大平正芳のあーうー演説が深い。消費税の提唱と評価。心温まる逸話と名言

大平 正芳(おおひら まさよし)さんは代名詞の「あーうー」で幅広く知られています。

これは単に口下手だった訳ではなく、政治家としての思慮深い性格を表すものでした。

今回は大平さんの口癖や評価、心優しい政治姿勢にまつわる逸話を見て行きましょう。

大平正芳のプロフィール

本名:大平 正芳 (おおひら まさよし)

出身地:香川県三豊郡和田村 (現:観音寺市)

生年月日:1910年3月12日

没年月日:1980年6月12日 (70歳没)

主な役職:内閣総理大臣(第68・69代) / 外務大臣 (第92・93、100・101代)

大平正芳の「あーうー」演説は慎重な性格の表れだった

まずは大平正芳さんの口癖でもあった「あーうー」について見て行きます。

多くの政治家は口癖や訛りを矯正して弁舌さわやかに語り掛けますが、大平さんは国会答弁や演説の中で「あーうー」と前置きの言葉を入れることが多々ありました。


不要な言葉が多いと演説の主旨がボヤけるので直した方が良いと言われているものの、大平さんによれば不要どころか思慮に思慮を重ねた末での言葉だったと明かしています。

大平さんの言いたいことを簡単に表現すると、責任ある立場の者は自分の発言の重さ十分に考えてから口に出すべきである、という慎重な性格を表したものだったのです。

口の重さから鈍牛(どんぎゅう)という異名で呼ばれることもありましたが、思いついたことをポンポン口に出す令和時代の政治家に比べれば遥かに信用できるでしょう。

また、上記の動画を見ても分かる通り講演会などでは非常に早口であり、国民生活や政局に影響しない場面で代名詞の「あーうー」が出ることは無かったそうです。

もっとも、自分の名前以上に「あーうー」が浸透したことから”演説のつかみ”として意図的に使用することもありましたが、基本的には普通の人と変わらない口調でした。

田中角栄さんの「まーそのー」や小泉純一郎さんのワンフレーズ演説でも分かる通り、聴衆を惹きつけるには政策だけでなくインパクトが求められていると言えるでしょう。

その点からすると、大平さんの「あーうー」は一石二鳥と言える名フレーズだったのです。

消費税導入論で党内対立が激化

次は大平正芳さんと消費税導入について見て行きましょう。

2021年現在では10%になってしまった消費税ですが、最初に導入を主張したのは大平さんでした。

大平さんは元々、大蔵省(現:財務省)出身だったこともあって経済には大変詳しく、赤字国債の増発で国家財政が悪化していたことを懸念して消費税の導入を提唱しています。

1979年10月7日投開票の総選挙(第35回 衆議院議員総選挙)では有権者や候補者の反発もあって主張を引っ込めましたが、結果的に議席数を減らして過半数を割り込みました。

選挙後に保守系無所属を取り込むことで政権を維持することはできたものの、党内の非主流派からは大平さんに敗北の責任を問う声が多く上がって党内の対立がより一層激化。

ただし、敗北とは言っても自民党の得票率は前回選挙よりも「2.81%」増加しているので、一概に大平さんの消費税導入発言によって負けたとまでは言えないかもしれません。

第2次大平内閣が発足するまでの「四十日抗争」によって党内対立は泥沼化し、1980年5月16日に社会党が提出した内閣不信任案に非主流派が賛成して政権は崩壊しました。


政治家であれば逆風となる増税論を隠して戦うのが当たり前ですが、あえて国家財政のために自らが泥を被ったのは責任感の強さの表れと見ることもできるでしょう。

ちなみに、内閣不信任案の可決による選挙中に大平さんは亡くなりましたが、死をも「弔い合戦」の旗に変えて選挙に勝った自民党の”したたかさ”には脱帽するばかりです。

大平正芳の評価や心温まる逸話(名言)について

最後に大平正芳さんの評価や逸話について見ておきます。

選挙中に亡くなった当時の大平さんは人望があって知性のある慎重派と評価はあったものの、自民党総裁や総理大臣としての功績は目立ったものがありませんでした。

そんな中、大平さんが大切にしていた「楕円の哲学」(中心が1つの「円」ではなく、2つある「楕円」を引用して物事のバランスを見る主張)が近年になって評価を高めています。

いわゆる「右か左か」や「0か100」という極論で戦うのではなく、意見が違うもの同士による対話や議論、上と下など対極の視点を採り入れる寛容さを表す考え方でした。

令和に入ってからの日本社会は政治家に限らず「楕円の哲学」が欠けており、世の中の寛容性が失われつつあるのはネット社会の功罪として切り捨てるのは余りに虚しい結論です。

また、大平さんが「政治とは?」と聞かれた際に「明日枯れる花にも水をやることだ」と残していますが、この「枯れる花」を社会的弱者に置き換えると分かりやすいかもしれません。


老い先が短かったり生活環境が厳しく将来の見込みが薄くても手厚く面倒を見ることが政治家としての本分であり、合理性や経済性ばかりを優先すべきではないということです。

コロナ禍で生活に困っている人が増えている現代の日本において、大平さんの「枯れる花にも水をやる」姿勢や「楕円の哲学」が再評価されるのは当然のことかもしれませんね。

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