昭和の文壇で活躍した小説家・檀一雄(だん かずお)。
日本文学大賞受賞の長編『火宅の人』は、ドラマや映画にもなった大ヒット作です。
檀は同じ無頼派の太宰治と仲が良かったという情報がありますが、実際はどうだったのでしょうか。
さらに妻、娘、家族の情報を見ていき、料理人としての顔もご紹介します。
檀一雄のプロフィール
本名:檀一雄
生年月日:1912年2月3日
死没:1976年1月2日
身長:不明
出身地:山梨県、栃木県
最終学歴:東京帝国大学経済学部(現在の東京大学)
檀一雄と太宰治は仲良し?
まず檀と太宰治の中について見ていきましょう。
2人は大親友と呼べるほど仲が良かったことで知られています。
共通の知人だった文芸評論家の古谷綱武を通して出会いました。
檀一雄著/小説 太宰治 1
昭和8年の出来事です。 pic.twitter.com/Ht7wJpzRG2
— cocoro🍠 (@CocoroCcr) April 28, 2019
檀は太宰の才能を高く評価しており、「君は天才だ」と直接褒めたエピソードでも知られています。
檀一雄著/太宰治 2
とても面白いのでぜひ出展元の書籍を手にとって読んでみてください。 pic.twitter.com/lLL76UKyyf
— cocoro🍠 (@CocoroCcr) April 28, 2019
太宰の代表作『走れメロス』は、主人公が人質となった友人のために走り続ける物語ですが、これは太宰が熱海の旅館の宿賃を集めるまで檀に人質となってもらったエピソードが基になっているとされます。
しかし小説と異なり、太宰は必死に借金を集めるどころか、師匠の井伏鱒二と将棋を指していたのです。
さすがに檀は怒りますが、太宰としては師匠に対して借金を頼むタイミングを切り出せずにいたということでした。
有名なエピソードですが、ここまでひどい目に遭いながらも太宰と交友を結び続けた檀は、彼の才能に惚れこんでいたのかもしれませんね。
檀一雄の妻、娘、家族の情報
次に檀の妻と娘をメインに家族情報を見てみましょう。
檀には生涯で2人の妻がおり、最初の妻は開業医の娘の高橋律子という女性でした。
1942年に結婚し、長男の太郎さんをもうけますが、46年に律子は腸結核で亡くなります。
献身的に妻の看病をした檀ですが、児童文学者の与田準一に紹介された山田ヨソ子と、その年の内に再婚。
さらに二男二女をもうけていますが、その中の長女ふみが、女優の檀ふみさんです。
今日は檀ふみさん誕生日。作家檀一雄の長女。いかにもお嬢様育ちの清楚かつ知的な雰囲気を持った美人です。左はおそらく「青春の蹉跌」の時の水着写真。「火宅の人」はちょい役で自身の祖母を演じました。まだ独身ですからチャンスがあるかも。ないね。「連続ゲーム」の解答者としてもおなじみです。 pic.twitter.com/WhCr1Eacvq
— 阿乱隅氏 (@yoiinago417) June 4, 2019
15歳でスカウトされ、当初は娘を女優にさせることを渋っていた父との長い交渉期間を経て、『昭和残侠伝 破れ傘』でデビューを果たします。
その傍ら勉学にも励み、慶應義塾大学経済学部に合格、6年かけて卒業しました。
高い教養で知られNHKの人気クイズ番組・連想ゲームでは長年回答者として出演、N響アワーや新日曜美術館などではMCを務めるなど幅広く活躍しています。
同じく阿川弘之という作家を父に持つ阿川佐和子さんとは親友で、阿川さんが2017年に結婚するまでは独身仲間でした。
独身を貫いているようで、彼女経由での檀の孫はいないことになります。
しかし檀の長男でCMディレクターとなった太郎さんに息子がいました。
中央大学教授で脳科学者の檀一平太さんがその息子で、檀一雄の孫として知られています。
インテリの家系ですから、先祖代々多方面で活躍している人が多いことがわかりましたね。
檀一雄の料理人としての顔
最後に檀の、料理人としての顔についても見ていきましょう。
『檀流クッキング』などの料理本も出版するほど、料理人としてもプロと呼ぶにふさわしい腕前だった檀。
【昭和の食卓】檀一雄 (作家) 1968年
練馬区の自宅にて。どんなものでも食せるものであれば工夫して調理し、一番美味しく食べ、愉快に生きられると語る檀一雄。料理の力量は夫人より上とも主張する。写真は左から長女ふみ、ふみとソックリなヨソ子夫人、檀本人、次男の小弥太、次女さと。@retoro_mode pic.twitter.com/8ObfSQlb8f— 萬象アカネ@レトロ (@bansho_akane) April 15, 2019
9歳のときに母が出奔してしまい、父が料理を作れない状況だったので、やむを得ず始めたそうです。
しかしその腕前はすばらしく、文壇随一の料理人として自宅に来る編集者に料理をふるまっていました。
担当編集者は自宅を訪れるのが楽しみだったことでしょう。
世界中を放浪していた檀は、各国で料理の腕を磨いた可能性も高いです。
やむを得ない事情で始めた料理が、楽しいライフワークになったというのは素敵な話ですね。
太宰に振り回されながらも良き友人でいられたその寛大な人柄と、料理人としての顔も相まって、人情味のある作家だったことがうかがえますね。
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