益川敏英の息子と家族について。英語が苦手&高校は名門。京大、京産大の元教授

「小林・益川理論」を提唱し、2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英(ますかわ としひで)さん。

ノーベル賞受賞に際して、「大して嬉しくない」とコメントし、「へそ曲がり対応」が話題になった物理学者ですね。

今回は一風変わった雰囲気のある益川さんの人柄に迫りましょう。

息子、家族情報を見ていき、英語が苦手という噂、出身高校を確認します。

併せて、教授を務めた京都大学と京都産業大学での活動を見ていきます。

益川敏英のプロフィール

本名:益川敏英

生年月日:1940年2月7日

身長:不明

出身地:愛知県名古屋市

最終学歴:名古屋大学大学院理学研究科博士課程

益川敏英の息子も研究者

まず益川さんの息子さんについてです。

ネット上の情報によると、彼の息子さんも研究者とのこと。

詳細は不明ですが、同じ理系分野の研究者になった可能性が高いです。

ノーベル賞受賞の際、益川さんは息子さんに電話をかけ、「ごめんな」と伝えました。

息子さんは同じ道を志す以上、「ノーベル賞受賞者の息子」として、父親と比較され続けなければならないためです。

しかし電話を受けた彼は、「俺は俺。そう思って生きていくしかない」と割り切ってくれたといいます。

彼は偉大な父親のDNAを武器にしつつも、たゆまぬ努力を続け、きっと一流の研究者として活躍しているのでしょう。

益川敏英の家族

益川さんの家族について、息子さん以外の情報を確認します。

彼の奥さんは、明子さんという女性です。

益川さんが名古屋大学の大学院生時代に、彼女は大学職員として勤めていました。

彼は博士論文を書いた際、明子さんにタイプ打ちを依頼したそうです。

英語で書かれた論文には、教授たちによる添削がたくさん入っていたため、時間をかけてタイプ打ちしたとのこと。

どうやら英語のスペルミスが多かったようですね。

論文提出に際してお世話になったということで、益川さんは彼女にアプローチしました。

「あなたは私と結婚するのが義務。論理的必然です」とプロポーズしたといいます。

へそ曲がりな益川さんらしい告白の仕方ですね。

明子さんは結婚後、へそ曲がりの彼を厳しくしつけながら、献身的に支えたようです。

益川さんはノーベル賞受賞時には記者会見で、「受賞は大して嬉しくない」とコメント。

理由については、「受賞の知らせ方が一方的だった。カチンときて、嬉しくないと言ってしまった」と語りました。

以来、彼はへそ曲がりな「変人」というイメージが定着。

明子さんは夫に対して、「そんなことは言うものではない」と指導したそうです。

傍から見ればへそ曲がりな学者ですが、妻に対しては頭が上がらないに違いありませんね。

益川敏英は英語が苦手?

益川さんは学生時代から英語が苦手だったようです。

名古屋大学の大学院入試では、数学と物理が満点だったにもかかわらず、英語は散々な結果でした。

第二外国語のドイツ語に至っては、白紙で提出したそうです。

理数分野は得意なものの、外国語はかなり苦手であることがうかがえますね。

何とか大学院に合格し研究者になったものの、英語で論文を執筆する際は、スペルミスを連発。

博士論文執筆の際は、他の院生に英訳を手伝ってもらったといいます。

1978年の国際会議における英語での発表では、院生に用意してもらった英文原稿を早口で音読しただけで降壇。

質疑応答の時間を設けずに発表を終えたため、周囲の研究者は唖然としたそうです。

2008年12月、ノーベル賞の授賞記念講演でも、益川さんは英語でのスピーチを拒否。

「I can’t speak English.(英語が話せません)」と前置きして、日本語で講演を行いました。


日本語でのノーベル賞受賞記念講演は異例だったそうです。

英語が苦手でも物おじしない益川さん。

もはや「英語が苦手」という事実は、伝説と化した印象がありますね。

出身高校は難関校

益川さんは名古屋市で屈指の進学校「名古屋市立向陽高校(こうようこうこう)」の出身です。

偏差値は70前後の難関校とされています。

同校は理数系科目に力を入れている学校として、2006年と2015年の2度、国から「スーパーサイエンスハイスクール」に指定されました。

益川さん以外にも、生物学者の竹市雅俊さんや数学者の日比孝之さんなど、理系分野の研究者を輩出しています。

2010年には敷地内に、益川さんのノーベル賞受賞を伝える記念碑が建立されました。

益川さんは「高校生クイズ」に出題者として出演するほど、若者との交流が好きなようです。

そのため彼の人柄と業績に魅了され、背中を追おうとする若者たちも多いはず。

向陽高校の生徒たちは、偉大な先輩を座標軸にして、勉学に励んでいるのでしょう。

ただし益川さんとは違い、専門分野だけでなく、英語も得意な人材になって欲しいですね。

京都大学と京都産業大学の元教授

益川さんは京都名誉市民に選ばれています。

1980年、京都大学の「基礎物理学研究所」の教授となった時期から、京都に暮らし始めました。

10年後には京都大学理学部の教授に就任し、その後同大の「基礎物理学研究所」の所長にも就任。

2003年には京都大学で名誉教授となりました。

同年から京都産業大学理学部でも教授を務めますが、2007年には名古屋大学で特別招聘教授となります。

それから数年間は、京都と名古屋を往き来する、ハードな日々を送ったそうです。

2009年には京都産業大学に教育機関「益川塾」を設置し、自ら塾頭に就任。

「益川塾」では博士課程の研究員と共に、研究活動やシンポジウムを行いました。

2019年、高齢となり体力が落ちたため京都産業大学を退職。

「益川塾」も廃止されます。


退職後益川さんには、名誉教授の称号が授与されました。

へそ曲がりでも、後進を深く思いやる優しさに満ちていた益川さん。

「益川塾」はなくなったものの、彼の母校や京都産業大学に通う若者たちは、益川さんの背中を追い続けることでしょう。

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