『ローマ人の物語』など、イタリア史をテーマとした作品で高く評価されている作家・塩野七生(しおの ななみ)さん。
塩野さんの2024年現在、夫、母親、父親の情報を見ていきます。
さらに若い頃の塩野さんについても迫ります。
塩野七生のプロフィール
本名:塩野七生
生年月日:1937年7月7日
身長:不明
出身地:東京都北区滝野川
最終学歴:学習院大学文学部哲学科
塩野七生、現在(2024)は歴史長編を書いていない
塩野さんの作品といえば、数々の歴史ものを思い浮かべる人が多いでしょう。
ですが、最近は歴史長編を発表していません。
最後の歴史長編はすでに書き終えている
2024年現在、最後に出た歴史の本は、2017年の『ギリシア人の物語』第3巻となっています。
塩野さんは、『ギリシア人の物語』を「最後の歴史長編」として発表しました。
そのため、2024年現在まで、新たな歴史長編は書いていないのです。
長く続けてきた歴史長編を書かなくなった理由は、インタビューで語ったことがあります。
集中力を維持することに疲れてきたからなのだとか。
塩野さんは2024年で87歳。
若い頃のように長い作品を書き続けるのは、さすがに苦しい年齢なのでしょう。
それに、地中海が歴史の中心だった時代を書き終えたということなら、『ギリシア人の物語』はちょうどいい区切りだったのかもしれません。
そのあとは、少し休む時間を確保したかったのではないでしょうか。
ファンは少々寂しいかもしれませんが、今はゆっくりと過ごしてほしいものです。
ちなみに、『ギリシア人の物語』は2023年に文庫版が出版されています。
塩野七生さんの「ギリシア人の物語」、文庫化されたので買ってしまった。
「ローマ人の物語」の出版を待ちきれずに食いつくように読んでいた頃の読書力はないのだけれど
やっぱりとても面白い。
ゆっくり読もう😽🍀 pic.twitter.com/bn3gJ1xC25— 瀧 貴美枝 (@KimieTaki) August 28, 2023
新たな歴史長編が出ていないことは確かですが、塩野さんの本をワクワクしながら購入している人は、近年もたくさんいるのでしょう。
また、歴史長編は書かなくなっても、作家としての活動をすべてやめたわけではない塩野さん。
随筆などは書いているようで、2022年には『日本人へ』シリーズの新刊が出ています。
塩野七生『誰が国家を殺すのか』#読了
久しぶりの塩野七生。お年を召しても独特の時々ピリッとした文体は健在だった。
日本の政治家やこれからのありようについての意見は私とは異なるけど、それでもこの人の作品を読むのは楽しい。読後はいつも密度の濃い会話をした後のような気分になるのも好き。 pic.twitter.com/0k8NXEscQe— Jaqueline (@Jaque25210710) January 21, 2023
年齢的にも無理はしてほしくないところですが、作家としては、やはり何か書いていたいものなのかもしれませんね。
文化勲章で話題
近年の塩野さんといえば、2023年に文化勲章が贈られたことも話題になりました。
SNSでは、多くのファンが喜びの声を投稿していましたね。
大好きな女性作家の塩野七生さんが数日前に文化勲章受けられてた
既に筆は置かれましたが貴女が50年に渡って書き続けた地中海歴史の執筆のご苦労は筆舌に尽くしがたかったと思います
何度読んでも時間を忘れて没頭できます
おめでとうございます
— けむ (@kemusanyade) November 6, 2023
塩野七生さん文化勲章受賞!学生時代に読んだ「ルネサンスの女たち」が私がイタリアに興味を持ったきっかけの一つ。続いて「海の都の物語」でヴェネツィアに惹き込まれ、ローマ人シリーズは毎年の刊行がどんなに楽しみだったことか。塩野さんの著書の数々は、私にとって読書する喜びの象徴。#m
— 寝子魔 (@natsunekoma30) October 21, 2023
これは本当にすごいことですが、塩野さんはあくまで謙虚。
選考委員の中にたまたま読んでいる人がいた結果と考えているようです。
こうした人柄も、「この人の本を読んでみたい」という気持ちに影響しているのかもしれませんね。
