池田貴族の心霊研究所とは。死因と闘病の支え。妻の苦労、寺尾玲子との関係

太く短く、そして密度の濃い人生を送った池田貴族(いけだきぞく)さん。

まるで花火のような人生に影響を受けた人は少なくない事でしょう。

池田貴族の心霊研究所とは

1999年に36歳という若さで亡くなった池田貴族さん。

生前はミュージシャンや作家、心霊研究家と多才な活躍。

その人柄と才能は今も多くの人々に愛され、支持され続けています。


池田貴族さんが世に出たきっかけは音楽。

1987年にロックバンド「remote」を結成すると原宿の歩行者天国、通称「ホコ天」で活動。

当時はまだ珍しかったビジュアル系バンドとして瞬く間に注目の的に。

そして1989年にはホコ天で人気No.1のバンドとして多数のファンを獲得。

自主制作で作ったカセットは数時間で数百本が完売し、ブロマイドはアイドルと並んで販売。

ライブでは失神するファンが続出するなど圧倒的な人気を誇りました。

また、この頃に偶然、心霊写真が撮影された事から心霊研究家としても活動を開始。

実は父親が霊能者で母親も霊感を持つという霊能力のサラブレッド。

池田貴族さん自身、誕生した時から既に歯が二本生えているという不思議な子供だったそうです。

心霊研究家として多数のメディアに出演し、書籍も出版。

「霊刻 -池田貴族心霊研究所-」というゲームのプロデュースも行いました。

ただ、池田貴族さんはゲームが発売される前に死去。

残念ながらゲームの発売と評判を見聞きする事は出来ませんでした。

また、予定されていたという続編の制作も中止する事に。

発売前に続編の制作が予定されていたという事は制作段階から評判を集めていたのでしょう。

きっと続編を心待ちにしていたファンも少なくないはず。

そんなファンならば押さえておきたいのが「池田貴族心霊研究所」というホームページ。

池田貴族さんのプロフィールを始め、心霊現象の研究に有益なキーワードや用語集に心霊写真も掲載されています。

ひょっとするとホームページがきっかけで霊能力に目覚めるなんて事があるかも。

池田貴族の死因とは

36歳という若さで亡くなった池田貴族さん。

死因となったのは癌でした。

亡くなる3年前に肝臓癌である事が発覚。

「沈黙の臓器」と言われる肝臓。

異常に気が付いた時には病気が相当進行しているという事も少なくありません。

池田貴族さんも見つかった肝臓癌はステージ2。

5年生存率は40%にも満たないという厳しい状況でした。

そのためすぐに肝臓の1/4を切除する手術を受ける事に。

そして手術は無事に成功するも、それから10か月後に癌が再発。

それ以降、手術と再発のイタチごっこで体重が10kgも減少してしまったそうです。

ただ、若いが故に癌の進行が早く1998年12月には肺に転移。

翌年の夏には肝臓癌が大量に増えてしまい、手術を受ける事すら出来なくなってしまったんだとか。

そして1999年12月25日に帰らぬ人となってしまいました。

きっと残された家族は人生で最も悲しみに暮れたクリスマスとなってしまった事でしょう。

闘病の支えとなったのは娘と音楽

「病は気から」という言葉がある通り、気持ちが病に与える影響は小さくありません。

支えとなるものがあれば闘病も頑張れるもの。

その一方で人生に悲観してしまうと闘病はただ辛いだけのものとなってしまいます。

3年に渡って癌との苦しい闘病が続いた池田貴族さん。

その支えとなっていたのは娘と音楽でした。

最初の肝臓癌発症から2年後に長女、美夕さんが誕生。

そして「3歳になれば覚えていてくれる」と娘への思いが闘病中の支えとなったようです。

1999年には娘に向けて「MiYOU」というシングルとアルバムをリリース。

みうらじゅんさんを始め、いとうせいこうさんや山田雅人さんなど多くの友人がレコーディングを支えてくれたんだとか。

また、ミュージシャンとしての生き様を多くのファンに見届けて欲しかったのでしょう。

2度に渡って「大生前葬」と銘打ったチャリティーライブを開催しています。


