大平 正芳(おおひら まさよし)さんは内閣総理大臣として日本の政治に大きく貢献しました。
父親としても大平家の発展に寄与しており、政界やメディア業界との繋がりを深めています。
今回は大平さんの妻や息子、娘や孫といった家族について調査をして行くことにしましょう。
大平正芳のプロフィール
本名:大平 正芳 (おおひら まさよし)
出身地:香川県三豊郡和田村 (現・観音寺市)
生年月日:1910年3月12日
没年月日:1980年6月12日
最終学歴:東京商科大学 (現・一橋大学)
主な役職:内閣総理大臣 (68~69代) / 自由民主党総裁 (第9代)
大平正芳の家系図について
まず最初に大平正芳さんの家系図について簡単に見ておきましょう。
正芳さんは農業や村議会議員として働いていた利吉さん、その妻サクさんの三男として誕生。
1937年4月15日に三木証券の創業者・鈴木三樹之助さんの二女・志げ子さんとお見合い結婚し、息子の正樹さん、裕(ひろし)さん、明(あきら)さんと長女の芳子さんをもうけています。
次男の明さんは大正製薬名誉会長まで務めた上原昭二さんの二女・吉子さんと結婚。
なお、上原家の一族は経済人だけでなく参議院議員や埼玉県知事を務めた土屋義彦さん、その次女で2023年現在も衆議院議員を務めている土屋品子さんなどがいらっしゃいます。
長女の芳子さんは大蔵省(現・財務省)の官僚だった森田一(はじめ)さんと結婚しましたが、森田さんは正芳さんの急死により衆議院選挙に後継候補として立候補して当選しました。
芳子さんと森田さんの間には満子さんという娘さんが誕生しており、日本テレビに入社して「キューピー3分クッキング」などを製作し、のちに同僚の渡辺弘さんと結婚しています。
著名な一族は以上ですが、息子や孫などについては次の項目から個別に取り上げて行きます。
大平正芳の孫はテレビマンや大平財団の理事?
次は大平正芳さんの孫たちについて見ていきます。
正芳さんには確認できているだけで4人の孫がいらっしゃいますが、表舞台で活動をしているのは芳子さんの娘である満子(みつこ)さんと、裕さんの息子・知範(とものり)さん。
満子さんは日本テレビに入社して数多くの番組を手掛け、退社後はメディアプロデューサーや国会議員の玉木雄一郎さんをサポートしていたことでも知られていました。
ちなみに、満子さんと玉木さんが知り合ったきっかけは母親の芳子さんの紹介でしたが、そもそもの縁は大平家と玉木家が遠い縁戚関係だったことだそうです。
そう言えば両家は同じ香川県出身なので親戚だったとしても不思議では無いでしょうね。
もう一方の注目株である知範さんは「公益財団法人 大平正芳記念財団」の代表理事(理事長)に就任しており、一族の中で最も政治的な活動をしていると言えます。
知範さんに関する情報は多く公開されていないので”1960年生まれ”以外の経歴は不明ですが、財団を切り盛りして政治的な発信もしているので優れた人物なのは間違いないでしょう。
もしかすると選挙に出る可能性もありますので、今後の動向には注目しておきたいですね。
大平正芳の長男は早くに病死。二男と三男は実業家へ
ここでは大平正芳さんの息子さんたちについて見ていきましょう。
長男の正樹さんは1938年に誕生し、15歳の時に初めての選挙戦に挑む父へ応援演説を書いて注目を集めるなど早くから後継者として期待を集めていました。
慶應大学法学部を卒業して神崎製紙に就職したものの、姉・芳子の夫で父の秘書を務めていた森田一さんの勧めもあって視野を広げるための世界旅行に出発。
しかし、旅先のオーストリア・ウィーンで突如として歩行困難になる症状に襲われ、帰国後は眼底出血などで失明状態になり、そのまま回復することなく26歳の若さで亡くなりました。
後に「ベーチェット病」という難病だったことが分かったそうですが、この病気は今もなお「指定難病56」として残っている厄介な病気だったのです。
正芳さんは亡くなる間際に正樹さんと「総理大臣になる」という約束を交わしたらしく、14年後に自民党総裁へ就任することが決まった際に墓を訪れて報告をしたと言われています。
一方、次男の裕さんは慶應義塾大学法学部を経て「古河電気工業」に入社し、2001年後に退社後は大平正芳記念財団の理事や日本の古代史研究家として活動中。
三男の明さんは妻の実家である「大正製薬」に役員として迎え入れられ、2023年現在は同社の取締役相談役や全日本広告連盟の理事長に就任していました。
弟たちは実業家として成功をして名を遺していますが、早くに亡くなった兄・正樹さんが存命であったとしたら偉大な政治家になっていたかもしれませんね。
大平正芳の妻と娘は驚くほど見事な「政治家の妻」だった
最後に大平正芳さんの妻と娘にまつわるエピソードを見ておきます。
妻の志げ子さんとの間には芳子さんという娘さんがいらっしゃいますが、奇しくも母子は”政治家の妻”という難しい役割を担うことになりました。
もっとも、芳子さんの夫である森田一さんは亡くなった正芳さんの後継候補として当選しているので、母子が同時に政治家の妻をしていた訳ではありません。
芳子さんはどれだけ早起きをしても母が化粧や衣服を整えていたことを思い出し、同じ立場になって初めて「政治家の妻」という役を常に演じていたのだと驚いていました。
実際に志げ子さんは正芳さんが倒れた時も妻の役を見事に演じ、動揺する芳子さんに対して「覚悟はしておきなさい」とハッキリ言うなど気丈に振る舞っていたそうです。
また、正芳さんが亡くなった時も涙ひとつ見せずに弔問客をもてなすなど、最後の最後まで強く凛とした”大平正芳の妻”を演じ切って評判を上げました。
いつも冷静で夫のことを気遣っていた献身ぶりは正芳さんも頼りにしていたらしく、家に帰った時の第一声は常に「おかあさんは?」だったそうです。
幸か不幸か芳子さんの夫は政治家として注目されることはありませんでしたが、政治家の妻や「大平総理の娘」という看板を背負い続けたことは間違いありません。
正芳さんは見合いの席でお茶を運んできた志げ子さんの手が震えていたのを見て好印象を持ち、知り合ってから結婚までが約1ヶ月という慎重派とは思えないスピード婚でした。
鈍牛も勝負の時は猛牛となる、そんな人でなければ一国の宰相は務まらないでしょうね。
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