塩野七生の夫はイタリア人医師
次に塩野さんの夫を見ていきます。
正確な時期は不明ですが、フィレンツェ大学医学部のイタリア人医師と結婚していたことがわかっています。
1963年から68年までイタリアに遊学し、一時帰国した塩野さん。
70年に再びイタリアへ戻り、74年に一人息子のアントニオシモーネさんを出産しているので、結婚はこの間のことでしょう。
何年間かは夫婦生活を送りますが、結果的に離婚。
塩野さんは息子とメイドと共に家を出ました。
創作に専念する妻との生活に、夫の方が耐えられなくなったようです。
「前の夫を恨んだことはない。イタリア人の彼のおかげで、地中海文明に入り込めた」と語る塩野さん。
創作にプラスの影響を与えてくれたすべての物事に対して感謝することで、過去にこだわらず前向きに生きてきたのでしょう。
塩野七生の父親と母親
次に塩野さんの父親と母親について見ていきます。
父親は1905年生まれの詩人で、小学校教員だった塩野筍三です。
日本一の古本街・神保町にある複数の古本屋から、借金してまで読書に没頭する本の虫でした。
隧道は貫通だぞォ
……
おゝこの地獄の底で俺達は生きてきた
日の目を見ずに掘ってゐた坑!
がんと大空をぶつたぎつた大山脈を
その心臓を貫いてゆく隧道工事
ハッパと諸共に血みどろになつた兄弟の屍を超えて
俺達工夫は遮二無二ぶつかつてゐつたのだ
……塩野筍三
『隧道』 子供社 1931.— 朔太郎通信 (@Sakutaro1917) July 6, 2020
『隧道』は労働の過酷さを描いた、いわばプロレタリア文学的な詩で、左派寄りの思想の持ち主だったことがうかがえます。
実際、その思想ゆえに教員の職を追われたそうです。
しかしその文才は、確実に娘に受け継がれたといえるでしょう。
塩野さんの母親は由枝という名前でしたが、一般の方で情報はありません。
夫も娘もインテリですから、おそらく教養ある女性だったのでしょう。
塩野七生、若い頃にイタリアへ
塩野さんは大学卒業後、26歳からイタリアに遊学し、ファッション記者になります。
そのため若い頃からおしゃれで美しい女性でした。
カラー写真もたくさん入ってて見てもたのしい。文庫も見かけたな、そういえば… 塩野七生が若いね。 pic.twitter.com/NfiqCxsrJH
— Ryuko Yamazaki (@ryukopyan) July 3, 2013
ブランド品がよく調和する洗練された容姿とエレガントな所作は、今でも健在ですね。
しかし決して苦労しなかったわけではありません。
むしろ当時、女性に就職先はなく、就活に失敗して苦労したそうです。
そこで1人イタリアに向かった塩野さん。
ローマやミラノのファッションを日本に紹介する記者となり、稼いだお金で、大胆にもヒッチハイクをしています。
ローマ時代の遺跡やエーゲ海を目にし、イタリア文化に感銘を受けました。
68年に帰国後、『ルネサンスの女たち』で作家デビューした塩野さん。
創作の原動力は、若い頃に体感した、偉大なイタリア文化だったのかもしれません。
若い頃に起伏に富んだ経験をしたからこそ、年を経ても堂々とした物腰で、充実した人生を送ることができるのでしょう。
高校生たちと語り合った番組
2020年の元旦に放送された、NHK番組「2000年を生きる 塩野七生と高校生の対話」をご覧になった方は多いかもしれません。
塩野さんが母校である学習院大学の附属中学と高校の生徒と共に、どう生きるかについて対話を展開し話題となりました。
就活や将来のことを不安に思う若者へ向けて、「やりたいことがわからない方が健全」と語り、含蓄に富んだ言葉で励ましを送ります。
先行きの不透明な時代に不安を抱える若者が多い中、塩野さんは挫折をくり返すことで、挫折に免疫がつくと主張。
若い内に挫折をくり返し、免疫をつけられれば、人生の困難を乗り越えられるようになるということでしょう。
様々な苦労を積み重ねた塩野さんの言葉には説得力があり、若者たちは感銘を受けている様子でした。
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