浅田美代子、さんまとの関係&樹木希林の車。天然の性格、母とのエピソード

70年代、国民的人気番組『時間ですよ』の「隣のみよちゃん」として大ブレイクし、90年代には天然キャラの性格がお茶の間に大ウケして再ブレイクを果たした浅田美代子(あさだみよこ)さん。

そのキャラクターを見いだした明石家さんまさんとは過去に熱愛疑惑が浮上したこともありました。

また『時間ですよ』での共演以来、公私にわたって親交が深かった樹木希林さんからは車を譲り受けたそうですが、どんな車なのでしょう。

結婚に猛反対した母を説得してくれたのも希林さんだったようです。

浅田美代子のプロフィール

愛称:美代ちゃん、美代子さん

本名:浅田美代子

生年月日:1956年2月15日

身長:157cm

出身地:東京都港区

最終学歴:東京女学館高等学校中退

所属事務所:テアトル・ド・ポッシュ

浅田美代子とさんまの熱愛疑惑

浅田美代子さんと明石家さんまさんは、長年にわたり親密な関係にあることで知られています。

二人の関係性については、様々な憶測が飛び交ってきましたが、実際のところはどうなのでしょうか。

噂の真相と二人の絆

浅田さんとさんまさんの関係は、単なる共演者以上の深い絆で結ばれているように見受けられます。


長年にわたる共演や交流を通じて、二人の間には特別な信頼関係が築かれてきたと考えられます。

しかしながら、熱愛の噂については、両者ともに否定的な見解を示しています。

浅田さんは、さんまさんとの関係を「同級生」や「男同士」のような感覚だと表現しており、恋愛感情とは異なる友情関係であることを強調しています。

さんまさんも同様に、浅田さんとの交際を否定しています。

テレビ番組での発言によれば、二人で生活を共にすることは「ムリムリ」だと笑って語っており、恋愛関係にはないことを明確にしています。

興味深いことに、浅田さんは「さんまさんと付き合っているという噂のせいでモテなかった」と述べています。

これは、二人の関係が世間的に注目を集めていたことを示唆しており、噂が浅田さんの私生活にも影響を与えていたことがうかがえます。

一方で、浅田さんは「一緒の部屋で一晩過ごしても何も起こらない自信がある」と発言しています。


これは、二人の関係が純粋な友情に基づいていることを強調するものだと解釈できます。

しかし、さんまさんの反応はやや異なっています。

彼は「同じ部屋なら僕ちょっかい出すと思う」と冗談めかして述べており、二人の関係性に対する見方に微妙な違いがあることがわかります。

浅田さんとさんまさんの関係は、以下のように特徴づけられるでしょう。

  • 長年の共演による深い信頼関係
  • 恋愛感情ではなく、友情に基づく絆
  • 世間の注目による私生活への影響
  • 二人の関係性に対する微妙な認識の違い


このような関係性は、芸能界では珍しいものかもしれません。

二人は互いを理解し、尊重し合う関係を築いているように見受けられます。

浅田さんは、さんまさんとの関係について「仲良すぎて男同士みたいな感じ」と表現しています。

これは、二人の間に性別を超えた友情が存在することを示唆しています。

また、浅田さんはさんまさんが主催するゴルフ合宿に参加することがあるそうですが、それに対して「恐怖を感じている」とも語っています。

これは、さんまさんとの関係が必ずしも常に快適なものではなく、時には緊張感を伴うものであることを示唆しています。

二人の関係は、芸能界での長年の付き合いを通じて培われた特別なものだと言えるでしょう。

互いの個性を理解し、尊重し合いながら、純粋な友情を築いているように見受けられます。

しかしながら、このような親密な関係性が、世間の誤解や憶測を招いてきたことも事実です。


浅田さんが「彼氏ができない時期があった」と語っているように、二人の関係に対する世間の注目が、彼女の私生活にも影響を与えていたことがわかります。

一方で、この関係が二人のキャリアにポジティブな影響を与えた面もあるでしょう。

長年にわたる共演を通じて、二人は互いの芸能活動を支え合ってきたと考えられます。

浅田さんとさんまさんの関係は、単純に恋愛や友情といった枠組みでは捉えきれない、複雑で深い絆で結ばれているように思われます。

二人の関係性は、芸能界における長年の付き合いから生まれた、独特な形の絆だと言えるでしょう。

このような関係性は、芸能界ならではのものかもしれません。

