苅谷俊介の娘、現在と家族について。妻との絆とは。秦野で考古学研究

かつて「石原プロモーション」に所属し、『西部警察』の源田刑事役で人気を誇った苅谷俊介(かりや しゅんすけ)さん。

2023年には77歳を迎えますが、最近はどのように過ごしているのでしょう。

今回は苅谷さんの娘の詳細を確認しつつ、現在(2023)は家族、妻と暮らしているのか見ていきます。

併せて神奈川県秦野市在住という情報と、考古学者としての活動に迫ります。

苅谷俊介のプロフィール

本名:苅谷俊彦

生年月日:1946年11月26日

身長:178cm

出身地:大分県日出町

最終学歴:大分県立大分工業高等学校

所属事務所:土舞台

苅谷俊介、娘の教育

まず苅谷さんの娘について見ていきます。

苅谷さんに娘がいることはわかっていますが、一般人のため詳しい情報はありません。

彼は教育熱心で、娘さんとの入浴中、現存する最古の和歌集『万葉集』全20巻の内容を覚えさせたそうです。

かつて家庭の事情で大学進学を諦めたため、娘さんにはきちんと教育を授けたかったのでしょう。

おそらく彼女は父の影響で、勉強の習慣が身についたはず。

職業の詳細はわかりませんが、きっと大学まで進学し、真面目な社会人に成長した可能性が高いでしょう。

また苅谷さんは個人事務所「土舞台」に所属しており、同社は奥さんが取締役を務めてきました。

もしかすると娘さんも、両親が運営してきた事務所の雑務を手伝っている可能性もありそうですね。

いずれにせよ親子3人仲良く、支え合いながら暮らしてきたのでしょう。

苅谷俊介の現在(2023)。家族、妻との絆

苅谷さんは1982年に石原プロを退社し、俳優業の傍ら、趣味の考古学の勉強に時間を費やすようになります。

さらに農業を開始し、俳優とアマチュア考古学者として活動しながら、畑を耕して生活してきました。

2012年のSNSへの投稿文を見ても、妻、娘、愛犬と共に幸せな生活を送ってきたことがうかがえます。

1969年、女優志望だった英子さんと結婚。

彼女は劇団四季への入団を目指していましたが、苅谷さんは「試験に落ちたら結婚する」と約束させたそうです。

結果的に四季の試験に落ちた彼女は、約束通り女優の道を辞めて、夫に尽くし続けました。

結婚40年目の2009年には、夕方放送枠の番組「レディス4」へ夫婦で出演し、修善寺でのロケを楽しんでいました。

修善寺は夫婦が初めて旅行した場所とのこと。

思い出の場所を再び訪れ、互いの愛を確かめ合ったに違いありません。


英子さんは、夫の個人事務所「土舞台」の取締役も務め、彼を公私共に支えてきました。

しかし晩年にはアルツハイマー病を患い、2020年4月に悪性リンパ腫によって死去。

英子さんは亡くなる5日ほど前、大きな声で「あー」と言ったそうです。

数か月間看病してきた苅谷さんは、彼女が「ありがとう」と言っていることがわかりました。

「お前幸せか」と聞くと、大きくうなずいてくれたといいます。

夫のためにひたすら尽くした人生でしたが、きっと彼女は幸せを噛みしめていたのでしょう。

愛犬も亡くなり、娘は独立したため、2023年現在苅谷さんは一人暮らしをしている様子です。

亡き妻への感謝を胸に、毎日ご飯やおやつを仏壇に供えて、自分はお下がりを食べているとのこと。

寂しさを感じながらも、妻とのかけがえのない日々を思い返し、前向きに余生を送るつもりなのでしょう。

秦野在住で考古学者に

苅谷さんは2003年頃から、神奈川県秦野市に暮らしています。

秦野を生活拠点に選んだ理由は、「自然豊かで焚火ができる」ためだったそうです。

自ら薪を割り、友人を招いて火を囲むこともあるようでした。

ただ焚火をする最大の理由は、「作った土器を焼くため」とのこと。

土器の発掘も趣味ですが、自ら作ることもあるほど、考古学への情熱が高いことがうかがえますね。

考古学に目覚めたきっかけは、高校2年生のとき、授業をさぼる目的で近所の発掘現場に通ったことでした。

発掘の面白さにのめり込みますが、役者になってからは考古学から遠ざかります。

転機になったのは1980年、事務所社長の石原裕次郎の新居建設現場から、土器と遺跡が出土したこと。

再び考古学への関心が高まった苅谷さんは、「独立したい」という表面上の理由を述べ、石原プロモーションを円満退社。

仕事の合間に自由な時間を確保しつつ、考古学の研究に邁進しました。

全国30か所以上の遺跡調査に関わり、古代史を扱った著書や論文も発表。

また邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡(まきむくいせき)」の研究に携わり、2009年の発掘調査には連日参加したそうです。

邪馬台国の位置については、「九州説」と「畿内説」があります。

もし纒向遺跡の「箸墓古墳」が邪馬台国の女王・卑弥呼の墓だとすれば、「畿内説」が確定するはずです。

歴史の教科書の情報を変えるかもしれない一大プロジェクトに、苅谷さんが興奮しながら参加していたことがうかがえますね。

彼は京都橘大学で客員教授も務めながら、日夜研究に従事しています。


著書も出版している以上、彼はもはやアマチュアではなく、プロの考古学者と呼んでもよさそうですね。

俳優、考古学者、農業従事者として秦野での生活を満喫している苅谷さん。

生き方が多様化する社会において、彼の充実した生き方は、人生を模索する人々の指標になることでしょう。

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