日本人離れした容姿と歌唱力でスケールの大きさを感じさせた歌手の尾崎紀世彦(おざききよひこ)さん。
早すぎる旅立ちを惜しむ声がいまだ多いですね。
晩年はお酒で体調を崩していたといわれていますが、死因は何だったのでしょうか。
性格やトレードマークだった太いもみあげについてもまとめました。
尾崎紀世彦のプロフィール
愛称:キーヨ
本名:尾崎紀世彦
生年月日:1943年1月1日
死没:2012年5月30日
身長:推定168cm
出身地:神奈川県茅ヶ崎市
最終学歴:YMCA国際ホテル学校
尾崎紀世彦の性格、優しさともろさ
まず尾崎さんの性格についてです。
尾崎さんは2012年、69歳で肝臓がんにより亡くなりました。
亡くなる直前、SNS上には事務所との契約終了後、失踪したという噂が生じています。
尾崎紀世彦が失踪しているとのこと。事務所との契約終了後一年以上公的に姿を現しておらず、最近はアルコールに浸る生活を送っていたらしい。
— カルヴァドス (@cornelius0321) April 23, 2012
アルコール依存症で、自宅は廃墟同然だったそうです。
関係者によると尾崎さんは、「人柄は良いが、精神的にもろかった」とのこと。
2度の離婚を経て、アルコールに依存してしまった点からも、この情報は信憑性が高そうです。
トップ歌手として活躍し、バラエティ番組にも積極的に出演していた尾崎さん。
テレビ番組に出演した際の様子からは、優しそうな性格がにじみ出ていた印象があります。
しかし優しい人ほど、強気で生きていくことが難しい傾向にありますね。
ストレスによって精神的に崩壊した結果、アルコールに頼り、肝臓がんを患ったのでしょう。
優しい性格が仇になってしまったのかもしれません。
尾崎紀世彦の死因&酒好きを心配する声
1971年の日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞した『また逢う日まで』があまりに有名な尾崎紀世彦さん。
軽快なイントロでおなじみのこの曲は、作詞・阿久悠さん、作曲・筒美京平さんのコンビによるもので、尾崎紀世彦さんを一躍トップシンガーに押し上げただけでなく、ミリオンセラーを記録しました。
卓越した声量とダイナミックな歌声が持ち味で、60歳をすぎても原曲のキーで同曲を歌っていたそうです。
声を維持するために30年禁煙するなど、歌に関してはストイックな一面をもっていたようですね。
晩年は表立って目立つ活動はなかったものの、仕事のオファーは途切れなかったという尾崎紀世彦さん。
しかし2011年4月に病気療養のため公演をキャンセルし、翌月には所属事務所との契約も解消しています。
以降は連絡がとれなくなり、世田谷区の自宅も留守にしているようすから、「失踪状態」と報じられる騒ぎにまで発展。
この時、じつはがんと闘い、入退院を繰り返していたことがのちに明らかになりました。
尾崎紀世彦さんは2010年に胃がんが発覚し、肝臓に転移。
翌年にかけて手術を繰り返したものの、回復は芳しくなかったとのこと。
舞台降板の意向を自ら伝えた関係者には、自分が末期がんであることを明かしていたそうです。
死去したのは2012年5月30日で、69歳でした。
死因は肝臓がんですが、最後は肺にも転移していたといいます。
なお、「31日死亡」とする媒体が多いですが、兄の彰彦さんによると誤報であり、30日が命日とのことです。
病名が公表されるまでは、アルコール依存症を危惧していた関係者が多かったようですね。
ワイルドな容貌とは裏腹に、精神的にもろいところがあったという尾崎紀世彦さん。
もっとビッグになれたはずなのに、お酒があだになったと断言する元チーフマネージャーも。
失踪騒動のさなかには弟の征彦さんも「過剰な飲酒で肝臓を壊した」と取材に答えていることから、お酒が手放せないタイプであったことがうかがえます。
尾崎紀世彦のトレードマークはもみあげ
尾崎紀世彦さんといえば、スルーできないのが豊かなもみあげ。
パワフルな歌唱が特徴で「和製トム・ジョーンズ」と称された尾崎さんですが、もみあげは晩年のエルヴィス・プレスリーを彷彿とさせます。
とりあえず、もみあげ凄笑笑 pic.twitter.com/bpyT6Xr1zN
— 歌南〜kanan〜 (@knnnov14) June 25, 2020
どこか往年のフランス俳優を思わせる色気も漂い、独特の個性が強烈なインパクトを与えた歌手でした。
ご本人はもみあげを「もみさげ」と呼んでいたそうですが、これほど存在感のあるもみあげにあまり違和感を感じないのは、やはり濃い顔立ちのおかげでしょう。
シンガーとしてのパフォーマンスが抜群なうえに、彫りの深い顔立ちともみあげの組み合わせもいいので、否応なしに大物感を感じます。
二度の結婚と離婚により、家庭とは縁遠かった印象が拭えない尾崎紀世彦さん。
けれども最期は元妻と子供たちの愛に包まれながら、初孫との思い出を胸に旅立っていったのではないでしょうか。
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コメント
歌が飛び抜けて上手かった。それは誰もが認めていること。でもそういう人達は何故か長生きが出来ない。才能と名声が結局そういう人達の命を縮めてしまう。尾崎さんも自由に生きているようでそうでもなかったのかもしれない。お酒も止められなかったし、本人もその影響をよく分かっていたと思う。モーッアルトやジミーヘンドリクス、渡辺茂雄天才バイオリニスト冨田勲みなある種の分野で飛び抜けた能力を持っていた人々の一生は非常に短くそれゆえに燃え尽きるのが早い。人生はその長さではなくそれぞれの賜物によっての期間であると哲学では言われている。彗星のごとく現れて、あっという間に消えていく。人々はそれを長く楽しむことができずその記憶と共に忘れ去られていく。しかし、再びいつか、どこかでその名前は現れその天才的な偉業は密かに語り続けられる。
ひと時でも賞賛されたのであれば
幸せだったのでは…
光と陰は 表裏一体 冷たい言い方ですが
何時迄も 老体で声が出なくなっても
しがみ付く様な生き方は尾崎にはして
欲しくなかったから
貴方を偲ぶ我々も 遠からず そちらに生きます
私は何を残したか…