三原葉子の結婚と死因、晩年について。新東宝の映画女優、経歴まとめ

グラマーな魅力で知られた肉体派女優・三原葉子(みはら ようこ)さん。

晩年は消息不明とされていましたが、2013年7月に亡くなっていたことがわかりました。

三原さんの知られざる結婚、死因、晩年の詳細を確認しましょう。

また新東宝を代表する映画女優となるまでの経歴をまとめます。

三原葉子のプロフィール

本名:藤原正子

生年月日:1933年1月10日

死没:2013年7月

身長:162cm

出身地:岩手県盛岡市

最終学歴:盛岡市立盛岡第一高等女学校(現在の盛岡市立高等学校)

三原葉子は結婚していた?

1980年代以降は表舞台から遠ざかっていた三原さん。

結婚を機に引退したと考えるのが妥当かもしれませんが、彼女の結婚に関する情報は一切ありませんでした。

メディアに騒がれるのを避けるため、ひっそりと引退して結婚した可能性もありそうですね。


そのため夫がいるとすれば、華やかな仕事とは無縁の一般人だったのでしょう。

芸能人や実業家などではなく、堅実に働いてきたサラリーマンと結婚したのかもしれません。

一方で三原さんがハワイに移住し、ホテルを経営していたという情報もありました。

しかし情報を裏付ける根拠は見当たりません。

姿を消した芸能人については、どうしても根拠のない噂が飛び交うものです。

とくに三原さんのような大物スターともなると、何らかの形で派手に暮らしていると考える人も多いでしょう。

スター女優から海外の実業家に転身するというのは、大物の典型的な転職事例ですね。

つまり三原さんがハワイでホテル経営をしていたというのは、あくまで噂に過ぎないといえるでしょう。

ただ彼女は英語が得意だったそうです。

高倉健さんたちと香港ロケに行った際は、見事に英語でコミュニケーションを取っていたといいます。

彼女の高い英語力も海外移住説が生じた要因といえそうですね。

三原葉子の死因と晩年

三原さんは長らく消息不明でしたが、2013年7月に亡くなっていたことがわかり、ネット上で話題となりました。

ただ死因や亡くなった日時の詳細は明らかになっていません。

1970年代を最後に事実上引退していたためか、一般人として扱われて詳しい情報は公表されなかったのかもしれませんね。

亡くなったときは80歳だったため、肺炎やがんなど、重い病気が原因だった可能性もあるでしょう。

家族に見守られて最期を迎えたのかはわかりません。

いずれにせよ穏やかに旅立ったことを祈るしかなさそうですね。

亡くなる前年には岩手県盛岡市の実家が空き家になっていたため、売却前に現地を訪れ一泊していたそうです。

実家には甥と姪が同行していたそうですから、晩年も家族がいたことは確かです。

状況的に考えると三原さんに子供はおらず、甥や姪から定期的に面倒を見てもらっていた可能性が高そうですね。

新東宝を代表する映画女優。経歴まとめ

晩年の詳細が不明で、もはや忘れられた女優として扱われてきた三原さん。

しかし全盛期の彼女は、エロ・グロメインの娯楽路線で知られた映画会社「新東宝」のスター女優でした。

三原さんは1933年、岩手県盛岡市の毛皮商の娘として生まれました。

盛岡市立盛岡第一高等女学校(現在の盛岡市立高等学校)を卒業し、1951年に新東宝へ入社。


「第一期スターレット」として売り出し、翌年の『風雲七化け峠』で映画デビューを果たしました。

1957年に映画『肉体女優殺し 五人の犯罪者』で演じたストリッパー役で人気を獲得します。

圧倒的な肉体美で、見る者に強烈なインパクトを与えたのです。

1958年には『人喰海女』で映画初主演を果たしました。

清純派女優にはない豊かな肉体と官能的な魅力で、セクシーなスター女優としての地位を確立したのです。

『女王蜂と大学の竜』(60年)で共演した嵐寛寿郎さんは、人知れず悩んでいた彼女の姿を目撃していました。

彼女は自分の体形が、グラマーを超えて「デブ子になってしまった」と嘆いていたそうです。

そこで魅力的な体型をキープするため、サラダしか食べないように気を付け始めました。

彼女がトップスターの地位を手に入れたのは、人知れず努力を重ねた結果だったのですね。

こうしてエロ・グロ路線の新東宝を代表する女優となった三原さんですが、全盛期は長くは続きませんでした。

1961年10月に新東宝が倒産したのです。

しかし彼女はめげずにフリーランスとなり、東映映画をメインに活躍し続けます。

しかし映画『西陣心中』(77年)を最後に銀幕から遠ざかり、以降の消息は亡くなるまで不明でした。

年齢とともに肉体派としての魅力をキープするのが、難しくなっていたのかもしれません。

健康上の理由で表舞台を去ったという情報もありますが、何らかの勉強をしていた可能性も高そうです。

盛岡の同級生によると、高校卒業後すぐに女優となった彼女は、本当はもっと勉強をしたがっていたとのこと。


きっと思う存分映画界で活躍した分、残りの人生は勉強や資格取得に励んでいたのかもしれません。

そう考えれば、充実した晩年を過ごしていた可能性も高そうなため、やや希望が見出せますね。

きっと好きな勉強に取り組みながら、穏やかな晩年を送っていたのでしょう。

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