長年にわたる共演や交流を通じて、互いを深く理解し、支え合う関係を築いていくことは、芸能人ならではの経験だと言えるでしょう。

浅田さんとさんまさんの関係は、芸能界における男女の友情の可能性を示す一例として、多くの人々の関心を集めてきました。

二人の関係性は、単なる噂や憶測を超えて、互いを尊重し合う深い絆として存在しているように見受けられます。

芸能界の母・樹木希林から譲り受けた車

樹木希林さんと会うたびに「美代子をよろしく」と言われていたというさんまさん。

浅田美代子さんが樹木希林さんと出会ったのは1973年にスタートした『時間ですよ』の第3シリーズでした。

以来、45年にわたって深くつきあってきた二人。

希林さんは大先輩というだけでなく、芸能界の母であり、親友でもありました。

ドラマでの運命の出会いから、結婚、離婚、母の死という人生の節目節目で、いつもそばにいてくれたのも希林さんだったそうです。

デビューの5年後、浅田美代子さんは21歳で吉田拓郎さんと結婚。

熱愛が報じられた時、吉田拓郎さんには妻と子がいました。

当然のごとく、浅田さんの両親は結婚に猛反対。


心配した樹木希林さんは、夫の内田裕也さんとともに吉田さんに結婚の意思を確かめに行き、つぎに浅田さんの母を説得。

結婚が決まり、芸能活動をやめるかどうか悩んでいた時も、主婦業がちゃんとできれば、どんな仕事もできると言って背中を押してくれたそうです。

この言葉で気持ちの整理がついて、一度専業主婦に徹することに決めたという浅田さん。

30代から40代へ、さらに50代へと年齢を重ねていくなかで、常に隣でどっしりと構えてくれていた先輩はどんなにか心強かったことでしょう。

浅田美代子さんの2024年現在の愛車は樹木希林さんから譲り受けた車です。

父親が自動車修理工場を経営していたせいか、自動車のメカニズムにはずいぶん詳しいようです。

20年以上前に譲り受けたというその車は、白いクラシックカーのバンデン・プラ・プリンセス。

通称「バンプラ」といい、日本では「ヴァンデン・プラス」「ヴァンデン・プラ」などと表記の揺れがあるとのこと。

日本では聞き慣れない名前ですが、バンデン・プラはかつてイギリスとベルギーに存在した自動車メーカーなのだそう。

母親の入院以降は病院に頻繁に通うことになり、小さな車が必要になった浅田さん。

以前から希林さんのバンプラを気に入っていたことから、ストレートに「欲しい」とおねだりしてみると、あっさりと譲ってくれたのだそう。

ナンバーもそのまま受け継いだそうですが、浅田さんに関係のある数字だったのは偶然とのことです。

浅田美代子の性格はやはり天然だった

日常生活で天然の失敗が多いという浅田美代子さん。

みんなから愛され続ける元祖天然ということで、それを物語るエピソードには枚挙にいとまがありません。

結婚式の祝福コメントで「あけましておめでとうございます」、お葬式で「二次会どこ?」。

「二次会はないよ」とやさしく教えてくれたのは佐藤浩市さんでした。

刑事役のドラマ撮影終了後、犯人は誰だったのか訊ねたことも。


明石家さんまさんに「金曜日って何曜日?」と聞いた話は、もはや伝説として語り継がれるレベルでしょう。

ちなみにこの話には続きがあり、さんまさんが「火曜日ちゃいまっか?」と返すと、「ああ、そうだった」と納得。

よい年齢をした大人が、天然すぎる言動をくり返すというのは狙ってできるものではありませんから、やはり根っから天然な性格なのでしょう。

浅田美代子の母はすでに他界

浅田美代子さんの両親は離婚しており、母・順子さんは離婚後、自ら仕事を探してゴルフ関連の会社で働くようになりました。

子供の世話になりたくないという理由だったそうです。

仕事をやめて同居することを浅田さんが提案したのは、母が還暦を過ぎた頃。

その後、順子さんは68歳で急性リンパ性白血病を発症。

治療をしなければ余命は1か月と医師に告げられたそうです。

順子さんは抗がん剤治療によるつらい闘病生活を2年送り、2001年に70歳で亡くなりました。

若くして芸能界入りした娘には、芸能人は特別な人間ではないこと、傲慢にならないことをよく言い聞かせたようです。

一本筋の通った、本当にかっこいい母だったと振り返っています。


2024年に68歳を迎えた浅田美代子さん。

飾らない人柄とかわいらしさで、これからも多くの人に愛されていくのでしょう。

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