『ローマ人の物語』など、イタリア史をテーマとした作品で高く評価されている作家・塩野七生(しおの ななみ)さん。
塩野さんの現在、夫、母親、父親の情報を見ていきます。
さらに若い頃の塩野さんについても迫ります。
塩野七生のプロフィール
本名:塩野七生
生年月日:1937年7月7日
身長:不明
出身地:東京都北区滝野川
最終学歴:学習院大学文学部哲学科
塩野七生の現在
まずは塩野さんの現在を見ていきます。
2020年の元旦に放送された、NHK番組「2000年を生きる 塩野七生と高校生の対話」をご覧になった方は多いかもしれません。
塩野さんが母校である学習院大学の附属中学と高校の生徒と共に、どう生きるかについて対話を展開し話題となりました。
就活や将来のことを不安に思う若者へ向けて、「やりたいことがわからない方が健全」と語り、含蓄に富んだ言葉で励ましを送ります。
先行きの不透明な時代に不安を抱える若者が多い中、塩野さんは挫折をくり返すことで、挫折に免疫がつくと主張。
若い内に挫折をくり返し、免疫をつけられれば、人生の困難を乗り越えられるようになるということでしょう。
様々な苦労を積み重ねた塩野さんの言葉には説得力があり、若者たちは感銘を受けている様子でした。
対談が話題となり幕を開けた2020年は、コロナによる未曽有の危機に見舞われた年となります。
塩野さんは緊急事態宣言下で、『小説 イタリア・ルネサンス全4巻』の最終巻である、新作を執筆していました。
500年前のイタリアにトリップした気分で、外交官マルコの生き様を描く作業を楽しんだそうです。
外出自粛要請を気にすることなく、歴史ロマンの世界に没入できるなんて、羨ましいですね。
シリーズ最終巻である『再び、ヴェネツィア』は、同年12月に発売されました。
塩野作品のファンたちも、日々の不安から一時離れて、ルネサンス期にトリップできます。
2021年で84歳を迎えてる今もなお、塩野さんの執筆意欲は旺盛であることがわかりましたね。
塩野七生の夫はイタリア人医師
次に塩野さんの夫を見ていきます。
正確な時期は不明ですが、フィレンツェ大学医学部のイタリア人医師と結婚していたことがわかっています。
1963年から68年までイタリアに遊学し、一時帰国した塩野さん。
70年に再びイタリアへ戻り、74年に一人息子のアントニオシモーネさんを出産しているので、結婚はこの間のことでしょう。
何年間かは夫婦生活を送りますが、結果的に離婚。
塩野さんは息子とメイドと共に家を出ました。
創作に専念する妻との生活に、夫の方が耐えられなくなったようです。
「前の夫を恨んだことはない。イタリア人の彼のおかげで、地中海文明に入り込めた」と語る塩野さん。
創作にプラスの影響を与えてくれたすべての物事に対して感謝することで、過去にこだわらず前向きに生きてきたのでしょう。
塩野七生の父親と母親
次に塩野さんの父親と母親について見ていきます。
父親は1905年生まれの詩人で、小学校教員だった塩野筍三です。
日本一の古本街・神保町にある複数の古本屋から、借金してまで読書に没頭する本の虫でした。
隧道は貫通だぞォ
……
おゝこの地獄の底で俺達は生きてきた
日の目を見ずに掘ってゐた坑!
がんと大空をぶつたぎつた大山脈を
その心臓を貫いてゆく隧道工事
ハッパと諸共に血みどろになつた兄弟の屍を超えて
俺達工夫は遮二無二ぶつかつてゐつたのだ
……塩野筍三
『隧道』 子供社 1931.— 朔太郎通信 (@Sakutaro1917) July 6, 2020
『隧道』は労働の過酷さを描いた、いわばプロレタリア文学的な詩で、左派寄りの思想の持ち主だったことがうかがえます。
実際、その思想ゆえに教員の職を追われたそうです。
しかしその文才は、確実に娘に受け継がれたといえるでしょう。
塩野さんの母親は由枝という名前でしたが、一般の方で情報はありません。
夫も娘もインテリですから、おそらく教養ある女性だったのでしょう。
塩野七生、若い頃にイタリアへ
最後に塩野さんの若い頃を見ていきます。
カラー写真もたくさん入ってて見てもたのしい。文庫も見かけたな、そういえば… 塩野七生が若いね。 pic.twitter.com/NfiqCxsrJH
— Ryuko Yamazaki (@ryukopyan) July 3, 2013
塩野さんは大学卒業後、26歳からイタリアに遊学し、ファッション記者になります。
そのため若い頃からおしゃれで美しい女性でした。
ブランド品がよく調和する洗練された容姿とエレガントな所作は、今でも健在ですね。
しかし決して苦労しなかったわけではありません。
むしろ当時、女性に就職先はなく、就活に失敗して苦労したそうです。
そこで1人イタリアに向かった塩野さん。
ローマやミラノのファッションを日本に紹介する記者となり、稼いだお金で、大胆にもヒッチハイクをしています。
ローマ時代の遺跡やエーゲ海を目にし、イタリア文化に感銘を受けました。
68年に帰国後、『ルネサンスの女たち』で作家デビューした塩野さん。
創作の原動力は、若い頃に体感した、偉大なイタリア文化だったのかもしれません。
若い頃に起伏に富んだ経験をしたからこそ、年を経ても堂々とした物腰で、充実した人生を送ることができるのでしょう。
塩野七生の息子、アントニオシモーネ。ファッションのこだわり、ローマ執筆の理由
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