『地下鉄(メトロ)に乗って』『鉄道員(ぽっぽや)』『壬生義士伝』といった名作が次々と映像化されている「平成の泣かせ屋」こと浅田次郎(あさだじろう)さん。
日々の生活で心がささくれ立ったり、人情に触れたくなったりした時はうってつけの小説家といえるでしょう。
波乱万丈な人生を送ってきた作家でもありますが、今回は浅田次郎さんの生い立ちや家族に注目。
とくに娘、妻、母について詳しくみていきたいと思います。
浅田次郎のプロフィール
本名:岩戸康次郎(いわと こうじろう)
生年月日:1951年12月13日
血液型:A型
出身地:東京都中野区鍋屋横丁
最終学歴:中央大学杉並高等学校
浅田次郎と娘や妻の家族エピソード
浅田さんには同い年の妻がいて、娘も一人います。
残念ながら二人の名前や出生日は不明でした。
娘は精神科医?
娘は精神科医との情報がありますが、これについては信憑性が高いでしょう。
浅田次郎さんは著作でパニック障害らしき発作に見舞われたことを明かしており、医学部に進学する娘に対して親孝行できる科を選ぶように言ったところ、娘は精神科を選択したといわれています。
初の時代小説であり、柴田錬三郎賞を受賞した『壬生義士伝』を執筆したきっかけは、娘が岩手県の医科大学に進学し、盛岡市で一人暮らしをはじめたことにありました。
浅田次郎さんは盛岡市をたびたび訪れるうちに、盛岡(南部藩)藩士を主人公にした小説を書こうと思いたったそうです。
#読了#壬生義士伝 下巻#浅田次郎
妻子を養う事が己れの使命とし、人として正しい道を堅く守りながらも、賊と呼ばれようが己れの信じた武士道を全うすると言った、苦悩を背負った義士・吉村貫一郎の生涯。
壮大な結末に導く作者の筆力に感服。
この本を多くの人に薦めたい#読書好きな人と繋がりたい pic.twitter.com/o2bm8c74qi— もりぞー (@kmspecial0745) March 6, 2020
『壬生義士伝』はテレビドラマ化、映画化、舞台化されており、ドラマ版には浅田次郎さんも新選組の幹部役で特別出演。
劇場版は日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀主演男優賞、最優秀助演男優賞ほか数々の賞に輝きました。
東日本大震災の折には盛岡市在住の娘夫婦と連絡がとれず、また彼らは仕事で定期的に三陸へ行っていたこともあって心配でたまらなかったと明かした浅田次郎さん。
2011年3月の時点で娘はすでに結婚していたことになりますね。
娘夫婦を観察して小説に活かす?
数多くの名作を発表してきた浅田さんですが、執筆の際には、娘さん夫婦の様子を参考にしたこともあるようです。
昨日も娘夫婦が来て酒を飲んでいたので、じっくりウォッチしてやりました。
これは、酔っぱらいが出てくるシーンを書くためにやったこと。
娘さん夫婦が飲んでいる様子を細かく観察し、そこから得たものを作品に反映させているのでしょう。
日常生活の中の何気ないひと時も、小説のために役立てているんですね。
こうした工夫をしている理由は、浅田さん自身がお酒を飲めないことにあるようです。
若い頃は昼に仕事をして、夜になると読んだり書いたりする生活だったという浅田さん。
酔っぱらうと読み書きができないため、昼の仕事が終わってもお酒を飲まなかったそうです。
それが習慣になるうち、一滴も飲めなくなってしまったのだとか。
小説で飲酒のシーンを入れるなら、自分ではよくわからないため、周囲の人を観察するしかなかったわけです。
となると、娘さん夫婦がお酒を飲むことで、かなり助かっているのではないでしょうか。
他にも、娘さんたちの言動からヒントを得て、小説のシーンに活かすことがあるのかもしれませんね。
妻が気持ち悪がっていること
夫婦共通の趣味はガーデニングで、自宅に茶室を作ったのは茶道をたしなむ妻のためなのだそう。
