三菱財閥の創業者として名を残す岩崎弥太郎(いわさき やたろう)。
2010年の大河ドラマ『龍馬伝』で、香川照之さんが演じた弥太郎は、大変インパクトが強かったですね。
ドラマ内では強欲な印象が強かった弥太郎ですが、実際の性格に迫ってみましょう。
また同じ実業家である渋沢栄一との違い、落書き事件、キリンビールとの関係、死因について順に見ていきます。
岩崎弥太郎のプロフィール
本名:岩崎弥太郎
生年月日:1835年1月9日(天保5年12月11日)
死没:1885年2月7日
身長:推定約174cm
出身地:土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮(現在の高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮)
岩崎弥太郎の性格。算術が得意で好奇心が強い人物
まず弥太郎の性格を確認しましょう。
弥太郎は『龍馬伝』で描かれたように強欲な人物だったのでしょうか。
彼は算術が得意な理系であると同時に、人一倍好奇心の強い人物でした。
だからこそ自身の得になる出来事を鋭く察知して、正確な情報を収集する能力に長けていたのです。
台湾出兵と西南戦争の際には、輸送船や武器の調達を行い、軍事的利益を独占。
"無駄をなくすことは、口に出して言うのは簡単でも実行するのは難しい。これは昔も今も、人々の等しく悩みとするところである。
余分な人員を整理し、無駄な費用を省き、精魂を尽くして本社の基礎を固め、相手に負けないだけの体制を築いてこそ、初めてこちらの勝利が期待できる。(#岩崎弥太郎)" pic.twitter.com/7MoRnsVnT4
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莫大な利益を獲得した結果、三菱は海運業の頂点に上り詰めました。
弥太郎は時代の流れを的確に把握し、国に利益をもたらすことで、自身の富も手に入れてきたのです。
高い算術の能力と強い好奇心があったからこそ、彼は実業界のトップに成り得たのでしょう。
ただ常に利益のために行動した点で、彼に腹黒く強欲なイメージを抱く人も多いのかもしれませんね。
渋沢栄一との違い。真逆の生き方で犬猿の仲
弥太郎と同じく、実業家として名を馳せた渋沢栄一。
みずほ銀行や東京証券取引所の設立にかかわり、「日本資本主義の父」と呼ばれました。
大河ドラマ『青天を衝け』の主人公としても話題になりました。
偉大な実業家であり、大河ドラマでも描かれたという共通点により、弥太郎と渋沢を混同してしまう人もいるでしょう。
しかし2人は同じ実業家といっても、真逆の生き方を送りました。
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弥太郎はあくまで自分の利益を重視し、市場を独占しても構わないという考えの持ち主でした。
一方で渋沢は、すべての人々に資産がいきわたるような仕組みを整備するため努力した人物です。
弥太郎が渋沢を舟遊びに誘ったとき、2人の意見の違いが表面化します。
弥太郎は向島の柏屋から隅田川へ船を出し、網打ちに興じながら実業界について話を振りました。
会社の体制に話が及ぶと、2人の考え方の違いが顕在化。
公益を追求する「合本主義」を説く渋沢に、弥太郎は個人の利益を追求する「専制主義」を貫くと主張します。
大激論の末、渋沢は芸者衆を連れ、引き揚げてしまいました。
2人はその後、犬猿の仲となったのです。
渋沢は弥太郎の三菱財閥が、海運業界の利益を独占している状況に危機感を抱いていました。
そこで1882年(明治15年)、三井財閥を中心とした「共同運輸会社」を創立。
海運業界を牛耳る三菱財閥に対抗したのです。
両者は激しく競争し、共倒れ寸前に陥ったところで「日本郵政」として合併しました。
弥太郎と渋沢の戦いは引き分けに終わったのです。
合併は弥太郎の死後の出来事でした。
もし彼が、渋沢によって自社が苦しめられた末に合併したことを知れば、地団太を踏んで悔しがったかもしれませんね。
岩崎弥太郎の落書き事件
『龍馬伝』でも描かれましたが、かつて弥太郎は、安芸郡奉行所の門柱に落書きしたことがあります。
発端は父の岩崎弥次郎が、庄屋とのトラブルで奉行所に逮捕されたこと。
弥太郎は奉行所へ父の冤罪を訴えに赴きましたが、すでに庄屋が奉行所に手を回していました。
憤慨した彼は、庄屋と奉行所の癒着を指摘した文言を、奉行所の門柱に落書きしたのです。
落書きの内容は、「官以賄賂成 獄因愛憎決」。
「官は賄賂を以って成し、獄は愛憎に因って決す」、つまり「奉行所は金で判決を下す」という意味です。
官以賄賂成 獄因愛憎決 前回、岩崎弥太郎が土佐で奉行所の扉に書いた落書き。今でも通用するよな...。
— 水の なおみ (@CuteCleverCat) February 28, 2010
結果的に弥太郎は、父と共に自身も逮捕されてしまいました。
のちに権力を握った弥太郎ですが、若き日は権力者に対抗するため、必死に行動していたことがうかがえますね。
キリンビールの前身に出資
さまざまな事業を展開した弥太郎ですが、ビール業界にも大きくかかわっていました。
彼は貿易商人・グラバーが設立したビール会社「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」に出資。
この会社は「キリンビール」の前身のため、キリンビールは弥太郎の資金のおかげで設立されたといえますね。
グラバーは坂本龍馬に武器を供給した人物として有名です。
明治維新後、グラバーは龍馬の友人だった弥太郎と取引し、出資を求めたのです。
ちなみにキリンビールのロゴとなっている「麒麟」は、頭が「龍」で脚が「馬」。
もしかすると、弥太郎とグラバーを結びつけた龍馬を、ロゴで表しているのかもしれません。
夏だ!ビールだ!
というわけで、
キリンビールのロゴに
まつわる都市伝説。1888年に荘田平五郎の発案で
ロゴが麒麟に決まり、
翌年、トーマス・グラバーの提案で
現在のロゴの原型になったとか。坂本龍馬と親交が深かったグラバー。
顔が「龍」で体が「馬」のキリン。あとは想像にお任せします pic.twitter.com/PVir3tLdjk
— 山本半兵衛 (@HanbeiYamamoto) August 20, 2019
現代でもおなじみのビールから、弥太郎と龍馬、グラバーたちのきずなが感じられるロマンチックなエピソードですね。
岩崎弥太郎の死因は胃がん
弥太郎は1885年(明治18年)、胃がんにより満50歳で世を去りました。
三菱財閥の創業者として、成し遂げた偉業の大きさからすると、意外なほど若く感じられる年齢ですね。
太く短い人生の中で、海運業界やビール業界にも多大な影響を与えた弥太郎。
腹黒さが好きになれない人もいるかもしれませんが、彼の人生そのものが大河小説のように劇的です。
彼の生涯をひも解いて、周辺人物との関係に思いを馳せるのも、面白く有意義な時間になるかもしれません。
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