大平正芳の死因は心不全。自宅は世田谷、記念館は観音寺。記念賞と葬儀について

外相として日中国交回復に貢献したのち、内閣総理大臣として活動した大平正芳(おおひら まさよし)さん。

独特な「あーうー」という前置きでおなじみの首相でしたが、在職中に急逝してしまいました。

今回は大平さんが、死因である心不全を発症した経緯を見ていきます。

併せて東京都世田谷区の自宅、香川県観音寺市の記念館、および記念賞と葬儀の詳細も確認します。

大平正芳のプロフィール

本名:大平正芳

生年月日:1910年3月12日

死没:1980年6月12日

身長:165cm

出身地:香川県観音寺市

最終学歴:東京商科大学(現在の一橋大学)

大平正芳の死因は心不全

まず大平さんが、死因となる心不全を発症した経緯を確認します。

彼は1978年12月に首相となって以来、四十日抗争をはじめ自民党内の派閥闘争に見舞われました。


野党側は1980年、分裂状態にあった自民党に対し、内閣不信任案を提出します。

自民党の非主流派は採決に欠席したため、不信任案はあっさり可決され、大平内閣は解散。

いわゆる「ハプニング解散」ですが、その後大平さんは、総選挙を参議院選挙に合わせて行うことを計画。

6月22日に、戦後初の衆参同日選挙が行われることになります。

参院選の公示日である5月30日、同日選挙で政局を乗り切ろうとした大平さんは、早速新宿で街頭演説を行いました。

昼休憩を挟み、午後は神奈川県横浜市内の4か所で街頭演説を実施します。

しかし夜に帰宅すると、倦怠感を訴えました。


主治医の指示により、翌日は虎の門病院へ緊急入院します。

70歳の高齢にもかかわらず、ほとんど休みを取れないまま外遊を続けた結果、身体に負担がかかっていたのです。

一時的に体調は回復しますが、6月12日に容体が急変。

入院先で家族に見守られる中、心筋梗塞による心不全で、70年の生涯を閉じました。

選挙期間中の急逝でしたが、盟友の伊東正義官房長官が首相臨時代理を務め、自民党は選挙で圧勝したのです。

まさにリーダーのための「弔い合戦」だったといえますね。

度重なる心労により、志半ばで亡くなった大平さん。

彼の志を継いだ人々と、彼らの努力を評価した国民の意思が、自民党を勝利に導いたのでしょう。

大平正芳の自宅は世田谷の瀬田

大平さんの自宅は東京都世田谷区瀬田にありましたが、現在(2023)は解体されています。

瀬田は渋谷区からもアクセスが便利な土地で、高台と幅の広い道路に恵まれた高級住宅街です。

とりわけ広い770坪の土地に、大平さんの邸宅がありました。

広大な敷地を持つ大平邸でしたが、下品な雰囲気ではなく、瀟洒な平屋建てだったそうです。

多くの樹木が敷地内を囲っていたため、解体の際は周辺住民に対して植栽が行われました。

解体後は、何と卑弥呼の時代から存在する瀬田遺跡が出土。

瀬田は単なる高級住宅街ではなく、歴史ロマンを感じさせる土地といえますね。

故郷の香川県観音寺にある大平正芳記念館

大平さんの故郷は香川県観音寺市です。

JR観音寺駅から2キロの場所に、「大平正芳記念館」があります。

記念館があるのは、世界中のコインを鑑賞できる「世界のコイン館」と同じ建物内の2階です。

1度は閉館したものの、地域の人々が再開を望んだため、公営の新記念館としてオープンしました。

大平さんが外交時に使用したパスポート、外国要人から受け取ったポートレート、総理大臣任命状など重要資料が展示されています。

なかなか見つけにくい場所にあるようですが、大平さんの息吹を感じられる非常に貴重な記念館です。

一度は訪問する価値がある、歴史的スポットといえるでしょう。

大平正芳記念賞は学術賞


大平さんの死から5年後、志げ子夫人と次男の大平裕さんが中心となって拠出し、「大平正芳記念財団」が設立されました。

2012年以降は内閣府の所管となり、日本外交における重要な学術研究の奨励援助を行っています。

財団が、優れた学術系著作に対して授与するのが、「大平正芳記念賞」です。

これまで政治・文化・経済系の優れた論文を書いた研究者たちに、楯と副賞の100万円が贈られてきました。

大平さんは無類の読書家として知られ、戦後の政界において「指折りの知性派」とも呼ばれていました。

知性派だった彼の名を記念した賞は、今後の学術界を担う研究者にとって、大きな刺激になり続けるでしょう。

大平正芳の葬儀は合同葬

1980年7月9日、内閣と自民党による大平さんの合同葬が営まれました。

首相在職時の死亡だったため、国葬にすべきという意見もあったそうです。

しかし盟友だった伊東正義官房長官が、「控えめな葬儀の方が大平にふさわしい」と主張し、合同葬となりました。

国葬ではなかったものの、一般市民を含む約4,000人が列をなして参列し、大人物にふさわしい厳かな葬儀となりました。

遺骨は東京の多磨霊園および故郷香川の豊浜町墓地公園に埋葬されます。


無念の死を遂げた大平さんですが、だからこそ最期まで熱い志を抱き続けた、英雄的イメージも強くなったのでしょう。

歴史的に見れば、仲間や国民に慕われた点で、比較的魅力に満ちた首相だったといえるかもしれませんね。

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