宇江佐真理、息子はお笑い芸人?家族、夫は元大工。死去の原因は乳がん

ドラマ化された時代小説「髪結い伊三次捕物余話」シリーズの作者・宇江佐真理(うえざ まり)さん。

江戸の庶民を描いた作品を多く手がけ、『雷桜』や『神田堀八つ下がり』では直木賞候補になりましたね。

今回は宇江佐さんの知られざる家族情報を見ていきましょう。

息子がお笑い芸人という噂、家族、元大工の夫について確認したうえで、死去の詳細に迫ります。

宇江佐真理のプロフィール

本名:伊藤香

生年月日:1949年10月20日

死没:2015年11月7日

身長:不明

出身地:北海道函館市

最終学歴:函館大谷女子短期大学(現在の函館大谷短期大学)

宇江佐真理の息子。長男は既婚者、次男はお笑い芸人志望

著名な作家であると同時に、主婦として家族を支えてきた宇江佐さん。

2007年のエッセイ『ウエザ・リポート』では、家族の何気ない日常生活をつづっていました。


宇江佐さんには2人の息子がいて、いずれも大学を卒業した一般人のようです。

長男は、離婚歴のある7歳年上の女性と結婚しました。

宇江佐さんは息子の結婚に反対せず、あたたかく祝福していたようです。

一方次男は、お笑い芸人を目指していました。

もちろん食えない生活を送っていたため、宇江佐さんが仕送りを続けていたそうです。

己の意志を貫く息子たちに、深い愛情を注いでいたことがうかがえますね。

ただ次男について情報はないため、おそらくお笑い芸人の道は断念し、一般人として暮らしているのでしょう。

母に支えられながら夢を追い続けた日々の思い出を胸に、今は彼自身が家族を支えているのかもしれませんね。

ただもっとも恩返ししたかった母が亡くなってしまったのは、彼にとって大きな悲しみだったに違いありません。

宇江佐真理の家族。夫は元大工

エッセイ『ウエザ・リポート』によると宇江佐さんは、大工の夫と2人の息子たちの、4人家族でした。

2023年現在、夫の仁司さんは定年退職しているようですが、長きにわたって現役の大工として活躍していたのでしょう。

一家は函館にある築100年の古民家で、つましく暮らしていました。

宇江佐さんは台所の片隅で、必死に小説を書いていたそうです。

小説を書きながらも夕食を作る必要があったため、台所を執筆の定位置にしていたのでしょう。


汗だくになって仕事を終えた夫と、育ち盛りの息子たちのために、原稿料を稼ぎつつ家事もこなしていたのです。

宇江佐さんにとって、立派な家や車、高級な洋服や宝石は不要でした。

一主婦として、家族と共にささやかな生活を送ることができれば、それで十分だったのでしょう。

彼女の書く時代小説は、無名の人々の生活をつづったものばかりです。

学校で歴史が苦手だった彼女は、戦国武将や幕末の英雄などには興味がなかったのでしょう。

つましい生活を好む性分は、英雄不在の宇江佐作品に反映されているといえますね。

宇江佐真理は乳がんで死去

宇江佐さんは2014年1月、文春文庫版『心に吹く風』のあとがきで、乳がんであることを公表しました。

この時点でがんは全身に転移していたため、もはや助かる見込みがないことをわかっていたのでしょう。

あとがきが話題となった結果、翌年には「文藝春秋」誌上に闘病記を掲載しました。

それから10か月後の2015年11月7日、宇江佐さんは闘病もむなしく、函館市の病院で亡くなりました。

「髪結い伊三次捕物余話」シリーズの最新刊『竈河岸』が出てから、1週間しか経っていませんでした。

66歳での早すぎる死に、多くのファンたちはショックを受けたことでしょう。

宇江佐さん自身も、老後は自分の作品を読み返したいと望んでいたため、長生きできなかったのは無念だったはずです。

彼女に支えられてきた夫や息子たちは、きっと悲しみに暮れながらも、最期の瞬間まで彼女に寄り添ったに違いありません。

赤坂中央斎場で行われた葬儀では、夫の仁司さんが喪主を務めました。

長年支えてくれた妻に感謝の意を示すため、悲しみをこらえて葬儀を取り仕切ったのでしょう。


作家と主婦の二足の草鞋を履きながら、家族に惜しみない愛情を注いだ宇江佐さん。

仁司さんと息子たちは、今でも彼女に思いを馳せながら、ささやかな日々を過ごしているのでしょう。

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