北方謙三の家族。妻は教師、娘には孫も。万年筆と愛車、クルーシングで釣り

ハードボイルド小説、歴史小説で知られる作家・北方謙三(きたかた けんぞう)さん。

大ヒット作『水滸伝』など数多の名作を執筆し、2020年には旭日小綬章を受けました。

今回は北方さんについて、家族、妻、娘の情報を見ていきましょう。

またその趣味を万年筆、愛車、釣りに絞ってご紹介します。

北方謙三のプロフィール

本名:北方謙三

生年月日:1947年10月26日

身長:不明

出身地:佐賀県唐津市、神奈川県川崎市

最終学歴:中央大学法学部

北方謙三の家族。妻は専業主婦、娘には孫

まずは北方さんの家族から、妻と娘を見ていきます。

妻は元高校教師の女性でした。


北方さんは大学在学中の1970年、『明るい街へ』で小説家になります。

しかしその後は鳴かず飛ばずで、大学卒業後は長い下積み生活を送るのです。

その時期には既に結婚していたので、妻が高校教師として食べさせてくれると考えていました。

しかし妻が「私は専業主婦になる」と言って、退職してしまったので、必死に稼がざるを得なくなったそうです。

妻のおかげで怠けずに執筆を続けられたのかもしれませんね。

娘は2人いることがわかっています。

長女は空手、次女は剣道に励んでいたそうです。

「子供が男だったら、張り倒しながら育てる」と語っていた北方さん。

厳しく娘を育ててきたのかもしれません。

既に娘は成人し、子供もいます。

しかし北方さんは孫に対してはあまり厳しく言わない印象があるので、やはり目に入れても痛くないのでしょう。

北方謙三の万年筆 

次に北方さん愛用の万年筆を見ていきます。

原稿用紙に万年筆で書くという、昔ながらの執筆スタイルを貫く北方さん。

愛用する3本の万年筆は、いずれもモンブランです。

それぞれには武蔵、狂四郎、サムスペードと名前をつけ、執筆状況を考慮し使い分けています。

根性で書き上げたい時は武蔵、頭が冴えている時は狂四郎、書く分量が多いならタフなサムスペード。

書く時の状況次第では、筆圧がかなり強くなるので、筆圧に応じた万年筆を使い分けるのは意外と重要なのです。

信頼できるパートナーとして万年筆に名前をつけると、愛着がわいて執筆のモチベーションも上がりそうですね。

北方さんは作家の気持ちを受け止めてくれる頼もしい万年筆を使い、名作を生み出してきたのでしょう。

愛車の運転を辞めた理由

次に北方さんの愛車を見ていきます。

北方さんの愛車がマセラッティだったことを知る人は多いかもしれません。

マセラッティは徳大寺有恒さんにすすめられ、購入したといいます。

ハードボイルド小説で評価された作家ですから、車好きのイメージが強かったのですが、実は免許を取ったのは34歳の時。

ハードボイルド小説を書くには車の知識が不可欠ということで、あくまで仕事に活かすための購入だったのは意外でした。

こうして小説家として成功してから、初めて買った車がマセラッティだったのです。

運転を始めてからは楽しさにのめり込んだ北方さん。

しかし66歳で運転を辞めています。

理由について「俺は運転が荒い。人が変わってしまう。このままだと死ぬな、と思った」と語っています。

愛車と別れる際は、娘さんがワインをタイヤにかけて、親子で車の思い出にふけったそうです。

66歳だったからこそ運転を辞められたという北方さん。

「70歳を過ぎていたら、決断は難しかっただろう」と話しています。


「辞めるにはエネルギーが必要」という発言は、免許返納に踏み切れない高齢者の気持ちを代弁しているようです。

しかし心配してくれる家族のためにも、潮時を冷静に判断して免許返納を決意することが大切。

北方さんも潮時を見定めて、60代での運転停止を決断したのでしょう。

クルージングと釣り

最後に北方さんが釣り好きという情報を見ていきます。

神奈川県の別荘から、クルージングや釣りに出ていた北方さん。

釣った魚を自分で調理するなど、長い間楽しんできました。

船舶免許を持っているので、ポルトガル語でカモメを意味する「ガイボタ」という愛船を操縦していたそうです。

ハードボイルドなイメージにピッタリな趣味ですね。

相模湾に面した別荘の廊下には、釣り竿、リールなどの釣り道具が並べられています。

カジキマグロなど大型用の釣り道具がほとんどなので、川で気軽に楽しむ釣りとは規模が違いますね。

時にはタコを釣って調理することもありました。

孫は「おじいちゃんは貧乏なので自分で釣るんだ」と言ったそうです。

別荘に家族を招いて、自ら釣った魚介類の料理を振る舞うのが、至福の時間だったのかもしれません。


ヘミングウェイを想起させる程、北方さん自身も作品同様にハードボイルドな人だといえるでしょう。

硬派な名作を生み出すには、男らしい趣味を楽しむ時間が不可欠だったのでしょう。

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