野口英世の生家。母の手紙エピソード、姉と弟について。福島生まれで世界へ

梅毒や黄熱病の研究に全力を注いだ野口英世(のぐち ひでよ)。

偉大な細菌学者ですが、今回は彼の生い立ちや家族について見ていきましょう。

野口の生家、母の手紙のエピソード、姉、兄弟について、福島生まれという情報を確認します。

野口英世のプロフィール

幼名:野口清作(せいさく)

生年月日:1876年11月9日

死没:1928年5月21日

身長:153cm

出身地:福島県耶麻郡三ッ和村(現在の耶麻郡猪苗代町)

最終学歴:済生学舎(現在の日本医科大学)

野口英世の生家

まず野口の生家についてです。

生家は福島県の猪苗代湖畔にあり、今では「野口英世記念館」に当時のままの形で展示されています。

1876年(明治9年)に野口が生まれた納戸や、1歳半の時にやけどを負った囲炉裏も見学可能。

さらに19歳で医術開業の試験を受けるため上京した際、決意文を刻んだ床柱も保存されています。

床柱に刻まれた言葉「志を得ざれば再び此地を踏まず」からは、「必ず医者になる」という彼の固い決意がうかがえますね。

1823年(文政6年)に建てられた茅葺き屋根の生家を訪ねれば、野口の軌跡をたどることができるでしょう。

ちなみに、野口英世そっくりのロボットも、記念館の名物です。

ロボットが来館者の質問に答えるなど、野口の存在が身近になるよう工夫を凝らしている記念館といえますね。

母の手紙のエピソード

野口は1歳半の時、母シカが目を離している間に囲炉裏へ転落し、左手にやけどを負いました。

シカは自分を責め続け、左手が不自由になった息子に農家を継がせず、学問へ励むよう後押しします。

だからこそ、野口が外国で世界的細菌学者として活躍し始めると、誰よりも喜んだようです。

しかし一方で、息子が遠い存在になっていくため、寂しさを感じていました。

そこで息子へ「早く帰ってきて欲しい」と手紙を出すのです。

シカは幼少期から奉公に出ており、教育を受ける余裕がなかったため、文字を書けませんでした。

彼女が文字を勉強し始めたきっかけは、農家の副業として産婆を始めるため、免許取得の勉強が必要になったこと。

地元の寺の住職から読み書きを教わり、必死に勉強しました。

たどたどしい文章を書けるようになったシカは、「はやくきてくたされ(早く帰ってきてください)」で有名な手紙を息子へ出すのです。

凱旋帰国した野口は、故郷で母と再会していますが、母が文字を書いたことに驚いています。

さらにシカは苦学の末、産婆の国家試験に合格し、2千人もの子供をとりあげたそうです。

母子の深い愛情がうかがえるエピソードですね。

野口英世の姉は?

野口には2歳年上の姉イヌがいました。

彼女は幼少期から母の農作業を手伝っていたそうです。

左手の不自由な野口に代わり、イヌは婿養子をとり、農家を継ぎます。

野口は「立派な医者になって、姉ちゃんと母ちゃんを楽にする」と約束しました。

イヌは婿養子の山口善吾との間に、四男一女をもうけます。

そして弟の約束を信じ、仕事で得たわずかなお金を彼に与えて援助しました。

野口の死後は、「野口英世記念館」の仕事に従事し、来館者との記念写真にも応じたそうです。

そして1963年、90歳で大往生しています。

かつては家を継ぐことを嫌がったイヌですが、弟の夢をかなえてやるため、懸命に働きました。

弟が成功してからも、彼の功績を伝える活動に従事しており、非常に思いやり深い女性だったことがうかがえますね。

弟・清三の生涯

野口の弟は11歳年下の清三です。

高等小学校を卒業後、若松にある新城酒店へ見習奉公に入ります。

20歳で兵役に就き、除隊後は再び新城家へ戻ったのち、福島の洋服店へ弟子入り。

その後、北海道の遠藤房吉の養子となり、そこの娘サイと結婚し、三男一女をもうけます。

鉄道の仕事をしていた清三は、勤務中に負傷したため、野口が帰国した際故郷での再会は叶いませんでした。

清三は晩年、長男の一夫が暮らす大阪を訪れ、その三か月後に56歳で亡くなります。

偉大な細菌学者になった兄と再会できなかったのは、心残りだったことでしょう。

野口英世は福島生まれ

野口が生まれたのは福島県の猪苗代町です。

猪苗代町にある「野口英世記念館」では、生家の他にも2つの記念碑が見どころとされています。

記念碑の1つには野口が母校の翁島小学校へ贈った言葉「忍耐」と、猪苗代町長へ贈った英語とフランス語の文章が刻まれています。

もう1つは、「野口英世誕生地碑」で、碑の下には野口の頭髪が納められているとのこと。

アメリカに暮らすメリー夫人が、日本へ送ってくれたものです。

福島県の人々にとって、野口は世界に誇れる偉人といえますね。

彼は「福島を出て世界へ羽ばたきたい」という強い野心を抱いていました。

しかし異国の地でいつも彼の心に浮かんできたのは、懐かしい福島の風景だったに違いありません。

常に心の中で、「必ず立派な人間になって故郷へ帰る」と自分を奮い立たせていたのでしょう。


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