吉田輝雄の現在(2023)。息子と妻、家族について。俳優の経歴まとめ

映画「地帯(ライン)」シリーズや「網走番外地」シリーズで活躍した吉田輝雄(よしだ てるお)さん。

新東宝の菅原文太さんや高宮敬二さんら、若手二枚目スター集団「ハンサムタワーズ」のメンバーに数えられました。

往年の二枚目スターである吉田さんは、現在どのように過ごしているのでしょうか。

また息子や妻など家族の情報を確認し、俳優の経歴をまとめます。

吉田輝雄のプロフィール

本名:吉田輝雄

生年月日:1936年3月23日

身長:不明

出身地:大阪府高槻市

最終学歴:立命館大学経済学部

吉田輝雄の現在

吉田さんは2023年現在87歳です。

地元の大阪府高槻市でクラブ「T&Y」を経営しつつ、たまに機会があれば芸能関係の仕事を引き受けてきました。

彼は全盛期の1960年代が過ぎると、徐々に脇役へ回るようになります。

映画全盛期が過ぎ、テレビに活動の場を移してからは、あまり活躍できなくなってしまったのでしょう。

「ハンサムタワー」というだけあり、華々しく活躍できる銀幕こそ、彼の居場所だったのかもしれません。

ただ最近はほとんどメディア出演していないものの、引退したわけでもないようです。


2002年には高宮敬二さんと共に、元「ハンサムタワーズ」として歌手デビューを果たしました。

ネット上には「ゴルファーに転身」したという噂もありましたが、同姓同名のゴルファーと間違えられただけです。

つまり吉田さんは今でも現役の芸能人ということになります。

2019年12月3日には、東京都杉並区の名画座「ラピュタ阿佐ヶ谷」で、「石井輝男 キング・オブ・カルトの猛襲」特集が組まれます。

数々の石井輝男作品に出演した吉田さんは、この日のトークショーに出演しました。

吉田ファンの主婦が書いたブログに、トークショーの様子が詳細につづられています。

ブログによると、吉田さんは80代とは思えないほどかっこよかったそうです。

今は大阪府高槻市に住んでいますが、はるばる東京までトークショーのためにやって来てくれたといいます。

当日の吉田さんは黒いスーツに赤いネクタイというおしゃれなコーデでファンを魅了したようですね。

トークショーの後はファンたちのために、交流や写真撮影を行ってくれました。

ブログをつづった女性はプレゼントを渡すため、事前に関係者へ連絡していたそうです。

そのため彼女は特別に、ラピュタ阿佐ヶ谷内にあるレストラン「山猫軒」で、吉田さんの隣の席で直接話ができました。

憧れのスターの隣に座り、直接話をするというシチュエーションは、想像しただけで興奮してしまいますね。

1時間かけて会場に来た彼女へ吉田さんは、「大変だったね」と声をかけたそうです。

自身は大阪からやって来たにもかかわらず、大変そうなそぶりは一切見せず、相手を気遣える紳士といえますね。

まさに「ハンサムタワー」にふさわしい、おしゃれ紳士です。

ぜひいつまでもスマートなまま、元気に過ごし続けて欲しいですね。

吉田輝雄の息子、妻、家族まとめ

80代になっても、相変わらずかっこいい吉田さん。

息子はいるのか、どんな奥さんと結婚したのかも気になりますよね。

調べてみたのですが、どうやら家族情報は非公表のようでした。

息子や妻がいるとしても一般人のため、情報が漏れないよう気を付けているのでしょう。

若い世代にもモテる吉田さんですから、きっとすてきな奥さんに恵まれた可能性が高いですね。

俳優の経歴。木下惠介監督に文字通り「愛される」

吉田さんは新東宝、松竹、東映の映画俳優として活躍しました。

営業マンとして働きながら、ファッションモデルのバイトをしていたところ、スカウトされて新東宝の映画俳優となります。

二枚目ではあったものの関西訛りがひどいため、劇団俳優座の講師から標準語のセリフを指導してもらいました。

「地帯(ライン)」シリーズに代表される石井輝男作品には、石井監督直々に指名されたため出演が決まったといいます。

新東宝で数々の石井作品に出演しましたが、監督からは「よしだぁ」と怒鳴られる日々を送ったそうです。

何度も辞めようと考えたものの、監督からのしごきに耐え、主演スターとして活躍。

新東宝が倒産した際は、石井監督は東映に移ったものの、吉田さんは松竹に移りました。

松竹は給料が良く、憧れの木下惠介作品にも出てみたかったためです。

石井監督に伝えたところ、やはりひどく怒られました。


石井監督は、かわいい教え子が自分ではなく別の監督がいる会社へ行ってしまったため、さぞショックを受けたことでしょう。

晴れて松竹に移籍した吉田さんですが、どうやら憧れの木下監督は、イケメン男性好きだったようです。

彼は監督の噂を聞いて怖くなったため、1か月半も引きこもってしまいました。

しかし木下作品に出なければ仕事がなくなってしまうため、覚悟を決め『今年の恋』(62年)へ出演します。

やはり木下監督は、二枚目の吉田さんを放ってはおきませんでした。

先述した2019年のトークショーで明かされたエピソードですが、休憩時に2人は手をつないで食堂に移動していたそうです。

吉田さんは俳優としても男性としても、監督から文字通り「愛された」といえますね。

結果的に彼は松竹を代表する名作映画に次々出演を果たします。

『今年の恋』と同年に、吉田喜重監督の『秋津温泉』、小津安二郎監督の『秋刀魚の味』などに出演。

翌年に出演した川端康成原作、中村登監督の『古都』は、米国アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされました。

松竹時代は映画史に残る名作へ出演し、岡田茉莉子さんや岩下志麻さん、倍賞千恵子さんらの相手役として活躍。

石井監督からも実力を認められたようで、1967年に東映へ移籍し、再び2人はタッグを組みます。

吉田さんは『徳川女系図』(68年)をはじめ「東映異常性愛路線」で主要人物を演じ、石井作品の常連となりました。

先述の通りテレビに活動の場を移してからは、あまり目立った活躍ができなくなってしまったようです。


しかし年齢を重ねてもなおキープし続けているスマートさで、今なお根強い人気を誇っています。

スター時代の面影を残す彼は、地元の人々からも愛されながら、平穏な余生を送っているのでしょう。

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