嵐山光三郎の病気と現在(2023)。家族は妻と息子。国立市に在住

軽妙かつユーモラスな文体で知られる作家・エッセイストの嵐山光三郎(あらしやま こうざぶろう)さん。

ネット上では嵐山さんが病気という情報があるようですが、最近はどのように過ごしているのでしょう。

今回は嵐山さんの病気、現在(2023)の状況に迫ります。

また家族について、妻と息子の情報を見ていき、在住する国立市での活動を確認します。

嵐山光三郎のプロフィール

本名:祐乗坊英昭(ゆうじょうぼう ひであき)

生年月日:1942年1月10日

身長:不明

出身地:静岡県浜松市生まれ、東京都国立市育ち

最終学歴:國學院大學文学部国文科

嵐山光三郎に病気の噂

まず嵐山さんの病気について確認します。

調べたところ、嵐山さんはとくに大きな病気を抱えているわけではないようでした。


ただこれまで、ちょっとした病気をいくつか患い、治療を受けてきたそうです。

名文家として知られる嵐山さんには、自身の老いや病気すらも、ユーモアたっぷりのエッセイに仕上げる手腕があります。

2018年のエッセイ『老いてますます官能的』では、アルコール依存症の経験をつづりました。

また日本経済新聞への寄稿『愉快な老後』では、腱鞘炎や肩凝りを告白。

「60代の同窓会では、病気の話題が中心」と述べ、自虐とユーモアを交えながら、老いと病についてつづりました。

嵐山さんは究極的には、「老いや病も、存分に楽しむ生き方」を提唱しています。

世間体や見栄を捨てて、人生のあらゆることを面白がり、楽しみながら生きること。

嵐山さんは「老いの理想郷」を追い求めながら、独自の生き方を貫き続けているのでしょう。

嵐山光三郎の現在(2023)とライフワーク

2023年現在、嵐山さんは81歳です。

今でも「週刊朝日」でエッセイ『コンセント抜いたか』を連載しており、現役で活躍しています。

同連載は1997年から始まっており、嵐山さんにとっては24年間も続けるライフワークです。

連載開始当時は株価の大暴落により、日本は深刻な不況に見舞われた時代でした。

そんな中、嵐山さんはあえて「軽薄な文体を見せてやろう」と、ユーモラスなエッセイを楽しく執筆。

新型コロナウイルスによって再び混迷の時代を迎えた日本において、今でもクスリと笑えるエッセイを書き続けています。

80歳を目前にしながらも、「枯れてたまるか」と意気込む姿は力強く、頼もしいですね。

つい気分がふさぎがちになってしまう人は、軽いタッチの嵐山作品を読むことで、少しだけ明るい気持ちになれるかもしれません。

嵐山光三郎の家族

嵐山さんの家族は、いずれも一般人のため、詳細な情報がありません。

ただ両親については、2006年の著作『よろしく』につづられていました。

60歳前後の嵐山さん自身の実体験を土台に、80代の父を介護し、看取るまでをつづりました。

父親は認知症になり施設に入ったものの、症状が悪化し、介護もむなしく亡くなります。

また母親については、『おはよう! ヨシ子さん』や『ゆうゆうヨシ子さん-ローボ百歳の日々』につづりました。

母親を「ヨシ子さん」として登場させ、彼女が夫に先立たれてから、俳句を生きる糧にしながら過ごす日々を描出。

84歳にして句集『山茶花』を発表したヨシ子さんは、元々免疫力と気力に恵まれた女性のようです。

2021年には103歳になるようですが、嵐山さんは長生きの母からエネルギーをもらってきたのかもしれませんね。

妻と息子について

嵐山さんは1968年頃に結婚し、奥さんと金沢へ旅行したことがあるようです。

大雪が降った銀世界の金沢を旅しながら、高級料亭の料理ではなく、庶民的なおでん屋のおでんを楽しんだといいます。


嵐山さんは2008年に刊行した代表作『妻との修復』で、妻という存在を「超獣」と表現。

文豪たちの夫婦生活の失敗談を集め、妻とうまく付き合っていく重要性について述べました。

おそらく嵐山さん自身も妻を恐れているからこそ、妻との関係を常に模索し、作品に反映させてきたのでしょう。

奥さんはしっかり者のため、頭が上がらなかったのかもしれませんね。

ちなみにインターネットで嵐山さんの名前を検索すると、「息子」というキーワードが表示されます。

しかし息子に関してとくに情報はないため、そもそも子供がいないか、いるとしても一般人なのでしょう。

ちなみに嵐山さんは、昭和の文豪・檀一雄さんの息子である檀太郎さんと対談したことがあります。

対談が話題になったことで、嵐山さんと「息子」というキーワードがネット上で結びついた可能性も高そうですね。

嵐山光三郎は国立市在住

嵐山さんは静岡県浜松市生まれですが、8歳のとき東京都国立市に転居しました。

以降は2023年現在まで国立市に暮らしてきたそうです。

嵐山さんは愛着のある国立市で、句会や講演会を催し、地域の人々と触れ合ってきました。

国立市では多くの戸建て住宅がアパートになり、数年ごとに人が入れ替わるため、地域のつながりが希薄になってきているようです。


嵐山さんとしては、人と人とのつながりを維持し続けるため、積極的に人々との交流の場を設けたいのでしょう。

豊かな自然に恵まれ、都心にもアクセスしやすい国立市。

嵐山さんは人とのつながりを重視することで、より理想的な町づくりを目指し続けるのでしょう。

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