長寿番組『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターとして、すっかり夜の顔となっていた筑紫哲也(ちくしてつや)さん。
息子は写真家で娘もいるそうですが、家族はどんな方たちなのでしょう。
番組で公表したがんや死去について、また晩年に提案していたスローライフについても取り上げます。
筑紫哲也の息子は写真家の筑紫拓也
1989年から2008年まで、平日の23時台に放送されていたTBS『筑紫哲也NEWS23』。
その日のニュースの最終版であり、番組の終わりに筑紫哲也さんが「きょうはこんなところです」と締めるのがお決まりでした。
1日の締めくくりとして生活の一部になっていた人や、初期のエンディング曲である井上陽水さんの『最後のニュース』を記憶している人もいるでしょう。
この曲は陽水さんが筑紫哲也さんに依頼されて同番組のために書き下ろしたものです。
筑紫哲也さんは1935年6月23日、大分県日田市生まれ。
早稲田大学政治経済学部を卒業後、朝日新聞社に入社しました。
米軍統治下の沖縄特派員、ワシントン特派員、『朝日ジャーナル』編集長などを経て、編集委員としてニューヨークに駐在していた1989年に朝日新聞社を退社。
同年10月に『筑紫哲也 NEWS23』がスタートします。
かねてからTBSのラヴコールを受けており、それに応えた形でした。
その報道姿勢や発言については時に賛否が分かれることがありましたが、同番組で『ニュースステーション』の久米宏さんと並ぶ民放キャスターの顔に。
二人は平日の夜の視聴率を争うことになりました。
草野満代さん
平成9年~平成18年 TBS系#筑紫哲也NEWS23 pic.twitter.com/XjVVNpR1CH— 美女びじょJapan (@bijyobijyojapan) December 1, 2018
今の #ニュース 番組って、なんだかんだ、#ニュースステーション と #筑紫哲也NEWS23 が築き上げた路線を超えてないんだなと思う。今のテレビの状況では超えられないのだろうし、#久米宏 や #筑紫哲也 に匹敵するキャスターを輩出できていないのも事実。
— らくはく (@rakuhaku1853) October 30, 2019
家族についてはほとんど知られていない筑紫哲也さん。
息子は写真家といわれていますが、これは事実でした。
1973年生まれの長男・筑紫拓也さんはアメリカのメリーランド州生まれで、ロードアイランド造形大学写真学科を卒業。
23歳頃から日本とアメリカで定期的に写真展を開いており、 2005年には平間至賞優秀賞を受賞しています。
筑紫哲也の家族は妻と1男2女、大伯父に滝廉太郎
妻は房子さんといい、子供は1男2女で、長女が筑紫いずみさん、次女が筑紫ゆうなさん。
房子さんといずみさんについては情報がなく、詳細はわかっていません。
ゆうなさんは1970年、沖縄県生まれの東京都育ち。
ニューヨーク・スクール・オブ・ビジュアルアーツグラフィックデザイン科を卒業した切り絵作家です。
かわいくて少し不思議な作風が人気の切り絵アーティストなのだそう。
すでに既婚者とのことです。
そしてなんと、明治時代の作曲家・滝廉太郎さんは大伯父にあたることがわかりました。
滝廉太郎さんの妹・トミさんが筑紫哲也さんの母方の祖母なのだそう。
トミさんの長女・文子さんが筑紫和臣さんと結婚して誕生したのが筑紫哲也さんです。
ご本人は、自分には音楽の才能がないので、大伯父が滝廉太郎であることに戸惑いを感じていたと述べています。
筑紫哲也 NEWS23('89-'08)
平日23時台から放送
「多事争論」
「異論!反論!OBJECTION」
は人気コーナーだった‼️#筑紫哲也#NEWS23 pic.twitter.com/spY5J5b32K— 九龍DEATH👤 (@coolong99999999) November 8, 2019
筑紫哲也は肺がんのため死去
テレビジャーナリズムの社会的な役割に貢献したとして、2008年に日本記者クラブ賞を受賞した筑紫哲也さん。
肺がんのため死去したのは同年11月7日でした。
73歳は少し早いですね。
前年5月14日放送の『筑紫哲也NEWS23』では「がんを生きぬく」と書いたフリップを披露して病気を公表。
がんが発覚したのは5月上旬の検査入院でした。
たいへんな愛煙家であり、1日に3箱は喫うヘビースモーカーだった筑紫哲也さん。
ですが、「本当の原因はストレスであり、たばこは引き金にすぎない」という気になる言葉を残しています。
いったいどんなストレスがあったのでしょう。
まず足かけ20年間、平日23時台の生放送に出演するというのは、やはり負担もあったのだと思います。
心は疲れていなくても、身体は悲鳴をあげていたのかもしれません。
また、新聞社時代に記者や編集長を30年務めたのちのキャスター転向でした。
そこには活字の世界にはない気苦労もあったことでしょう。
がん公表後は都内の病院で入退院を繰り返していましたが、2008年7月にペインクリニックの治療を受けるため鹿児島県の病院に転院。
この時には、すでに全身にがんが転移していたそうです。
10月に再び都内の病院に移り、最期は家族にみとられて息をひきとりました。
1年半におよぶ闘病生活でした。
本日11月7日は、ジャーナリスト #筑紫哲也 さんの命日です。 1935-2008 享年73才。大分県出身。新聞記者、編集者を経て #ニュースキャスター として活躍。長年TBSのニュース番組「筑紫哲也 NEWS23」の顔を務めました。 https://t.co/bU94PgD6TH #命日 #故人 #追悼 #ジャーナリスト #TBS #ニュース pic.twitter.com/ynUYTMi43j
— みき⭐️ (@digimem2020) November 6, 2019
筑紫哲也がすすめるスローライフは緩急自在
現在は生活や仕事のあらゆる面で効率やスピードがもてはやされる一方で、そうした風潮に疑問を抱く人たちも増えつつありますね。
「秒」に追われるといっても過言ではないジャーナリズムの世界に身を置きながら、スローライフの意義と可能性に注目していた筑紫哲也さん。
『スローライフ: 緩急自在のすすめ』は、スピードと効率重視で人は幸福になれるのかという究極の問いを投げかけた著作です。
とはいえ、これに対する完全無欠の答えがスローライフというわけではなく、大切なのは緩急自在であること。
スピードかスローかの二者択一思考ではなく、その時々に応じて自分で考え、選択する生き方をしようと提案しています。
死去の翌日から追悼番組が組まれ、メディアには「弱者の味方」「硬骨漢のジャーナリスト」という賛辞が躍りました。
筆者が心を打たれたのは、クセのある人や素直な人、時の人や過去の人など、どんな人と対峙しても筑紫哲也さんのスタンスは変わらず、安定していたところです。
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