谷口千吉の子供は?若山セツ子、八千草薫らと3度の結婚。代表作の映画を紹介

1949年に三船敏郎さんのデビュー作『銀嶺の果て』を監督した、谷口千吉(たにぐち せんきち)さん。

日本映画黄金期の1950年代に活躍し、女優の八千草薫さんと結婚したことで知られています。

今回は谷口さんの子供と元妻・若山セツ子さん、最後の妻・八千草さんとの結婚情報を確認しましょう。

併せて代表作の映画『銀嶺の果て』と『潮騒』をご紹介します。

谷口千吉のプロフィール

本名:谷口千吉

生年月日:1912年2月19日

死没:2007年10月29日

身長:不明

出身地:東京都

最終学歴:早稲田大学文学部英文科中退

谷口千吉の家族と子供をめぐる謎

谷口千吉さんは、日本映画界を代表する監督の一人として知られています。

その作品や業績については多くの情報がありますが、私生活、特に子供に関する情報は非常に限られています。

谷口千吉の子供に関する情報の不確かさ

谷口さんの子供に関する情報は、非常に曖昧で不確実なものが多いのが現状です。


公式な記録や信頼できる情報源からの確認が難しく、多くが推測や噂に基づいているようです。

このような状況は、プライバシーの保護や当時の芸能界の慣習などが影響している可能性があります。

谷口さんには、過去の結婚で子供がいたという情報もありますが、これも確実性が高いとは言えません。

子供の有無や詳細については、様々な理由から公にされていない可能性が高いと考えられます。

このような情報の不確かさは、谷口さんの私生活に対する世間の関心をさらに高めているようです。

一方で、子供の存在が確認できないことから、谷口さんが子供を持たなかった可能性も考えられます。

映画監督という多忙な職業柄、家庭生活よりも仕事を優先せざるを得なかったのかもしれません。

また、当時の社会情勢や個人的な事情により、子育てが難しい環境にあった可能性も否定できません。


しかし、これらはあくまで推測に過ぎず、実際の事情は不明のままです。

谷口さんの作品の中には、家族や親子関係をテーマにしたものもあるかもしれません。

そのような作品を通じて、谷口さんの子供や家族に対する考え方を垣間見ることができるかもしれません。

例えば、親子の絆や家族の在り方について、独自の視点を提示している可能性があります。

また、子供の成長や教育に関する問題を扱った作品があれば、谷口さんの子育てに対する考えが反映されているかもしれません。

しかし、作品と私生活を直接結びつけるのは危険であり、慎重に解釈する必要があります。

芸術作品は必ずしも作者の実体験や個人的な考えを反映しているとは限らないからです。

谷口さんの子供に関する情報が少ないことは、逆に彼の職業倫理や私生活の尊重を示しているとも考えられます。


プライベートな情報を公にしないことで、作品そのものに注目してもらいたいという意図があったのかもしれません。

また、家族や子供を公の場に出さないことで、彼らを世間の注目から守ろうとした可能性も考えられます。

このような姿勢は、現代の芸能人や著名人にも通じるものがあり、参考になる点も多いでしょう。

谷口さんの子供に関する情報が少ないことは、彼の人生や作品をより深く理解するための一つの手がかりになるかもしれません。

例えば、作品の中で描かれる家族像や子供の描写に、谷口さんの個人的な思いが反映されている可能性があります。

また、インタビューや著作の中で、家族や子育てに関する言及があれば、それが貴重な情報源となるかもしれません。

しかし、そのような情報を解釈する際には、時代背景や社会状況も考慮に入れる必要があります。

谷口さんが活躍した時代と現代では、家族観や子育ての概念が大きく異なる可能性があるからです。


結局のところ、谷口さんの子供に関する確実な情報は非常に限られています。

しかし、この事実自体が、谷口さんという人物の一面を表しているとも言えるでしょう。

私生活を公にしない姿勢は、作品に対する真摯な態度の表れかもしれません。

また、家族や子供を守ろうとする意識の表れとも解釈できます。

