鳥越俊太郎の学歴。京都大学学歴詐称の噂なぜ。経歴と都知事選の政策について

「ジャーナリスト」の肩書きを嫌い、みずからを「ニュースの職人」と呼ぶ鳥越俊太郎(とりごえしゅんたろう)さん。

2016年の都知事選では、出身校の京都大学をめぐる学歴詐称の噂がネット上をざわつかせました。

事態の真相に迫りたいと思います。

投開票では3位となり落選してしまいましたが、鳥越俊太郎さんの掲げた政策を振り返るとともに、経歴もまとめます。

鳥越俊太郎のプロフィール

本名:鳥越俊太郎

生年月日:1940年3月13日

出身地:福岡県

最終学歴:京都大学文学部

職業:ジャーナリスト

鳥越俊太郎に京都大学学歴詐称の噂が浮上

毎日新聞記者からテヘラン特派員、『サンデー毎日』編集長を経て、『ザ・スクープ』『スーパーモーニング』などのテレビメディアに進出し、お茶の間でもおなじみになった鳥越俊太郎さん。

がんを患い、4度の大手術から復帰したがんサバイバーとしても知られています。


ですが、鳥越俊太郎さんといえば宇野宗佑元首相の愛人問題と桶川ストーカー殺人事件を抜きにしては語れないでしょう。

1989年、就任まもない宇野首相の愛人問題を『サンデー毎日』でスクープすると、自民党は参院選で大敗、内閣は退陣へ。

当時は政治家の「へその下の事情」は記事にしないのが暗黙のルールであり、この不文律を破った報道といわれています。

1999年に起きた桶川ストーカー殺人事件では、メディアの偏った報道姿勢に疑問を抱き、キャスターを務める『ザ・スクープ』で独自取材を刊行。

警察の捜査怠慢や調書の改ざんを明るみに出し、この功績から日本記者クラブ賞を受賞。

ストーカー規制法が誕生する間接的なきっかけにもなりました。

この二つの出来事にジャーナリズムの力を感じた人は少なくないでしょう。

2016年7月には東京都知事選挙への出馬を表明した鳥越俊太郎さん。

後出しジャンケンとも揶揄されましたね。

そんな中、ネット上では学歴を詐称しているのではないかと大騒ぎになりました。

噂が浮上した原因は、当時の鳥越俊太郎さんのWikipediaに「1958年、京都大学文学部心理学科に入学」と記載されていたこと。

のちに「1965年、京都大学文学部(国史学専攻)卒業」と修正されています。

1958年の京都大学文学部には心理学科は存在せず、その名称はありません。

百田尚樹さんもこの疑惑についてツイートするなど騒ぎは大きくなり、「ショーンK」をもじった「ショーンT」というニッネームが飛び交うありさまに。

鳥越俊太郎さんは京都大学に7年間在籍していました。

京都大学広報誌に掲載されたインタビュー記事によると、もともと心理学専攻だったところ、6年目に国史学専攻に切り替えたとのこと。

文学部に心理学科がないのですから、「文学部心理学科に入学」というWikipediaの記載は手違いがあったのでしょう。

ご本人が「心理学科に入学した」と言ったわけではないようなので、学歴詐称と呼ぶのは厳しい気がします。

となるとはっきりしないのが入学時の学科ということになりますが、これに関しては情報がなく、よくわかっていません。

鳥越俊太郎の経歴まとめ

鳥越俊太郎さんは1940年3月13日、福岡県うきは市に誕生。

福岡県の鳥越製粉の創業者一族です。

1965年、京都大学卒業後に毎日新聞社に入社。

入社3年後に『サンデー毎日』編集部に異動となり、1984年から翌年にかけてテヘラン特派員としてイラン・イラク戦争の戦場報道に従事しました。

1988年に『サンデー毎日』編集長になりますが、翌年には毎日新聞社を退職、同年に『ザ・スクープ』のキャスターに就任。

2001年4月、桶川ストーカー殺人事件報道に対する日本記者クラブ賞受賞。

2003年には関西大学社会学部マスコミ専攻の教授に就任。

2004年5月、『ザ・スクープ スペシャル』の『警察の裏金追及第一弾、第二弾』がギャラクシー賞報道活動部門大賞を受賞。

2005年10月3日、『スーパーモーニング』に電話出演し、直腸がんを告白。

6日に手術を受け、その後復帰しています。

2007年9月17日、『スーパーモーニング』で、がんの肺への転移を公表。

1月に左肺を、8月には右肺を手術したことを明かしました。

2009年2月9日、『スーパーモーニング』で、がんの肝臓への転移を明かし、翌日に手術を受け療養に入りました。

2月26日、同番組で復帰。


2009年3月、NPO法人『がん患者団体支援機構』の理事長に就任。

2016年7月12日、東京都知事選挙への立候補を表明するも、同月31日の投開票で落選しています。

都知事選の敗因は政策にあった?

2016年の都知事選では、小池百合子さんや増田寛也さんは64歳、鳥越俊太郎さんは76歳でした。

「がんと闘う勇敢な人」というイメージがある一方で、がん手術後の76歳の人間に都知事の激務が務まるのかと不安視する向きも。

けれども知名度の高さから、出馬表明当初こそ最有力候補との声もありましたが、選挙戦が進むにつれて支持率が低下してしまったようです。

その要因のひとつに政策の弱さが挙げられています。

「第二の舛添問題を起こさない体制づくり」「東京五輪の成功」「都民の不安の解消」「正社員化の促進」といった公約は、どれも漠然とした感が否めないものでした。

どれがもっとも力を入れたい政策なのかもいまいちわかりにくかったようです。

政策をアピールする期間が短いからこそ、都民の心にストレートに届く政策を掲げるべきなのに、それができていませんでした。

都知事選では街頭演説も少なく、候補者同士が討論するテレビ番組もキャンセルを繰り返していた鳥越俊太郎さん。


政策をアピールする場をみずから少なくしていた印象もありました。

こうした状況があいまって、都知事としての資質を疑問視する都民が増えてしまったのかもしれませんね。

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