塩野七生の息子、アントニオシモーネ。ファッションのこだわり、ローマ執筆の理由

古代イタリアを描いた歴史小説で知られる作家・塩野七生(しおの ななみ)さん。

小説というわかりやすい形で歴史ロマンを描く手腕は、高く評価されています。

今回は塩野さんの息子であるアントニオシモーネさんについて見ていきましょう。

またファッションへのこだわり、イタリアとローマの歴史に目覚めたきっかけも確認します。

塩野七生のプロフィール

本名:塩野七生

生年月日:1937年7月7日

身長:不明

出身地:東京都北区滝野川

最終学歴:学習院大学文学部哲学科

塩野七生の息子アントニオシモーネ

まず塩野さんの息子である、アントニオシモーネさんについて見ていきます。

アントニオさんは塩野さんの一人息子として、1974年にフィレンツェで生まれました。


大学で考古学を専攻しますが、映画が好きだったため、ハリウッドで映画製作の助手になります。

母はイタリアの歴史、文学と同じレベルで映画をこよなく愛しており、息子も彼女の影響で映画の道を選んだのでしょう。

製作助手として関与した作品は『スパイダーマン2』と『ロード・オブ・ドッグタウン』。

その後はイタリアに帰国し、『副王家の一族』の製作に参加しました。

映画をテーマとした親子対談集『ローマで語る』が、2009年に刊行されています。

イタリア映画、ハリウッド映画などジャンルを問わず、60作以上の名作について、面白い意見を述べている書籍です。

例えばフィリップシーモアホフマンが、小説家のカポーティを演じオスカーを受賞した『カポーティ』について。

筆者は本作を観た際、カポーティという天才作家を、傑作を描き上げるためなら手段を選ばない冷酷な男だと感じました。

正直、カポーティは不愉快な主人公で、映画自体もあまり好きになれなかったのです。

アントニオさんもカポーティに対して、「相手を思いやれない利己主義者」という意見を述べています。

しかし塩野さんは、「作家は作品のためなら、悪魔にさえ魂を売る。一般的な観客が共感できない映画だから観る価値がある」と主張。

確かに「共感できる映画」だけが名作ではありませんね。

天才の理解しがたい生き方を、装飾なしに伝えるのも映画だからこそできる表現方法です。

また同じ作家という表現者だからこそ、塩野さんはカポーティの人生に自らを重ねることができたのでしょう。

アントニオさんはハリウッドでは、映画製作チームでも最下位の仕事を担い、誰もやりたがらない仕事を引き受けていたそうです。

『副王家の一族』で務めたプロデューサーアシスタントも、会議でメモを取る下働き。

フリーターと変わらない扱いで、1つの仕事が終わると次の職探しをくり返すそうです。

不安定な仕事でありながら、映画への愛情を優先させる人生を送ってきたアントニオさん。

塩野さんは息子を心配しつつも、情熱に忠実に行動する彼のことを心から応援しているのでしょう。

塩野七生のファッションへのこだわり

次に塩野さんのファッションへのこだわりを見ていきます。

塩野さんといえば、おしゃれなマダムという印象が強いですね。

スニーカーさえ、イタリア製のハイトップスニーカーを着用しているとのことでした。

時計もカルティエなどトップブランドのものを身に着けているようで、高級ファッションにこだわっていることがわかります。

ファッションも文学と同じく、1つの芸術的な自己表現だと考えているのかもしれません。

そんな塩野さんは、かつて文藝春秋のコラムで、イタリアのブランド品の裏を映し出した番組を紹介しています。

番組は、イタリアのブランド品を製造する過程で、7割を中国からの輸入品で補っている実態を告発。

また不法滞在の中国人が商品を製作しているとのことでした。

塩野さんは安く出回っているブランド品が雑な工程で作られているので、注意喚起を呼び掛けたようです。

自身もブランド好きだからこそ、同じようにブランド品を愛する人のためを思って情報発信したのかもしれませんね。

なぜイタリア、ローマの歴史を描き始めた?

最後に塩野さんがイタリア、ローマの歴史を描き始めたきっかけを見ていきます。

1963年からイタリアに遊学し、モード記者となった塩野さん。

ヴァレンティノガラヴァーニを日本に紹介する記事も執筆しています。

またローマ時代の遺跡の数々を直接見て、地中海文化の偉大さを体感したようです。

68年に帰国後、イタリアの歴史を書き始め、『ルネサンスの女たち』で作家デビューしました。

きっかけは東京五輪をイタリアで観戦し、聖火ランナーの坂井義則さんの走りに感動したこと。

自分も造詣の深いイタリアについて書き残すことで、何らかの業績を残したいと考えたのでしょう。

70年からイタリアへ移住し、ローマ名誉市民となりました。

イタリア永住権を獲得し、ローマに長年住み続けています。

92年からは、古代ローマを描いた『ローマ人の物語』の執筆を開始。

イタリア史に対する日本人の関心を高めた功績は、イタリアでも評価されました。

しかし塩野さんの著作が、歴史書として、イタリア史の講義などに使われていることは一部から問題視されています。


あくまで歴史小説であり、史実とは異なる点があるのが塩野作品の特徴です。

内容をそのまま受け入れず、あくまで大河ロマンとして楽しむにとどめるのが、正しい受容方法のようですね。

塩野さん自身もおそらく、自身を歴史家ではなく、小説家と考えて執筆してきたのでしょう。

イタリアの歴史を通して、存分に自己表現を楽しんできた作家なのかもしれません。

塩野七生の現在。夫はイタリア人医師。父と母について。若い頃にイタリアへ

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