奈良原一高の病気と逝去。家族について。使用カメラ、独自のファッション写真

『人間の土地』や『ヴェネツィアの夜』で高い評価を得た写真家・奈良原一高(ならはら いっこう)。

炭鉱や刑務所、ヨーロッパの人々を被写体としたモノクロ写真で知られました。

今回は奈良原の病気、家族、使用カメラ、ファッション写真の情報を見ていきます。

併せて逝去の詳細も確認しましょう。

奈良原一高のプロフィール


本名:楢原一高(ならはら かずたか)

生年月日:1931年11月3日

死没:2020年1月19日

身長:不明

出身地:福岡県大牟田市

最終学歴:早稲田大学大学院芸術専攻修士課程

奈良原一高の病気

まずは奈良原の病気を見ていきます。

1988年頃に病気を患うようになり、自身の体内を写したレントゲン写真を目にしたことで、身体内の小宇宙に惹かれたそうです。

レントゲン写真などを利用した、『空 ku』は、病気なくして誕生しなかった作品でしょう。

2005年に倒れてから、長きにわたって療養していた奈良原。

時期ごとの具体的な病名は不明ですが、度重なる療養中に、命の尊さを痛感していたに違いありません。

奈良原一高の逝去

最後に奈良原の逝去の詳細を見ていきます。

2020年1月19日に88歳で逝去した奈良原。

いく度も闘病を経た彼の死因は心不全です。

逝去当時は世田谷美術館で「奈良原一高のスペイン 約束の旅」が開催中でした。

1962~65年のヨーロッパ旅行で誕生した「スペイン 偉大なる午後」、「ヨーロッパ 静止した時間」から選ばれた作品が展示されました。

療養中だった奈良原も家族と会場を訪れ、展示を鑑賞したそうです。

「祭り」や「闘牛」などをテーマにスペインで撮影された写真に加え、パリなどの街の風景を切り取った写真も並んだといいます。

スペインの喧騒、パリの静寂、宗教、ファッションなど、様々な被写体を見事に写し取った奈良原。

展覧会開催中に逝去したことでさらに知名度が高まり、会期が終わる直前に会場へ駆け込んだ人もいたかもしれません。

何より奈良原自身が、逝去の直前に、若き日の作品群を見て回ることができたのは幸運だったといえますね。

どうしても撮りたいものがあるという情熱に従い、何もかもを投げ打って決行したヨーロッパ旅行。

展覧会で若き日の思い出に浸り、あの時の決断は間違っていなかったと感じながら、この世を去ったのかもしれません。

モノクロ写真の豊かな表現力に気づいた人々が、今後も増え続け、奈良原の人気も比例して高くなっていくことでしょう。

奈良原一高の家族 

次に奈良原の家族を見ていきます。

妻は恵子さんという名前で、長年夫を支えてきたようです。

結婚後、奈良原は自分の好きな写真を撮るため仕事を辞め、パリへ出てしまいます。


我が道を進む夫を支えるのは、大変な苦労だったのでしょう。

妻以外の正確な家族情報は見当たらず、葬儀の喪主も恵子さんが務めているため、子供はいないのかもしれません。

子供がいるとしても、情報はなく、親子での交流がなかった可能性が高そうです。

少なくとも奈良原が、家族を省みず、写真へ情熱を捧げた人であることは間違いないでしょう。

恵子さんは偉大な写真家の夫を献身的に支え、心から理解していたパートナーだったのかもしれません。

奈良原一高の使用カメラは?

次に奈良原の使用カメラを見ていきましょう。

使用カメラはニコンとされています。

デジタルカメラにはない、白と黒の見事なコントラストと格調高さが魅力的です。

奈良原の作品は、銀塩を感光材料とする銀塩写真。

明るさの濃淡が自然な点が魅力です。

モノクロでありながら豊かな表現を生み出す銀塩写真の技術が、奈良原の作品をより格調高くしているのでしょう。

奈良原一高のファッション写真

次に奈良原のファッション写真について見ていきます。

労働者や修道院の人々を写した作品で有名な奈良原。

しかし元々、ファッション写真を撮影していた経歴を知る人は多くないでしょう。

奈良原のファッション写真の特徴は、洋服だけを見せようとせず、モデルが背景と調和するように独自の構図を考案した点です。

単に洋服の宣伝写真にするのではなく、背景、モデルのポーズ、構図にこだわり、芸術作品として写真を撮影しました。


独自のファッション写真で地位を確立しますが、やがて本当に自分が撮りたい写真を撮るためパリへ出発するのです。

彼のファッション写真はセンスが良く、今でも人々の心をつかんでいます。

奈良原自身にとってファッション写真は、あくまでライスワークだったのかもしれません。

しかし彼の優れたファッション写真は芸術作品として、時を経てもなお高く評価されているといえるでしょう。

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