二階俊博は派閥の会長?師匠は小沢一郎&麻生太郎と政権掌握。経歴と韓国との関係

最大与党である自民党幹事長として唯一無二の存在感を発揮する二階俊博(にかいとしひろ)さん。

その動向は国内だけでなく海外からも注目を集めているようです。

二階俊博のプロフィール

生年月日: 1939年2月17日

出身地: 和歌山県御坊市

最終学歴: 中央大学法学部 政治学科

称号: 法学士(中央大学・1961年)

所属政党: 自由民主党(二階グループ→二階派)

二階俊博は派閥の会長ではない?

各政党で総裁に次ぐナンバー2の地位とされる幹事長。

現在の最大勢力である自民党で2016年から幹事長を務めるのが二階俊博さん。

父は和歌山県議会の議員を務めた二階俊太郎さん。

そして母親は当時珍しかった女医と非常に恵まれた家庭の出身。

そのような家庭で生まれ育ったためか若いころから人望の厚い人物。

周囲に推されて立候補した高校の生徒会長選挙で圧倒的な勝利を収めたそうです。


ただ、本人は乗り気ではなかったそうです。

それでも圧勝するなんて、よっぽど多くの人々に慕われていたのでしょうね。

議員の息子であり人望も厚いとなれば自然と議員を目指しそうなもの。

ところが二階俊博さんは議員ではなくサラリーマン志望。

そのため進学する大学はどこでも良い、と考えていたんだとか。

ですが当時、所属していた新聞部の顧問に東京に行く事を勧められて中央大学の法学部に。

また、父の二階俊太郎さんも過去に中央大学で学んだ事も中央大学に進む要因となったそうです。

法学部の超名門として知られる名門である中央大学。

そこで学んだことで「法」に携わる仕事がしたいと思うようになったのでしょう。

大学を卒業すると衆議院議員の遠藤三郎さんの秘書となっています。

遠藤三郎さんが亡くなった事を機に出身地である和歌山に帰郷。

そして1975年の和歌山県議会選挙に出馬し当選を果たした事で政治の世界に足を踏み入れます。

和歌山県議を2期務めた後に出馬した1983年の衆議院議員選挙でも当選。

それ以降、一度も落選する事なく12期に渡って国会議員を務めています。

有権者の中には政治家ではなく政党で投票先を選ぶ人も多いでしょう。

ただ、二階俊博さんは最大与党である自民党を離れた時期もありました。

それでも当選を重ねているという事は政党ではなく一人の議員として支持されているからなのでしょう。

類まれな人望は若い頃から今も変わらず。

むしろ政治家として成果を残してきた事で、それまで以上に人望を集めているようにさえ思えます。

2012年に自民党の派閥の一つである志帥会の会長となったのもその証拠といえるでしょう。

そして志帥会は「二階派」と呼ばれるように。

その後、2014年には自民党の総務会長となった二階俊博さん。

党の四役は派閥を離れるという慣例がある自民党。

それに倣って二階俊博さんは志帥会の会長を退任。

会長が不在になった事で普通ならは後任の会長を選出するところ。

ところが志帥会は新たな会長を選出せず空席のまま。

会長代理として河村建夫さんが指揮を執っています。

次の会長を選ばないのは二階俊博さん以上に会長の座にふさわしい人がいないから。

誰が後任の会長となっても派閥の地位と所属議員の低下の危険性は否めません。

きっと例え会長ではなくても志帥会にいてくれるという事が大きな意味を持っているのでしょうね。

二階俊博は小沢一郎の側近だった

時には著名な議員に目をかけてもらう事が出世の近道となる国会議員。

そのため政治家の中には師弟関係にある議員も少なくありません。

二階俊博さんにも師と呼べる国会議員が。

その国会議員はかつて「キングメーカー」の異名をとった小沢一郎さん。

若かりし頃は「信長と秀吉の関係」と呼ばれた事もありました。

もしかすると師弟関係というよりも主従関係に近かったのかもしれません。

その証拠に小沢一郎さんが自民党を離党した際には二階俊博さんも離党。

それ以降も新生党や新進党、自由党を渡り歩くなど長年に渡って行動を共にしています。

そんな二人が袂を別ったのは2000年4月のこと。

政策と党の在り方について意見が分かれた事で決別。

自由党に残った小沢一郎さんに対して、二階俊博さんは離党して保守党を結成。

その後、保守党を解党し保守新党を新たに結成するも2003年の衆議院議員選挙で惨敗。

その結果、保守新党は自民党に吸収される形で解党を迎えています。

こうして二階俊博さんは実に約10年ぶりに自民党に復帰する事となりました。

出戻りでの復党は人によっては非常に肩身の狭い思いとなってしまうはず。

実際、要職に就く人の多くが長く同じ党に所属している人ばかりですよね。

ですが、二階俊博さんは復党後に派閥の会長や大臣、幹事長などの要職を歴任。

離党後の復党とゼロどころかマイナスからのスタートでここまで上り詰めるのは驚異的な事。

さすがは小沢一郎さんが目をかけた政治家と言えるかもしれませんね。

政権の将来をも掌握する二階俊博と麻生太郎

長年続いた安倍政権が終了し新たに発足した菅政権。

二階俊博さんは前政権に続き新政権でも自民党幹事長を務めています。

党内でも指折りの大物政治家となった今では影響力は圧倒的。

そのため、今では政権の生殺与奪の権を握っているとも言われています。

そんな二階俊博さんと肩を並べる影響力を持つのが麻生太郎さん。

由緒正しき家系の出身で過去には首相を務めたほどの大物政治家。

