールの審査員も歴任した中村紘子さん。

その体験に基づいた初の著書『チャイコフスキー・コンクール』は文明論としても高く評価され、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

『ピアニストという蛮族がいる』では、自宅にこもって練習に明け暮れるあまりに世間知らずになり果てるピアニストの特性を笑いに変えて、文藝春秋読者賞に。

長年の活動に対しては紫綬褒章のほか国際的な受章も多いです。

ピアニストは肉体労働者と明言した中村紘子さん。

幼少時から毎日6時間のピアノ練習を欠かさず、くたくたになって眠りにつく生活を送ってきたとのこと。

ピアニストにしては小柄で手も小さいために、「この指がせめて何ミリか長かったら」と何度も思ったそう。


ピアノは打楽器と弦楽器の特徴を併せ持つ打弦楽器に分類され、鍵盤は88鍵。

体格のよさと大きな手が絶対的に有利となる楽器です。

とはいえ、願ったところで指が長くなるわけではありません。

そうしたデメリットを受け入れて腹を据えるまでは、筋力トレーニングなどを取り入れながら紆余曲折を繰り返し、ひたすら弾いて、弾いて、弾き続けてきたといいます。

中村紘子は大腸がんで死去、追悼の会とメモリアルコンサート

中村紘子さんに大腸がんが見つかったのは、2014年に腸閉塞の腹腔鏡手術を受けた時でした。

がんが腹膜に散らばっており、すべては除ききれず、ステージ2だったそうです。

抗がん剤の副作用に悩みながらも復帰と休養を繰り返し、2016年7月26日に72歳で帰らぬ人となりました。

夫の庄司薫さんによると、前日に72歳の誕生日を自宅で二人で祝った際はとても元気で、モーツァルトからラフマニノフまでの曲の新しい奏法を試したいと熱っぽく語っていたといいます。

9月12日に執り行われた「中村紘子さんを偲ぶ会」には、政財界のファンも多かった中村さんらしく衆議院議員の細田博之さんら約850人が参列。

親交の深かった檀ふみさんが司会を務める中、長年コンビを組んできた指揮者の外山雄三さん、日本文学研究者のドナルド・キーンさんらが追悼の言葉を述べ、幼なじみでチェリストの堤剛さんやバイオリニストの大谷康子さんらが献奏を捧げました。

また、同じサントリーホールでのリサイタルが予定されていた12月11日にはメモリアルコンサートを開催。

ゆかりの音楽家が集い、故人の遺したものに思いをはせて、名曲の数々が演奏されました。

亡くなったその日、主人を失った自宅のピアノに残されていた楽譜はモーツァルトのピアノソナタ K. 310だったそうです。


今日努力すれば明日必ずいいことがある、それがピアノですと生前よく語っていた中村紘子さん。

その姿を見てピアニストに憧れた子供たちは多いことでしょう。

気高く情熱的にピアノと格闘し、クラシックを身近にした功労者にして大輪の花のような女性でした。

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