渡哲也の兄弟たち。渡瀬恒彦、家族について。淡路島の実家とは

日活出身の硬派な男優として活躍し、後年は「石原プロモーション」の代表も務めた渡哲也(わたり てつや)さん。

2020年に78歳で惜しまれつつ亡くなりました。

2017年に亡くなった弟の渡瀬恒彦さんも名優でしたが、2人には他にも兄弟がいました。

今回は渡さんについて、渡瀬さん及び他の兄弟、家族の情報を確認します。

また淡路島の実家についても詳しく見ていきましょう。

渡哲也のプロフィール

本名:渡瀬道彦

生年月日:1941年12月28日

死没:2020年8月10日

身長:180cm

出身地:島根県安来市、兵庫県淡路市

最終学歴:青山学院大学経済学部

最終所属事務所:石原プロモーション

渡哲也の兄弟は渡瀬恒彦。他の兄弟は?

まず渡瀬さんの兄弟を見ていきます。

彼の弟・渡瀬恒彦さんは、多くのサスペンスや時代劇などに出演した名優です。

「十津川警部」シリーズや「おみやさん」シリーズは人気ドラマでしたね。

兄弟はCMの他、合計3作のドラマで共演しています。

最後の共演は2013年「十津川警部」シリーズの「消えたタンカー」。

渡瀬さんが刑事役、渡さんが犯人役として、兄弟対決を果たしました。

渡瀬さんは兄が現場入りする1時間前には待機し、自分の出番がないときも兄の演技を観察していたそうです。

心から兄を俳優として尊敬していたことがうかがえますね。

渡瀬さんは2015年、胆嚢がんで余命1年の宣告を受けました。

闘病が始まってからは、兄弟でお互いの家を行き来し、頻繁に交流していたそうです。

渡瀬さんは病を抱えながらも最後まで俳優活動を続け、2年後に72歳で他界。


渡さんは、「弟を亡くした喪失感は、言葉になりません」と悲痛な胸の内を吐露しています。

俳優として尊敬し合い、信頼し合っていた2人。

実は2人には元々、他にも兄弟がいました。

渡さんは4人兄弟の次男で、渡瀬さんは三男だったそうです。

しかし渡さんが6歳のときに長男が、12歳のときに四男が亡くなりました。

原因は戦後の物資不足による栄養失調だったようです。

渡さんは亡くなった2人の兄弟の分まで、全力で生き続けてきたのでしょう。

そして唯一の弟だった渡瀬さんをも失い、1人取り残されたのです。

今ではようやく兄弟4人そろって、幼少期の思い出話にふけっているかもしれませんね。

渡哲也の家族

渡さんは島根県安来市に生まれました。

父親は日立製作所の勤め人で、広島県や島根県の軍需工場を転々としていたそうです。

安来市に赴任していた時期、現地に暮らす女性と結婚。

結婚後、任地の日立呉工場を退職し、兵庫県淡路市の実家に戻って洋品店を開業しました。

渡さんの兄弟のうち、長男と四男は先述の通り早世します。

以降は三男の渡瀬さんと2人兄弟として暮らしたそうです。

実はプロテニスプレイヤーの錦織圭選手も、渡一族と親戚関係にあります。

錦織選手の曽祖父が、渡さんの祖母と兄妹だったそうです。

錦織方の親戚筋が石原プロへ、家系図と共に説明の手紙を送ったことで判明しました。

渡さんはテニスに詳しくなかったものの、日本テニス界の最高プレイヤーが親戚と知り驚愕。

弟の渡瀬さんに連絡すると、「俺も知らなかった」と驚いていたそうです。

名優一族とプロテニスプレイヤーの意外なつながりに、双方のファンたちも驚いたことでしょう。

渡さんは「わが家系も捨てたもんじゃないね」と語り、錦織選手に向けてエールを送りました。

偉大な遺伝子が入り混じる家系図のため、他にも意外な人とのつながりが今後発見されるかもしれませんね。

淡路島の実家について

渡さんの父親は、日立製作所を退職後、実家のある兵庫県淡路市で洋品店「渡瀬洋装」を開きました。

「渡瀬洋装」が渡兄弟の実家ということになりますね。

渡さんは島根県安来市に生まれ、淡路島に暮らし始めたのは小学校1年生の途中からでした。

ただ日活入社時、先輩の石原裕次郎さんが神戸市生まれだったため、「淡路島の方が、イメージがよさそう」と考えます。


裕次郎さんにあやかり、彼と同じ兵庫県出身と訴えれば、インパクトを残せると判断したのでしょう。

そのためデビュー後は、淡路島出身であることをセールスポイントにしてきたようです。

今でも石原プロの二大スターは、兵庫県の人々にとって、地元の誇りとなっているに違いありませんね。

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