女優の稲森いずみ(いなもり いずみ)さんは、2023年現在、アラフィフと呼ばれる年齢になっても美しいスタイルを保っています。
モデル出身でいくつになっても若さと美しさをそなえている彼女ですが、そのはっきりした面立ちからハーフにも見えますね。
今回は、稲森さんが実際にハーフなのか、鹿児島県の高校はどこに通っていたのか、また剣道の実力と英語力、留学の詳細についても見ていきます。
稲森いずみのプロフィール
本名:稲森泉
生年月日:1972年3月19日
身長:169cm
出身地:鹿児島県日置郡伊集院町
最終学歴:鹿児島高等学校
所属事務所:バーニングプロダクション
稲森いずみはハーフか
稲森さんは目鼻立ちのはっきりとした美人ですが、ハーフではないのでしょうか。
実際のご両親は、鹿児島県で『まるい』という化粧品店を営んでいるそうです。
またアメリカで通訳をしている叔母がいるとのことですが、いずれも日本人。
国際的な感性はあるご一族かもしれませんが、外国の血は流れていないようですね。
稲森いずみの高校は鹿児島のどこ?
稲森さんは鹿児島市立天保山中学校を卒業後、私立鹿児島高等学校に進学しています。
鹿児島高校はおよそ2,000人が在学する、地方の高校としてはかなりのマンモス校なので、県内では知名度は高そうです。
3つの学科があり、英数科(偏差値65)、普通科(偏差値41)、情報ビジネス科(偏差値39)という内訳。
知的な雰囲気と、のちに留学をされていることからも、稲森さんは英数科出身という印象を受けますね。
在学中にはミス鹿児島高に選ばれており、当時から大勢の生徒の中でも、美しさで際立った存在だったことがうかがえます。
稲森いずみの剣道の実力
稲森さんは小学校の時点で剣道を始めており、中学校でも剣道部に所属していました。
すべてにおいて最も上達の速い時期に数年にわたって取り組んだのですから、それなりの実力があったのでしょう。
「1週間の7日は剣道の練習をしていた」とご自身が語っていますので、相当な練習を積まれていたことがわかります。
あまり剣道をおやりになるイメージはありませんでしたが、和装もよく似合う稲森さんですから、稽古着を身にまとう姿も美しく凛々しかったのでしょうね。
高校では部活動を行っていたという情報はありませんし、高校3年の時点でモデルデビューされていますから、剣道は中学までの活動だった可能性が高いです。
それでも自らモデルの道に進むことを選んだ意志の強さは、剣道で培ったのでしょう。
稲森さんはモデルとして本格的に活動しようと決意した時期、自らの足でモデル事務所に直営業をかけたそうです。
結果的に1991年、業界大手のエリートフォリオと契約を果たしているので、強靭な精神力も実力のうちだったことがうかがえますね。
3年後には芸能事務所バーニングプロダクションに移り、ドラマ『上を向いて歩こう』で女優に転身。
このときもきっと、女優になりたいという強い決意で事務所を移ったに違いありません。
剣道の猛稽古の日々は、前をしっかり見据える稲森さんのぶれない精神を育てるうえで、重要な役割を果たしたのでしょう。
英語力と留学経験
ここで、稲森さんの英語力と留学の詳細を見ていきましょう。
鹿児島高校を卒業後、テキサス大学アーリントン校の英語集中コース、ESLに進学。
後押しをしてくれたのは、通訳として国際結婚も果たした叔母でした。
当時の稲森さんは、アメリカで華々しく働く叔母に憧れていたのでしょう。
ご本人もキャリアウーマンを目指して勉学に励んでいました。
そのため、英語力は当時から相当な高水準だったはずです。
以下の動画からも稲森さんがネイティブレベルの英語を駆使して、難なく会話していることがわかります。
結果的に叔母のようなキャリアウーマンではなくモデルの道を進みましたが、その英語力は女優として、英語を駆使する場面で発揮されています。
また英語力だけでなく、留学経験からさらに精神力に磨きをかけたに違いありません。
実は元々、2年間の留学予定でしたが、両親に呼び戻されて1年半で帰国してしまいます。
詳細はわかりませんが、途中で勉学を断念せざるを得なかったとしても、帰国後すぐにモデルになるための活動を本格始動させているのは前向きですね。
ポジティブな姿勢と高い精神力はやはり、アメリカの風土から大きな影響を受けたのでしょう。
そのバイタリティが、芸能界を長年生き抜いてきた源であるに違いありません。
関連記事
稲森いずみ、現在の活動。結婚せず夫なし。独身理由に反町隆史?子供はいない
コメント