維新の動乱期をビジネスチャンスに変えて成功をおさめ、巨大企業グループ・三菱の基礎を作り上げた岩崎弥太郎(いわさきやたろう)。
まずは著名な子孫をご紹介しながら、子孫の2023年現在のようすをみていきます。
元衆議院議員の木内孝胤さんは弥太郎からみて何世代目にあたるのでしょう。
また妻をはじめ、子供や孫といった近しい世代にも注目します。
岩崎弥太郎のプロフィール
本名:岩崎弥太郎
生年月日:1835年1月9日(天保5年12月11日)
死没:1885年2月7日
身長:推定約174cm
出身地:土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮(現在の高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮)
岩崎弥太郎の子孫は華麗なる一族。現在は断絶の危機?
明治のベンチャーといっても過言ではない三菱を創業し、三菱財閥の初代総帥を務めた岩崎弥太郎。
弥太郎と、その弟で2代目総帥の弥之助の二つの家系は経済界の名門であり、まさに華麗なる一族。
今回は弥太郎の子孫にフォーカスします。
「三菱は国家なり」といわれたように、三菱は国家と密接に結びついていました。
弥太郎家は、弥太郎の娘婿のうち2人が内閣総理大臣に就任。
将来有望な若者に娘たちを嫁がせることで、政財界に強力なコネクションを広げていったのです。
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「#成功哲学」三か条
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・「牢獄」で会った人にも教えを請う
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まずは曽孫の世代の著名な子孫をご紹介しましょう。
喜勢夫人との間にもうけた長男の久弥家には、弥太郎家4代目当主の岩崎寛弥。
寛弥は三菱銀行取締役や、小岩井農牧の親会社である東山農事社長を歴任しました。
財閥家の当主として帝王学を教育された魅力的な人物だったそうです。
次女・磯路家にはフランス特命全権大使などを歴任した外交官の木内昭胤(きうちあきたね)。
また弥太郎の婚外子で三男にあたる康弥家には、熊本大学名誉教授で地質学・古生物学の権威である岩崎泰頴(いわさきやすひで)。
泰頴は三菱の創業者一族に生まれながらも、実業家ではなく地球科学者を志したことになりますね。
また児童文学作家の勝田紫津子(しょうだしづこ)も康弥家の一族です。
孫の孫の世代になると、さすがに現役で精力的に活躍中の方が多くなります。
久弥家の子孫で建築家の国広ジョージさん、また磯路家の子孫で元衆議院議員の木内孝胤(きうちたかたね)さんは、弥太郎の玄孫(やしゃご)にあたります。
日曜日に久しぶりに下町へ向かった。合羽橋を巡回してから浅草寺にお参りした。やはり、江戸の下町はいい。
— George Kunihiro・クニヒロジョージ (@George_KUNIHIRO) January 11, 2021
一方で、子孫の2023年現在については気がかりな報道もありました。
それは、前述した4代目当主・寛弥に跡取りがいないために弥太郎家が断絶の危機にあるというもの。
寛弥には実子がいなかったため分家筋から養子を迎えたのですが、のちに縁組を解消してしまい、本人もすでに他界。
ですが、弥太郎には多くの子供がおり、その子孫も続いているので、弥太郎の血統そのものが絶える可能性は低そうです。
元衆議院議員・木内孝胤は玄孫
岩崎弥太郎の玄孫ということで注目を集めている木内孝胤さん。
世代順にみていくと、弥太郎の次女・磯路は木内重四郎夫人です。
木内重四郎は戦前の政治家で、京都府知事を務めた人物。
夫妻の長男・良胤と、良胤の長男・昭胤は外交官でした。
昭胤が孝胤さんの父にあたります。
海外から帰国して成蹊中学校に編入した際、「この学校は、あなたの親戚の方が作ってくれたのよ」と教えられて、初めて岩崎家を意識したそうです。
成蹊学園設立時のスポンサーは三菱の4代目総帥、岩崎小弥太でした。
田村秀男先生と未来ネットの『日本再興』に出演させていただきました。
街ではワクチン接種について多くの不安が寄せられていました。
日本はワクチンに関して伝統的に慎重な姿勢が強い国でもあり大臣経験者が自分は受けないなどの報道に接するとたしかに動揺はしますね。
孝胤さんは慶応義塾大学を卒業後、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に12年間勤務。
2009年に民主党から初当選を果たしますが、2017年の衆院選では41175票を獲得するも惜敗。
大河ドラマ『龍馬伝』は第1回から欠かさず視聴したという孝胤さん。
最終回では、語り部役の弥太郎が目を見開いて横たわっているシーンが描かれましたが、この演出には驚いたよう。
あのような最期ではなく、功績がしのばれる場面を盛り込んでほしかったと述べています。
子孫なら当然の希望ですね。
岩崎弥太郎の妻・喜勢はどんな女性?
三菱財閥の祖を支えた妻の喜勢はどのような女性だったのでしょう。
結婚当初の暮らしぶりは貧しく、喜勢は当時の生活がすべての出発点だったことを忘れませんでした。
弥太郎との間には春路、久弥、磯路をもうけ、夫はもちろん、義父母にもよく仕えたそうです。
明治7年に東京府に移り住んだあとは、自邸内に雛鳳館を作り、弥太郎の婚外子も含めた子供たちの養育にあたりました。
1923年に死去するまで、弥太郎の舞台裏を力強く支え続けた女性です。
岩崎弥太郎の子供・孫にも著名人
多くの子供をもうけた弥太郎ですが、正妻との間に誕生した1男2女と養子の次男・豊弥以外は妾腹の子供たちでした。
長女・春路の夫はのちに内閣総理大臣となる加藤高明。
その次男で、弥太郎の孫にあたる加藤厚太郎は東明火災海上保険(現・日新火災海上保険)の取締役。
また弥太郎の長男・久弥は三菱の3代目総帥。
10歳で慶應義塾へ入学し、ペンジルバニア大学留学を経て、三菱を日本最強の企業グループへと導きました。
久弥の長男・彦弥太は三菱の5代目総帥、長女・沢田美喜はGIベビーの養護施設であるエリザベス・サンダースホームの創立者です。
弥太郎の次女・磯路の長男・良胤は外交官、次男・信胤は経済評論家でした。
婚外子で四女の雅子は、外務大臣・内閣総理大臣・衆議院議長を歴任した幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)夫人です。
世の中の転換期には新しいことをはじめる人物がたびたび現れますが、そうした時代の流れの後押しを受けて登場したのが岩崎弥太郎だったのかもしれませんね。
岩崎弥太郎、三菱創業者の家系図。坂本龍馬との接点。家紋、丸の内との関係
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