チャリティーライブという事で費用を極力抑えるため、多くの関係者が無償で協力。

池田貴族さんの高校の先輩にあたる舘ひろしさんもノーギャラでライブに出演してくれたそうです。

多くの人々の協力のおかげで会場には超満員となる3000人のファンが。

ライブは大成功に終わり、収益金は全額、あしなが育英会に寄付されました。

このように娘と音楽を支えにして闘病を続けた池田貴族さん。

1999年12月25日に亡くなった時、娘はまだ1歳10か月。

「娘が3歳になるまで」という願いが叶う事はありませんでした。

おそらく美夕さんには池田貴族さんと共に過ごした記憶は残っていないでしょう。

ただ、池田貴族さんのDNAは間違いなく美夕さんに受け継がれています。

それは美夕さんが過去に芸能活動を行っていた事からも明らかと言えるでしょう。

かつて「Sluggers」という地下アイドルグループに所属しており、脱退後はソロとして歌手やグラビアアイドルとして活躍。

池田貴族さんの娘という事もあり、多くの人々が目をかけてくれていたようです。

ですが芸能界からは程なくして引退。

すでに結婚しており、子供も誕生しています。

きっと今後は自分が経験できなかった両親が揃った温かい家庭で子供に惜しみない愛情を注いでいく事でしょう。

妻は介護福祉士になっていた

1996年に癌を発症した池田貴族さんが結婚したのは1997年のこと。

お相手はアイドルとして活動していた事もある一美さん。

1993年に番組で共演した事が縁となり交際に発展。

そして3か月後には同棲がスタート。

当時は二人で幸せな家庭を築く事を夢見ていた事でしょう。

そのため肝臓癌が見つかった時はまさに「絶望の底に突き落とされた」ような思いだったはず。


その後、妻、一美さんの妊娠が判明した事もあり1997年7月に結婚。

翌年、娘が誕生してからは幼い娘を抱えながら24時間ほぼ付きっ切りの看病の日々。

初めての育児というだけでも大変なのに看病まで。

一美さんにかかる負担は想像を絶するものがあります。

このような暮らしを続けた事で心身が限界を迎えてしまったのでしょう。

看病を拒絶するようになり、同意書へのサインも拒否。

病室にいる事すら耐えられなくなってしまったそうです。

そしてまともに会話をする事なく死別する事となってしまいました。

この時、一美さんを襲っていたのは「予期悲嘆」という症状。

池田貴族さんの死後は鬱状態となり、自宅に引きこもり黒い服ばかり着るように。

そして年月が過ぎ、症状が回復するにつれて襲ってきたのが後悔の念。

「もっとこうしてあげれば良かった」と今も後悔し続けているんだとか。

そんな思いを払拭するため一美さんが選んだのが介護福祉士の道。

そして今や介護なら何でもこなせる「介護のスペシャリスト」と呼ばれるまでに。

ここまで介護の仕事を続けられたのは池田貴族さんへの思いがあったから

きっと「池田貴族さんにしてあげられなかった分まで」という思いが原動力となったのでしょう。

池田貴族も寺尾玲子を信頼していた

2023年現在、霊能力者としてカリスマ的な存在なのが寺尾玲子さん。

心霊コミック誌「HONKOWA」の「心霊質問箱」が大人気で相談の経過がコミック化される事も。

霊障のお祓い経験も多数あり、今や「日本最強」と呼ばれる事も少なくありません。

その霊能力は池田貴族さんもお墨付き。

「信用できる霊能者のひとり」としてその名を挙げ、心霊スポットを共に探訪した事もありました。

また、自分の身に異変が起きた時には寺尾玲子さんにお祓いを依頼していたそうです。

お祓いを依頼するという事は信頼を寄せている何よりの証拠。


霊能力が無い人にお祓いを依頼しても何の意味もありませんからね。

これだけ池田貴族さんが信頼していた寺尾玲子さん。

霊能力者としての地位と人気を得られたのも当然と言えるでしょう。

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