後藤象二郎の子孫。野獣先輩に似てる?名門の家系図と家紋

土佐藩士として活躍し、明治維新後は参議・実業家となった後藤象二郎(ごとう しょうじろう)。

大政奉還に貢献した重要人物として、大河ドラマ『龍馬伝』をはじめ、数々の幕末ドラマに登場してきましたね。

実は彼の子孫は音楽界で活躍していました。

子孫の詳細と、ネット上で話題の「野獣先輩」に似ているという情報を見ていき、家系図と家紋を確認します。

後藤象二郎のプロフィール

幼名:後藤保弥太(ごとう やすやた)

生年月日:1838年4月13日(天保9年3月19日)

死没:1897年8月4日

身長:不明

出身地:土佐国高知城下片町(現在の高知県高知市)

最終学歴:開成所

後藤象二郎の子孫はYMOなどのプロデューサー・川添象郎

後藤象二郎の子孫は、ベテラン音楽プロデューサーの川添象郎さんです。

彼は象二郎のひ孫にあたり、「象郎」という名前は、曽祖父の名前が由来とのことです。

YMOや尾崎豊さん、荒井時代の松任谷由実さんなど、名だたるアーティストの活動を手がけてきました。

2008年には、担当した青山テルマさんの『そばにいるね』が、ダウンロードシングルとしてトップの売上を記録。

川添さんは見事ギネス認定されました。


父の紫郎は土佐藩士・川添家の養子となり、「川添浩史」と改名しています。

浩史は渡仏し、パリで写真家のロバート・キャパとも親交を深めた人物です。

帰国後は外国映画を輸入し、ミュージカルのプロデューサーとしても活躍。

イタリアンレストラン「キャンティ」の創業者としても知られ、実業家・象二郎の孫にふさわしい活躍を見せました。

川添さんは父と同じく、早くから海外を意識しており、19歳で渡米しています。

「後藤家は海外に向かう人が多い。語学が得意で、度胸もあるから」と語っています。

象二郎は明治の元勲でありながら、征韓論に敗れて板垣退助らと共に下野した人物です。

自身の思う通りに物事が進まなければ、別の道を模索するために役職さえ投げ出す、破天荒な生き方を貫きました。

川添さんもまた、良くも悪くも己の意志を貫いています。

海外で培ったプロデューススキルを活かして出世したかと思えば、覚せい剤所持などのトラブルを起こしました。

後藤家の人々はレールから外れた生き方を選び、才能と度胸を武器に、野望を実現してきたといえますね。

後藤象二郎は野獣先輩に似てる?

象二郎が「野獣先輩」なる人物に似ているという情報があります。

両者について検索する人が多いようですが、そもそも野獣先輩とは何者でしょうか。

野獣先輩は、ゲイビデオ『真夏の夜の淫夢』に登場する人物で、正式な役名は「田所浩二」です。

この野獣先輩を演じる俳優の顔が、後藤象二郎に似ているのだそうです。

両者の画像を確認しましたが、鋭い眼光ともの言いたげな目つきが、やや似ているかもしれませんね。

細かいパーツは似ていないようですが、顔の角度が同じであるため、直感的に「似てる」と感じた人が多いのでしょう。

野獣先輩はYouTubeやニコニコ動画をはじめ、動画配信サイトで人気を獲得しています。

一風変わった話し方が面白がられ、彼のMAD動画が多く投稿された結果、ネット上で高い知名度を誇るようになったそうです。

象二郎とは顔写真の角度と視線の向きが似ていただけで、とくに関係はありませんでしたね。

家系図には岩崎家や犬養家も

象二郎は土佐藩士・後藤正晴の長男でしたが、早くに父を失ったため、義理の叔父・吉田東洋に育てられます。

1858年(安政元年)、東洋の親戚で、馬廻りの寺田剛正の娘・磯子と結婚。

2男2女をもうけたのち、磯子は若くして亡くなります。

象二郎は芸者の雪子と再婚し、さらに2男4女をもうけました。

磯子との長男・貞馬は夭折したものの、次男の後藤猛太郎(ごとう たけたろう)が成長し、伯爵家を継承します。

多くの借金を抱えた結果、父から勘当されてしまいますが、さまざまな事業で功績を残しました。

銅山や馬車鉄道会社を運営したほか、「日本活動冩眞株式會社」を設立。

同社は大手映画会社「日活」であり、後藤家は映画界にも大きく貢献したのです。

先述した川添浩史は猛太郎の四男にあたります。


また磯子との長女・早苗は、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の弟・弥之助と結婚。

実業界の大物家系同士が結びついたのです。

また象二郎の孫・仲子の子孫は、犬養毅元首相の息子・犬養健と結婚。

2人の娘で、象二郎のひ孫である犬養道子さんは、『花々と星々と』で知られる作家となりました。

象二郎の家系図から、後藤家が財閥創業者や総理大臣ともつながりがある名家だとわかりましたね。

後藤象二郎の家紋は左藤三つ巴

後藤家の家紋は、「左藤三つ巴(ひだりふじみつどもえ)」です。

有名な軍師・黒田官兵衛も左藤巴の家紋を使用していました。

巴は弓を引く際、腕を防御するために使われた武器で、平安時代から文様として定着しました。

江戸時代には各地で巴紋を使用する家が登場しており、人気の家紋だったことがうかがえます。


象二郎の家紋は三つ巴を藤でかたどったおしゃれな紋です。

かっこよさとかわいらしさを兼ね備えているため、キーホルダーをはじめ、グッズを探してみるのもきっと楽しいでしょう。

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