奥さん思いなんですね。
夫婦仲も良好と思われますが、奥さんは、自分の夫を気持ち悪がっていることもあるのだとか。
女房が気持ち悪がってたもの、あれ書いてる時。
娘も気持ち悪がって。
これは、新選組を題材にした時代小説『輪違屋糸里』を書いていた頃のこと。
浅田さんが女性のシーンを書くときは、すっかり女性になり切っているそうです。
そんなときの浅田さんは、奥さんや娘さんからすると「気持ち悪い」と感じるようです。
奥さんの反応を知った浅田さんは、「顔が小説の中の女性みたいになっているのでは?」と考えているようですね。
とはいえ、男のままで女性視点のシーンを書くのは難しそうです。
女性が考えていることを書くなら、やはり女性になったつもりで書く必要があるでしょう。
奥さんもその点は理解してくれているはずですが、浅田さんのなり切り方は、予想以上にうまいのかもしれませんね。
浅田次郎の生い立ちは波乱万丈
祖父母も両親も離婚しているという浅田次郎さん。
兄弟は兄が一人いるそうです。
父はカメラ屋を営み、戦後の闇市で財をなした人物でしたが、月に一度ほどしか家に帰らない自由人。
浅田さんご本人の言葉を借りると、実家は「闇市成金のバブリーな家」。
自家用車などなかった時代に運転手つきの外車に乗り、使用人にランドセルを持たせて私立のミッションスクールに通っていたそうです。
ところが 9歳の時に家は没落。
両親は離婚、母は失踪、一家は離散状態となり、子供たちは親戚宅を転々とすることに。
やがて母の生活にめどがつき、兄弟を引き取って三人の生活がはじまりました。
浅田次郎さんは駒場東邦中学校から中央大学杉並高校へ進み、同校を卒業。
青春時代の知的シンボルで憧れの的だった三島由紀夫の三島事件に触発されて陸上自衛隊に入隊します。
浅田次郎の母の実家は山香荘
母・也子さんの実家は、奥多摩にそびえる霊山・御岳山で宮司を務めていました。
御岳山の宿坊・山香荘も母方の実家であり、浅田次郎さんゆかりの旅館として有名です。
御岳山の山頂に鎮座する武蔵御嶽神社の参拝者のお宿として、300年近く歴史を刻んできた山香荘。
浅田次郎さんもよく宿泊や執筆活動に利用するため、ファンにとっては聖地も同然の宿坊です。
短編集『神坐(いま)す山の物語』の舞台こそ、この御岳山です。
書くことはいちばんの道楽と語り、「小説の大衆食堂」を自称する浅田次郎さん。
アウトローたちが織りなすピカレスクロマンから壮大な歴史小説、人情もの、コメディ、ミステリーなど垣根を超えた作品群をよく表している言葉です。
浅田次郎の経歴まとめ
浅田次郎さんは本名を岩戸康次郎さんといい、1951年12月13日東京都中野区生まれ。
日本ペンクラブ会長をはじめ、直木賞、柴田錬三郎賞、山本周五郎賞といった著名な文学賞の選考委員を務めてきました。
今でこそベテラン売れっ子作家というイメージがありますが、家族には長いこと「売れない小説家」と認知されていたのだそう。
その不名誉を一蹴したのが1995年の『地下鉄に乗って』でした。
同作品は吉川英治文学新人賞を受賞し、初めて自著の広告が新聞に載ることに。
この時、浅田次郎さんはすでに44歳。
#読了 地下鉄に乗って/浅田次郎さん
「おもかげ」を読みたくて前作の地下鉄に乗ってを十数年ぶり⁇に再読しました。
浅田次郎さんはエッセイもめっちゃ面白くて、JALの機関紙はいつも真っ先に読んじゃう☺️いつかいつかお会いしてみたいなぁ、、、!
感想になってないけど。← pic.twitter.com/mpzjhKZ1Fl— みのり📚 (@minori_book_tea) June 26, 2021
以降、長い下積み生活の反動が後押しするようにベストセラー作家への階段を駆け上がっていきます。
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