『月に吠える』や『青猫』を発表し、近代詩を開拓した萩原朔太郎(はぎらわ さくたろう)。
今回は萩原が実際にどんな人物だったのか見ていきます。
猫好きの一面がうかがえる作品、イケメンという評判、性格に迫りましょう。
併せて娘がエッセイストという情報、生家、生い立ちを確認します。
萩原朔太郎のプロフィール
本名:萩原朔太郎
生年月日:1886年11月1日
死没:1942年5月11日
身長:不明
出身地:群馬県前橋市
最終学歴:慶応義塾大学予科中退
猫好きではなく犬好き?
作品に度々猫を登場させていた萩原。
処女詩集『月に吠える』には、『猫』という詩が収録されていました。
屋根の上で2匹の黒猫が、「おわあ」「おぎゃあ」などと会話するシュールな作品です。
2021/01/10 🐈⬛🐈⬛✍️
「猫」/#萩原朔太郎#黙々と書写 #はぴすた原稿用紙 pic.twitter.com/1O02yuQbeX— いぬわん (@kennbowwow) January 10, 2021
猫の目線から人間を風刺する手法が使われているため、漱石の『吾輩は猫である』にも通じる作品といわれています。
さらに第二詩集のタイトルは『青猫』。
広大な都会にたたずむ作者が求める幸福を、「青い猫」になぞらえました。
さらに詩だけでなく、『猫町』や『ウォーソン婦人の黒猫』など、猫を主題とした短編小説も残しています。
読んでいてとても心地よく波長の合う、好きな作家さん。むかしつくった曲の歌詞は、ここからヒントを得たものが多かったんです🐈♫♡( ´ ▽ ` )ノ#萩原朔太郎#猫町 pic.twitter.com/RH5xIgZJzv
— N A G O M I❄ (@rosmarin_60) March 1, 2019
猫だらけの町が登場する『猫町』と、不気味な黒猫が描かれる『ウォーソン婦人の黒猫』は、怪奇小説として面白い作品です。
ただ萩原が飼っていたのは、「トコ」と「ノネ」という犬でした。
実は猫派ではなく犬派だったのです。
自ら飼うほどの猫好きではなかった萩原。
しかし神秘的な動物として心惹かれていたからこそ、作品に猫を登場させることで、愛撫しているつもりだったのでしょう。
萩原朔太郎はイケメン
萩原は現代人から見ても、文句なしのイケメンでした。
色白でやや陰のあるタイプのイケメンのため、「草食系」がもてはやされる現代に存命でも、かなりモテたに違いありません。
群馬県にイケメン多いってやってるけど、たしかに群馬県前橋市出身の詩人の萩原朔太郎、ハンサムだもんな。
#秘密のケンミンSHOW#ケンミンショー pic.twitter.com/Qz8ecQPfex— †┏┛旧支配者のくとぅるふくん┗┓† (@Kutuluu_iaia) September 12, 2019
文豪の中で一番イケメンなのはきっと萩原朔太郎。
異論は認める。 pic.twitter.com/K7ZYo1RFKA— 進士 素丸 (@shinjisumaru) August 26, 2019
黒々とした豊かな髪の毛に恵まれ、瞳が大きく、鼻筋の通った端正な二枚目。
美化された文豪が登場するゲーム・アニメ『文豪アルケミスト』が人気ですが、萩原は美化されるまでもなくイケメンといえます。
志賀直哉さんが連れてきてくれたのは、萩原朔太郎でした…!
文豪アルケミストのニコ生をタイムシフトでギリギリ聞いてて、ちょうどキャラ紹介だったからかな…?? pic.twitter.com/vGdZUUQuhr
— 葵(美依)@ゲームアカウント (@aoi_game0_0) November 3, 2016
#一番ルックスがタイプの作家を貼る
あんまり作家の顔わかんないけど、イケメンで有名な萩原朔太郎。
作家じゃなくて詩人?なのかなぁ? pic.twitter.com/BAVBgtFjlV— あまおう (@amaou0805) May 25, 2020
俳優やアイドルとして活躍していても不思議ではない端正なルックス。
文才と容姿に恵まれた人物のため、何らかのきっかけで女性ファンが急増する日が来るかもしれませんね。
繊細な性格で学校生活になじめず
萩原は生来、繊細な性格でした。
幼少期からふさぎ込みやすかったため、周囲の子供と遊ばず、1人でハーモニカを吹くのが趣味だったようです。
短歌や詩の才能は早くから開花させるものの、学校生活になじめなかったのか、学業は断念しました。
定職に就かず、マンドリン演奏しながら日々を送っていた時期もあります。
繊細なあまり、生きづらさを抱えながら、孤独に生きるしかない人だったのでしょう。
文才に恵まれていたお陰で詩人デビューできたのは、幸運だったといえますね。
萩原朔太郎の娘はエッセイスト
萩原の娘は、エッセイストの萩原葉子さんです。
8歳で両親が離婚し、前橋に住む祖母の家に預けられました。
葉子さんの祖母は権威的な人物で、再婚した萩原を圧迫し、離婚させています。
離婚ののち、萩原は55歳で亡くなりますが、葉子さんは小説『蕁麻の家』に顛末を描きました。
20歳から英文タイピストとして勤め、1944年に職場の上司だった大塚正雄と結婚、長男の朔美さんをもうけます。
1951年、教員を目指して定時制高校に入学し、國學院大学文学部国文科の夜間部へ進学。
その間に夫と離婚しています。
さらに教育実習で挫折し、56年に大学を中退。
翌年、同人誌『青い花』に父の思い出を執筆し、3年後には『父・萩原朔太郎』でエッセイストデビュー。
日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、専属作家となりました。
『閉ざされた庭』『輪廻の暦』『蕁麻の家』の三部作を完成させ、1999年に毎日芸術賞を受賞。
2005年に84歳で亡くなるまで、執筆活動を続けました。
父との思い出をつづった作品群は、萩原の人柄を今日に伝える貴重な資料といえます。
生家は開業医
萩原は今の群馬県前橋市千代田町一丁目で、開業医の息子として生まれました。
現在は萩原の生家跡であることを伝える石碑が建っています。
生家そのものは「敷島公園ばら園」へ移築され、さらに「前橋文学館」のある河畔緑地へ移築復元。
2017から「萩原朔太郎記念館」として一般公開されました。
【萩原朔太郎記念館】今日は小雨混じりの天気。午前中時間があるので、萩原朔太郎記念館と前橋文学を再訪。写真は萩原朔太郎記念館。生家を移築したもの。朔太郎の書斎と土蔵。土蔵の中には写真の展示。 pic.twitter.com/AE4meLx1VQ
— 横須賀のオジサン (@yokosuka023) February 16, 2020
萩原の生涯を伝える記念館は、地元の人々だけでなく、文学ファンから観光名所として親しまれています。
萩原朔太郎の生い立ち
萩原は開業医の父萩原密蔵と母ケイのもとで生まれます。
医者の跡取りとして期待されていましたが、6歳の時に目撃した遺体の解剖がトラウマとなり、ふさぎがちな性格になりました。
早々に医者の道を断念しますが、小学校を首席で卒業するほどの優等生だったそうです。
しかし繊細でふさぎがちな性格だったため、学校では孤立していたといいます。
友人のいなかった彼は、やがて短歌にのめり込み、学業を放棄。
中学高校は落第や中退をくり返し、大学受験は失敗しながらも、文才を開花させていくのです。
どこか陰のあるイケメン詩人だった萩原。
今なお人々の心を惹きつける神秘性を備えた文人といえますね。
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