浜尾朱美の父と結婚した夫について。闘病中も家族が第一、その死因とは

報道のTBSでキャスターとして活躍した浜尾朱美(はまおあけみ)さん。

女優からキャスターに転身した非常に珍しい経歴の持ち主でもあるんです。

浜尾朱美の父はどんな人だった?

「サンデーモーニング」、「NEWS23」でサブキャスターとして活躍した浜尾朱美さん。

いわゆるキー局と呼ばれるテレビ局の中で報道が強みとして知られるTBS。

そのTBSの看板番組でサブキャスターを務めた浜尾朱美さん。

それだけで浜尾朱美さんが優れたキャスターである事が分かりますよね。


なお、あくまでもキャスターでありアナウンサーではない浜尾朱美さん。

ですが、早稲田大学在学中にアナウンス研究会に所属するなど元々はアナウンサー志望だったそうです。

そのため女子アナウンサーになるためTBSの入社試験を受験。

ところが、この時の試験官だったドラマプロデューサーに見出され女優としてデビューする事に。

そして浜尾朱美さんは大学を卒業した1983年にドラマ「おゆう」に主演。

続いて同年のドラマ「青が散る」にはニュースキャスターを目指す役で出演しました。

立て続けにドラマに出演するなど華々しい女優デビューを飾った浜尾朱美さん。

ですが、「青が散る」の出演後、女優からキャスターに転身。

浜尾朱美さんが女優として活動したのは僅か9か月と非常に短いものでした。

最近ではアナウンサーが女優として活動する事も増えてきましたよね。

ですが、そのような人達は「アナウンサーになりたい」というよりも「目立ちたい」、「チヤホヤされたい」という意識からアナウンサーになったのでしょう。

ですが、女優からキャスターとなった浜尾朱美さん。

「チヤホヤされたい」のではなく「報道に携わりたい」という思いが強かった事が分かります。

そして1985年にテレビ朝日の「おはようTODAY」でキャスターデビュー。

その後、TBSの「サンデーモーニング」、「筑紫哲也ニュース23」のサブキャスターとして長きに渡って活躍していました。

大学生の頃にアナウンサーを目指して入社試験を受けたTBS。

そのTBSの報道番組に携われるようになった事は浜尾朱美さんにとってこれ以上ない喜びだった事でしょう。

こうしてキャスターとしての実力を示し、地位を確立した浜尾朱美さん。

その後は文部科学省の読書サポーターズ会議の委員や京都ノートルダム女子大学の客員教授などキャスターの枠に留まらない多彩な活躍をみせました。

早稲田大学に進学する程の知性と女優としてスカウトされる美貌を併せ持つ浜尾朱美さん。

一体、父親はどんな人なのか気になりますよね。

浜尾朱美さんの活躍ぶりから察する限りでは父親も相当優秀なのでは、と思われます。

ですが調べてみても浜尾朱美さんの父親に関する情報は見つからず。

ただ、浜尾朱美さんが冗談半分で「箱入り娘だった」と語っている事から父親は子煩悩で心配性なのかもしれません。

浜尾朱美と夫は職場結婚だった

大学進学の際に徳島から上京してきた浜尾朱美さん。

その時、父親から何度も釘を刺されたのが「賢げな事を言って近づく人にはついていくな」という事。

愛する娘が上京する事を心配する親心が伝わるこの言葉。

浜尾朱美さんも自分を心配してくれている事は分かっていたようで、この言いつけだけは守っていたそうです。

そんな浜尾朱美さんが結婚したのは1994年。

お相手は「筑紫哲也ニュース23」に携わっていた3歳年下の千葉茂聡さん。

浜尾朱美さんはTBSの社員ではありません。

ですが同じ番組に携わっていた事から職場結婚と言っても過言ではありません。

どちらから声をかけて交際に発展したのかは明かされていません。

ですが、千葉茂聡さんの方から浜尾朱美さんに声をかけるのは非常に勇気がいること。

そう考えると浜尾朱美さんの方が千葉茂聡さんに好意を抱き話しかけたのかも。

浜尾朱美さんが「NEWS23」を降板後も番組に携わり続けた千葉茂聡さん。


その後、同番組の編集長という立場にまで上り詰めています。

男性を見る目が確かだった事が分かる浜尾朱美さん。

長らく父親の言いつけを守ったからこそ男性を見る目が鍛えられたのかも知れませんね。

闘病中も家族が第一だった浜尾朱美

1994年結婚し、1999年に子供を出産した浜尾朱美さん。

子供を出産後は子育てに専念するため仕事をセーブしています。

注目を集めた女優を辞めてまでキャスターとなった浜尾朱美さん。

この事から浜尾朱美さんがキャスターに対して特別な思いを抱いていた事が分かりますよね。

そのキャスター業から離れる事は浜尾朱美さんにとって苦渋の選択だったはず。

特に浜尾朱美さんのようにテレビ局に所属しないキャスターにとっては死活問題。

毎年のようにテレビ局には期待の新人アナウンサーが入社。

それらのアナウンサーや他のキャスターに居場所を奪われるのも大いにあり得る事。

それでも自分の夢よりも家族を優先した浜尾朱美さん。

誰にでも出来る決断ではありませんよね。

そして2007年に浜尾朱美さんは乳癌が発覚。

それから10年以上にもわたる長期の闘病が続く事に。

先の見えない闘病生活で「なんで私が」という思いや八つ当たりをしたくなる事もあったでしょう。

それでも浜尾朱美さんの家族を第一にする姿勢は変わらず。


子供が成長するにつれて徐々に行っていた仕事も再びセーブ。

自身の体調の問題もあったでしょうが「少しでも家族と一緒にいたい」という思いも強かったのでしょう。

窮地に追い込まれた時に人の本性が出ると言われますよね。

辛く厳しい闘病中も家族を第一にする浜尾朱美さんは本当に外見だけでなく内面も美しい人だった事が分かります。

浜尾朱美の死因

2007年に乳癌に罹患した事が発覚した浜尾朱美さん。

当初は東洋医学的な治療を行っていたそうですが、その後は最新治療も受けるように。

一時は完治されたと思われましたが再発。

そして2017年には幹部の摘出手術を受けています。

術後、暫くは体調に不安な点は無かったようですが2018年5月に体調不良に。

同年6月に入院すると一旦は退院できるほど改善。

ところが間もなく再入院する事になり、病状の急変により9月14日に亡くなってしまいます。

浜尾朱美さんの死因となったのは乳癌でした。

数ある癌の中でも日本人女性の罹患率が最も高いと言われる乳癌。

浜尾朱美さんの他、小林麻央さんや田中好子さんなど乳癌で亡くなった著名人も少なくありません。

また、元SKE48の矢方美紀さんのように20代で乳癌を発症するケースも。

早期に発見できれば、ほぼ完治すると言われる乳癌。


きっと浜尾朱美さんの死をきっかけに乳癌の検診を受けたという人もいるはず。

亡くなってからも多くの事を人々に伝えたと言える浜尾朱美さん。

浜尾朱美さんほどキャスター業に全身全霊で臨んだ人は二度と出てこないかもしれません。

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