谷口さんの子供に関する情報の少なさは、彼の人生や作品をより深く考察するきっかけを私たちに与えてくれているのかもしれません。

若山セツ子は元妻

谷口千吉さんの元妻は、女優の若山セツ子さんです。

谷口さんは生涯で3度結婚しています。

1938年に脚本家の水木洋子さんと結婚したのち、翌年にスピード離婚しました。

1949年、初監督作品『銀嶺の果て』で知り合った、女優の若山セツ子さんと再婚します。

若山さんは東宝所属の清純派女優で、『青い山脈』の丸メガネに三つ編みがトレードマークの女学生役で人気を博していました。

しかし1956年、夫の谷口さんが『乱菊物語』で知り合った八千草さんと不倫。

結果的に彼は若山さんと破局し、八千草さんと3度目の結婚に至るのです。


突然夫に捨てられた若山さんは、さぞショックを受けたことでしょう。

その後彼女は、1956年の『サザエさん』をはじめ東宝映画に多数出演したのち、61年に病気で一時引退。

10年後に復帰するものの、次第に精神が不安定になり、1973年の『婦系図 前後篇』を最後に事実上引退します。

姉と母を失ってからは精神状態が悪化してしまい、強制入院させられました。

ついに1985年5月9日、調布市にある入院先の病院で首吊り自殺します。

かつての清純派スターは、55年の悲劇的な生涯を終えました。

精神病の直接的な原因が、谷口さんの不倫によるショックだったかはわかりません。

しかし若山ファンの人であれば、谷口さんと八千草さんが幸福な夫婦生活を送っている姿に、複雑な思いを抱いたことでしょう。

八千草薫との結婚

1957年、谷口さんは周囲の反対にもかかわらず、不倫相手の八千草さんと再々婚しました。

しかしスキャンダルでバッシングを浴びた結果、夫婦は映画界から一時的に干されてしまうのです。

谷口さんは3年ほど、映画を撮影できませんでした。

結婚披露宴では、「三度目の正直で、今度は長続きする」と発言。


捨てられた若山さんからすれば、身勝手な発言と思えたに違いありません。

結果的には彼の発言通り、谷口夫婦は50年もの月日を共に過ごしました。

2人とも登山という共通の趣味があったため、休日には夫婦で山歩きを楽しんだようです。

晩年は車いす生活を送った谷口さんですが、八千草さんが献身的に面倒を見ました。

彼は2007年に95歳で、肺炎により亡くなります。

許されざる関係から、おしどり夫婦となった2人。

2019年に八千草さんも亡くなり、今では夫婦で楽しく過ごしているのかもしれません。

ただし若山さんが2人をどのように迎え入れるのかについては、なかなか想像しにくい点ですね。

代表作の映画

谷口さんは監督として、数々のヒット作を生み出しました。

中でも代表作といえるのは、1949年の『銀嶺の果て』と、1954年の『潮騒』でしょう。

『銀嶺の果て』は監督と、東宝所属の俳優・三船敏郎さんの双方にとってデビュー作となりました。

黒澤明によるオリジナル脚本『山小屋の三悪人』を、谷口さんが映画化。


3人組の銀行強盗が山小屋に逃げ込むストーリーの、手に汗握るアクション映画です。

冬の日本アルプスと、三船さんの強烈な個性が輝く秀作といえます。

なお本作は、音楽を担当した伊福部昭さんにとっても、映画音楽家デビュー作でした。

谷口さんといえば『銀嶺の果て』の印象が強いかもしれませんが、『潮騒』も根強いファンがいる作品です。

三島由紀夫による同名小説は、1964年の吉永小百合さん主演作をはじめ、何度も映画化されてきました。

しかし初の映画化は、谷口監督、青山京子さん主演の1954年版です。

谷口さんの特徴だった荒削りで野性的な映像美と、青山さんのエネルギッシュな演技が今なおファンの心を惹きつけています。

吉永さんや山口百恵さんの『潮騒』とはひと味違う、庶民的な魅力に満ちた青山版を楽しんでみるのもおすすめですね。


大女優の夫として生涯を終えた谷口さん。

スキャンダラスな人物だったとはいえ、彼の作品自体は決して古びず、いつまでも輝きを放ち続けるでしょう。

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