中村修二の現在(2023)。アメリカ国籍を取得。妻との離婚、再婚と家族。生い立ちの逸話

高輝度青色発光ダイオード(LED)の発明と実用化の功績により、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二(なかむら しゅうじ)さん。

赤崎勇さん、中村修二さんと共にノーベル賞に輝いてから2023年で9年が経ちます。

今回は中村さん、現在(2023)の活動を見ていきましょう。

併せてアメリカ国籍取得の詳細、妻、家族の情報と生い立ちを確認します。

中村修二のプロフィール

本名:中村修二

生年月日:1954年5月22日

身長:不明

出身地:愛媛県西宇和郡伊方町

最終学歴:徳島大学工学部大学院修士課程

中村修二、現在(2023)は照明装置を開発中

中村さん、現在(2023)の活動を見ていきましょう。

ノーベル賞受賞後、中村さんはレーザーによる、車の照明装置の開発を始めました。


車のライトをより明るくしようと考え、新装置を考案したのです。

中村さんが経営する「SLDレーザー」によると、新装置はLEDより10倍明るく、1キロ先の物を照らし出せるといいます。

同時に対向車の運転者が目をくらませないよう、ライトが多方向に動く仕組みを搭載。

まだ新装置は大衆市場に降りていないものの、より明るく安全な新装置の普及を目指し、開発を続けているそうです。

中村さんは新技術を住宅やスタジアムの照明にも供給しつつ、普及を目指していくとのこと。

新装置の実用化は先になりそうですが、中村さんはノーベル賞物理学者としての誇りと自信を胸に、開発を続けています。

プライベートでは、アメリカで出会った日本人の妻と共に暮らしているようです。

奥さんに支えてもらい、平穏な家庭を築けているからこそ、研究にも意欲を燃やし続けられるのでしょう。

中村さんは、公私共に充実した生活を送っている様子でしたね。

中村修二はアメリカ国籍を取得

中村さんは2005年頃、アメリカ国籍を取得し、日系アメリカ人となりました。

ノーベル賞受賞時には、彼をアメリカ人と日本人のいずれとして扱うかを巡り、議論が生じます。

自身としては日本国籍を捨てたつもりはなかったそうですが、二重国籍は違法のため、強制的に日本国籍は抹消されているはず。

そのため、日本のパスワードを没収されたこともあるといいます。

アメリカ国籍の取得によって、色々と不便な問題が生じてしまったようですね。

中村さんはアメリカ国籍取得の理由を、「研究費の調達のため」と語っています。

2000年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校材料物性工学科の教授となってからはアメリカを研究拠点としていました。

しかしアメリカの研究者は、自分で研究資金を調達する必要があったのです。

大方の研究費はアメリカ軍が支給しますが、機密事項を扱う組織である軍からお金をもらえるのは、アメリカ国民のみ。

結果的に中村さんは、アメリカで研究者として生き残るために、米国市民権を取得したそうです。

彼の国籍問題はときに議論の対象となってきましたが、彼にとっては研究を続けるために必要な手続きだったといえますね。

最初の妻とは離婚。今の家族は再婚相手と連れ子

中村さんは徳島大学大学院1年生のとき、学園祭のダンスパーティで交流した女性と学生結婚しました。

妻の名前は裕子さんで、結婚の翌年には長女を出産しています。

夫婦は結果的に、3女に恵まれたそうです。

中村さんは家族を養う必要があったため、修士課程修了後は地元の日亜化学工業へ就職しました。

「大都会に出たい」と意欲を見せていたものの、地元の徳島県に残ったのです。

理由は妻の裕子さんが、徳島県でも人気の保育園で、保母として働いていたため。

仕事の継続を望んでいた彼女のために、中村さんも地元で働くことを選んだのです。

彼は研究一筋ではなく、きちんと家族を思いやり、優先できる人だったことがうかがえますね。

しかし何らかの事情があったようで、夫婦は離婚してしまいます。

中村さんは離婚後、アメリカで出会った年下の日本人女性と再婚し、連れ子と一緒に暮らしてきたようです。

離婚の時期や経緯は不明ですが、彼がアメリカを研究拠点にしようと考えた辺りで、夫婦は疎遠になってしまったのかもしれません。


中村さんに対して、「研究生活を支えてくれた最初の奥さんを捨てた」という印象を抱く人もいるでしょう。

ただ離婚にどのような背景があったかは不明のため、おそらくやむを得ない事情だったのではないでしょうか。

裕子さんについては、別の家庭で幸せに暮らしていることを祈るしかなさそうですね。

中村修二の生い立ちまとめ

2014年に刊行された中村さんの著作『中村修二の反骨教育論』には、彼の知られざる生い立ちがつづられています。

愛媛県の伊方町に生まれた彼は、勉強よりも自然の中で遊ぶ方が好きで、やんちゃな子供だったようです。

本書によると、彼は暗記科目が苦手だったそうで、算数の九九を覚えるのが苦痛だったといいます。

にもかかわらず算数を好きになれたのは、小学校低学年のとき。

父から算数の宿題を教えてもらったことがきっかけでした。

父は電力会社に勤めていたため、博識な理系の人材だったのでしょう。

中村さんは暗記方法ではなく、理論を面白く教えてもらえたからこそ、算数の楽しさを知ることができたようです。

以降は順調に算数が得意になっていきました。

また英語は、母から教えてもらったおかげで得意になれたといいます。

子供にわかりやすく勉強を教えられる両親は、指導力のあるインテリだったことがうかがえますね。

徐々に勉強が得意になった中村さんは、幼少期の体験を踏まえ、家庭教育の重要性を訴えています。

アメリカで普及しているホームティーチングのように、親が家庭で子供の資質や個性を把握し、最適な教育を実施すべきと主張。


日本の子供たちも、暗記ばかりするのではなく、もう少しのびのびと勉強できる方が理想的かもしれませんね。

中村さんは幼少期の体験を語りながら、独自の教育論を展開し、日本の教育制度にメスを入れようと努めているのでしょう。

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