元アイドルで、今やベテラン女優の浅田美代子(あさだ みよこ)さん。
吉田拓郎さんと結婚後は一時引退しましたが、1983年に離婚後、芸能界にカムバックしました。
今回は浅田さんと吉田さんが結婚に至ったきっかけと、出会った経緯を見ていきましょう。
また2人に子供はいるのか確認し、離婚理由とされる森下愛子さんとの三角関係に迫ります。
浅田美代子のプロフィール
愛称:美代ちゃん、美代子さん
本名:浅田美代子
生年月日:1956年2月15日
身長:157cm
出身地:東京都港区
最終学歴:東京女学館高等学校中退
所属事務所:テアトル・ド・ポッシュ
浅田美代子と吉田拓郎:運命的な出会いと波乱の結婚
浅田美代子さんと吉田拓郎さんの結婚は、1970年代の日本の芸能界を賑わせた大きな話題でした。
二人の出会いから結婚に至るまでの道のりには、若さゆえの情熱と、周囲の反対という障害が交錯していました。
ラジオ番組での運命的な出会い
浅田さんと吉田さんの出会いは、まさに運命的なものだったと言えるでしょう。
当時19歳だった浅田さんは、すでに人気女優として活躍していました。
一方、28歳の吉田さんは、フォークシンガーとして確固たる地位を築いていました。
二人の出会いは、吉田さんのラジオ番組に浅田さんがゲストとして呼ばれたことがきっかけでした。
番組は吉田さんの進行で和やかに楽しく進み、浅田さんは「吉田さんのおかげで楽しかった」と感じたそうです。
この出会いが、二人の関係の始まりとなったのです。
その後、吉田さんは共通の知人から浅田さんの電話番号を入手し、突然浅田さんの自宅に電話をかけたと言われています。
この大胆な行動が、二人の関係をさらに深めるきっかけとなったようです。
浅田さんは当時、売れっ子のアイドルとして忙しい日々を送っていましたが、同時に青春を楽しめないことへの不満も抱えていたと言われています。
そんな中での吉田さんとの出会いは、浅田さんにとって新鮮な刺激となったのかもしれません。
二人の交際は、芸能界の枠を超えた話題となりました。
人気女優と人気フォークシンガーの恋愛は、多くの人々の注目を集めたのです。
しかし、この関係に対しては、浅田さんの両親が強く反対したと言われています。
「まだ19歳だし、相手がミュージシャンだなんてあり得ない」という両親の言葉は、当時の社会の価値観を反映していたのかもしれません。
このような状況の中で、浅田さんの背中を押したのが、女優の樹木希林さんでした。
希林さんは、浅田さんに対して結婚を後押しする言葉をかけたと言われています。
「専業主婦をちゃんとやれたら、人間として何でもできるようになるわよ」という希林さんの言葉が、浅田さんの決断に大きな影響を与えたと考えられます。
吉田さんからのプロポーズは、二人の行きつけのバーで行われたそうです。
吉田さんがコースターの裏に「結婚しよう」と書いて渡したという、シンプルながら印象的なプロポーズでした。
浅田さんはこのプロポーズを喜んで受け入れたと言われています。
結婚後、浅田さんは芸能界を引退し、主婦業に専念することを選択しました。
この決断は、当時の社会における「良妻賢母」の価値観を反映していたのかもしれません。
一方で、この決断は浅田さん自身の意思によるものであり、新しい人生への挑戦でもあったと考えられます。
1977年、浅田さん21歳、吉田さん30歳の時に、二人は結婚の誓いを立てました。
この結婚は、当時の芸能界に大きな衝撃を与えました。
人気女優と人気フォークシンガーの結婚は、多くのファンを驚かせ、メディアを賑わせたのです。
結婚式はハワイ・ワイキキの教会で行われ、当初は反対していた浅田さんの父親も感涙したと言われています。
この結婚を通じて、浅田さんと吉田さんは新しい人生のステージに踏み出しました。
二人の結婚生活は、互いの個性を尊重し合いながら、新しい家庭を築いていく過程でもありました。
しかし、芸能人同士の結婚生活は、一般的な夫婦とは異なる困難も伴ったことでしょう。
公私の境界線が曖昧になりがちな環境の中で、二人は試行錯誤しながら関係を築いていったと推測されます。
浅田さんと吉田さんの結婚は、1970年代から80年代の日本社会の変化を象徴する出来事でもありました。
二人の関係は、芸能界における男女の関係性や、結婚観の変化を映し出す鏡となったのです。
この結婚を通じて、浅田さんは新たな人生経験を積み、後の芸能活動にも大きな影響を与えることとなりました。
浅田美代子の子供は?
浅田さんと吉田さん夫婦に、子供はいたのでしょうか。
どうやら浅田さんは出産したくなかったようで、子供はいないとされています。
「不妊治療を受けた」という噂が流れたこともあるようです。
結婚後は主婦業に専念したものの、もしかすると芸能界復帰を考えていたのかもしれません。
復帰を前提に考えると、子供の存在が仕事に支障をきたす可能性は高いでしょう。
実際に浅田さんは、結婚から7年後の1984年に離婚し、復帰してからは次々と映画やドラマに出演しています。
2019年には、恩人である希林さんの協力により、『エリカ38』で45年ぶりの映画主演を果たしました。
元々女優業への情熱が高く、復帰を常に考えていたからこそ、子供を産まない選択をしたのかもしれませんね。
離婚理由は森下愛子との三角関係
浅田さんと吉田さんはなぜ離婚したのでしょう。
1983年6月、吉田さんと女優・森下愛子さんの交際が報じられます。
2人が深夜にデートする様子が、週刊誌にスクープされたのですが、浅田さんはあくまで落ち着いた対応を取りました。
「拓郎は愛子さんのファンだから、一緒にお酒を楽しんだんじゃないの」と語り、夫の不倫を否定。
彼女は同年中に主婦生活を終え、芸能界に復帰を果たしました。
夫の不倫と芸能界復帰の関係性を問い詰められると、「浮気性はあの人の癖。全然心配していない」と答えています。
一大スキャンダルに発展するのを避けるためか、当初は堂々と離婚を否定していたのです。
しかし1983年、ついに離婚協議が成立し、翌年に離婚しました。
浮気癖のある色男だった吉田さんは、1986年に森下さんと再々婚。
以降は落ち着いたのか、2024年現在も夫婦関係は続いています。
結婚生活では、奔放な夫との関係やスキャンダルへの対策に苦労した浅田さん。
私生活での不満を解消するため、さまざまな仕事を引き受け、振り幅の広い芸能人になれたのかもしれませんね。
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