二階俊博はうさぎグッズ好き?和歌山の選挙区で強い&先祖や家系図も凄かった

二階 俊博(にかい としひろ)さんは与党・自民党の幹事長として絶大な権力を誇っています。

見た目はちょっと怖い感じがしますが、実はトレードマークがうさぎという噂もありました。

今回は二階俊博さんのうさぎグッズや選挙区、先祖などについてリサーチして行きましょう。

二階俊博のプロフィール

生年月日: 1939年2月17日

出身地: 和歌山県御坊市

最終学歴: 中央大学法学部 政治学科

称号: 法学士(中央大学・1961年)

所属政党: 自由民主党(二階グループ→二階派)

二階俊博はうさぎが好き?

まずはちょっと意外なキーワード「うさぎグッズ」について調べて行きましょう。


うさぎグッズと聞けば”ぬいぐるみ”やアクセサリーを思い浮かべてしまいますが、二階俊博さんが愛用しているグッズは物というよりもトレードマーク的な存在でした。

選挙ポスターの右上に「V」とウサギの顔がセットになったマークが確認できます。

勝利を意味する「V」は選挙戦を勝ち抜くという意味があるので分かりますが、二階俊博さんのキャラに似合わない”うさぎ”がどこから来たのか気になりますよね。

その理由は割と単純で、二階俊博さんが生まれた1939年の干支が卯(うさぎ)だったからでした。

他にも元気に跳び回るフットワークの軽さや”長い耳”で多くの声を拾うという深い意味もあり、自身を象徴するトレードマークとして初当選時から後援会でも使用しているそうです。

今ではうさぎの耳ではなく地獄耳な気がしないでもないですが、厳しい競争がある政界を生き抜くには様々な声を聞き分けて戦略を練る必要があるのかも知れませんね。

二階俊博は和歌山選挙区で負け知らず

この項目では二階俊博さんの選挙区や強さについて見て行きましょう。

二階俊博さんは1983年に行われた第37回衆議院議員総選挙で(旧)和歌山2区から初出馬し、県議会議員をしていた知名度や実績を打ち出して見事に2位で初当選を飾りました。

当時は今と違う”中選挙区制”だったので2位であっても選挙区で当選ということになります。

1996年に開始された現在の”小選挙区制”によって和歌山2区から3区へ選挙区が変更され、当時所属していた新進党から出馬して自民党候補との激戦を制して見事に再選。

その後も保守党や保守新党時代でも見事に再選をしており、党の力ではなく自らの地盤や強固な支持層を持っていることを中央政界に見せつけて存在感を増して行きます。

自民党が大敗して政権交代が起こった2009年の”第45回衆議院議員総選挙”でも得票率52.1%で勝利を収め、とてつもない逆風の中でも小選挙区の議席を守ったことで評価を高めました。

また、直近の第48回(2017年)や第47回(2014年)の衆議院選挙での得票率は70%を超える圧勝ぶり。

選挙区での強さは政治家としての力の源泉であり、選挙戦を勝ち抜く術を知っていることから自民党選挙対策局長(今の委員長)を経て現在は党幹事長に就いて権力を握っています。


初当選を含めて約37年(12期連続当選)という圧倒的な強さを誇っており、1年以内に必ず行われる次期”衆議院議員総選挙”でも当選する確率が高いので在任期間は伸びるでしょう。

自らの努力や関係者の力で築き上げた強固な地盤は誇りであり、自身の歴史と言える宝物です。

二階俊博の先祖や家系図について

ここでは二階俊博さんの家柄や家系図、先祖などについて見て行きます。

ほとんどの大物政治家は親や親族が政治家で二世や三世と呼ばれる家柄ですが、二階俊博さんの親や先祖は代々の政治家ファミリーでは無かったことが判明しました。

父親は二階 俊太郎(しゅんたろう)さんといい、造船業「御坊造船」の社長だったそうです。

いわゆる「太平洋戦争」中には和歌山県議会議員に当選していましたが、戦後初(昭和21年3月)の衆議院選挙に立候補したものの「48人中、16位」という結果に終わって落選。

さらに”稲原村村長”をしていたことで連合国総司令部(GHQ)から公職追放の処分を受けています。

(※当時の首長は大政翼賛会の支部長を兼任していたことから戦争への協力者と見なされた)

俊太郎氏の父は儀三郎(ぎさぶろう)さんで1967年(慶応3年)の生まれと言われており、さすがに古いので詳しい資料はありませんが農業と養蚕を営んでいたと語り継がれています。

二階俊博さんの母親は菊枝(きくえ)さんといい、当時としてはかなり珍しい高学歴「東京女子医学専門学校 “今の東京女子医科大学”」で実家は代々続く医師の家柄だったそうです。

父親の俊太郎氏は公職追放によって国会議員になることは出来ませんでしたが、息子の二階俊博さんが父の夢を叶えたというのは感動的な物語という印象を受けました。

格別の家柄ではありませんでしたが、それ故に多くの苦労や経験を積めたとも言えるでしょう。


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