前政権に引き続き新政権でも財務大臣として首相を支えています。

その一方で政権の命綱を握るフィクサーとしての一面も。

二階俊博さんと麻生太郎さんは2020年の6月と7月に派閥の幹部も交えて会食していました。

そして2020年8月に当時の首相だった安倍晋三さんが辞意を表明。

おそらく安倍政権の終焉を感じ取っていたから会食の機会を設けたのでしょう。

その後の菅政権の発足にも二人は多大な影響をもたらしています。

そして現在では解散時期について二人で協議をしているという情報も。

本来であれば解散を決断するのは総理大臣のはず。


ですが、首相を抜きにして二人で解散時期について駆け引きするなんて。

二階俊博さんと麻生太郎さんが如何に政権に影響力を持っているかが窺い知れますよね。

同じ党内で首相の独裁に待ったをかける体制が整っているのは良い事かもしれません。

ただ、二人の政治力があまりにも強すぎるのは些か疑念を抱かずにはいられません。

経歴から分かる紆余曲折の政治家人生

今も昔も大きく2つに分ける事が出来る大物政治家たち。

1つが初当選時から将来を約束されたエリートコースを歩んできた人。

代々続く政治家の家系に生まれた安倍晋三さんや麻生太郎さんが代表的な存在と言えるでしょう。

そしてもう1つが叩き上げながら着実に歩んできた人。

何の後ろ盾もない所から第99代首相に上り詰めた菅義偉さんがまさにこのタイプ。

ただ、中にはそのどちらにも当てはまらない稀なケースも。

二階俊博さんが正にその稀な政治家の一人。

恵まれた家庭に生まれ育ち、周囲の期待を受けて和歌山県の県議員に。

県議として政治家の経験を積んだ後、満を持して国政に進出。

すると1990年に当選3期目にして運輸政務次官に抜擢。

将来有望な若手議員として党内で大きな期待をされていた事は間違いないでしょう。

もしかするとこの時から出世コースに足を踏み入れていたのかもしれません。

その証拠に最大与党である自民党を離党後も存在感を発揮。

1993年に二度目の運輸政務次官になった際には「影の運輸大臣」と呼ばれるほどの活躍を見せています。

そして1999年に運輸大臣兼北海道開発庁長官に指名された事で初入閣。

この後も幾つもの要職を経験し、国政に欠かす事が出来ない政治家になると誰もが思ったはず。

ところが小沢一郎さんと袂を分かち保守党を結成した事で風向きが一変。

保守党として臨んだ衆議院議員選挙で惨敗し議席数が26名から7名に激減。

その後、保守党は解党され、保守新党と名前を変えて再出発。

ところが世論を取り込む事は出来ずにまたしても選挙で議席を減らし4議席に。

そして2003年11月に自民党に吸収される形で保守新党は解党となってしまいます。

こうして成り行き上、自民党に戻る形となった二階俊博さん。

きっと自民党に戻った当初は居心地の悪さを感じていた事でしょう。

出世街道から外れた事により冷遇される事もあったかもしれません。

恐らく多くの人々が「二階俊博は終わった」と思ったはず。

ですが、そんな状況であっても腐る事なく誠心誠意、自民党のため、そして国益のために尽力。

そのお陰で2004年9月には選挙の責任者である自民党総務局長に抜擢。


そしてその翌年に実施された衆議院議員選挙で自民党が圧勝した事で二階俊博さんの株は急上昇。

その後、経済産業大臣を始め国会対策委員長や衆議院予算委員長、幹事長などの要職に。

今となってはあまりの影響力と支配力の大きさが問題視される事も増えてきています。

出戻り議員でありながら党内でこれだけの地位を築いたのは非常に稀なこと。

二階俊博さんの名前が後世に語り継がれていく事は間違いないでしょう。

二階俊博は韓国に好意的?

外交関係を築いてから最も険悪と言われる現在の日韓関係。

多くの企業が韓国から撤退を表明。

それまでは頻繁に行われていた政治的交流も途絶える事となってしまいました。

日本の韓国に対する厳しい姿勢が変わる様子はありません。

その一方で韓国には日本側に譲歩を期待する声も聞こえるようになってきています。

経済面で日本に依存している部分も多かった韓国。

そのため現在の状況が長く続く事は望ましくないと考えているのでしょう。

ですが、日本側の態度が軟化する事はありません。

そこで韓国側が頼りにしているのが二階俊博さん。

過去には1400人も引き連れて韓国を訪れるなど親韓派の代表的存在。

両国の友好関係に多大な貢献をしてきたことから韓国では最高位にある国家勲章「金塔産業勲章」まで授与されています。

そんな二階俊博さんでさえも世論を感じ取って一時は韓国に厳しい対応。

来日した韓日議員連盟の会長、姜昌一さんとの面会を中止とした事もありました。

ですが最近では態度がかなり軟化。

2020年1月に韓国国会議員団と面会した際に「1000人を引き連れて韓国を訪れる」と発言。

自民党幹事長である二階俊博さんのこの発言は韓国でトップニュースとして扱われたそうです。

ですが、この報道は日本では大きく扱われず。

報道1つをとっても日韓の温度差が感じられますよね。

ただ、切れ者の二階俊博さんが何の考えもなしに韓国に歩み寄るとは思えません。


恐らく飴と鞭を使い分ける事で日本に有益な条件を引き出そうとしているのでしょう。

今後の日韓関係が好転するのか、更に悪化するのか。

その鍵は二階俊博さんが握っていると言っても過言ではないでしょう。

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