山下清の結婚せず子供なし、独身の生涯。子孫と家族。よめこは実在?

「裸の大将」「放浪の天才画家」などと呼ばれて親しまれ、貼り絵やペン画で個性的な作家性を発揮した山下清(やましたきよし)。

全国を放浪する自由人の清については映像作品でおなじみですが、実生活では結婚していたのでしょうか。

子供や子孫の有無を調べながら、家族についてみていきます。

テレビドラマで描かれた「よめこ」にも関心が寄せられているようです。

山下清のプロフィール

本名:山下清

生年月日:1922年3月10日

死没:1971年7月12日

身長:不明

出身地:東京都台東区日本堤

最終学歴:八幡学園

山下清は結婚せず子供なし、独身の生涯

大正期に生まれ、戦前から戦後の昭和の激動期を駆け抜けて、49歳という若さで生涯をとじた山下清。

本能の赴くままに各地を放浪し、見聞きした風物をおもに帰宅後に作品に残していました。


時代の流行や既存の技法にとらわれず、描きたいものを心のままに描いた作品群はブームを呼び、全国の百貨店で展覧会が開かれるまでに。

一般的にはテレビドラマで描かれたキャラクターのイメージが定着していますが、ベストセラー『裸の大将放浪記』の作者でもあり、ワイドショーのレギュラー出演者でもあり、雑誌対談で名言を残す文化人でもありました。

幼少時にかかった風邪で消化不良をおこしたことが原因で、軽い言語障害と知的障害が残ってしまった山下清。

結婚や子供について多くの関心が寄せられているのは、後述する「ヨメ子」の影響もあるでしょう。

しかし結婚に関する情報は一切なく、妻や子供の存在を非公開にする理由も特に考えられません。

また甥の山下浩さんの発言から、清が亡くなるまで浩さん一家と同居していたことや、清の妻または子供なる人物は山下家にいなかったことがわかっています。

これらのことから、生涯を通じて独身だったとみて間違いなさそうです。

山下清に子孫はいる?

「日本のゴッホ」の異名をもつ山下清ですが、子供がいないということは、そのDNAを受け継いだ直系の子孫もいないということになりますね。

もっと視野を広げて山下家の子孫をみてみると、実弟・辰造の長男に前述の山下浩さんがいます。

浩さんは1960年生まれで中央大学法学部を卒業。

大手通信会社勤務のかたわら山下清鑑定会を設立し、清の作品・著作権の管理や作品鑑定を行ってきました。

著書に『家族が語る山下清』、監修に『山下清作品集』などがあります。

世間の人々が知的障害者に対して抱く固定観念に障害者本人や家族が悩まされる、というパターンはよくあること。

清もご多分にもれず、メディアのステレオタイプの報道には不満をもらしていたそうです。

清と11年間生活をともにした浩さんは、日常生活において知的障害者だと感じることはほとんどなく、山下家の家族も清のことを障害者とは思っていなかったとのこと。

浩さんが著した『家族が語る山下清』には、知的障害者のイメージが先行しすぎていることや、そのイメージのもとに作品が評価されることへの嘆き、清の人並みはずれた記憶力、おしゃれで負けず嫌いな性格など家族が知る山下清の素顔がつづられています。

山下清の家族について

山下清は、東京市浅草区(現・東京都台東区)に大橋清治、ふじの長男として誕生しました。

少年期に父が脳出血で他界すると、母は再婚。

ところが母は3人の子供を連れて家を出てしまい、母子家庭のための社会福祉施設へ。

母の旧姓である山下を名乗るようになったのはこの頃です。

清を終生変わらぬ愛情で支えた母・ふじと弟の辰造、辰造の妻の礼子、そして辰造の息子である自分と茂が山下家の家族だったと山下浩さんは語っています。

山下清は3人きょうだいだったと思われますが、もう1人のきょうだいについては不明でした。

山下清に想いを寄せるよめこ、モデルはいたのか

これまで映画やテレビでおもしろおかしく描かれてきた裸の大将。


山下清といえばランニングに短パン、独特の口調がすっかり有名になりました。

テレビドラマは芦屋雁之助版と塚地武雅版が制作されていますが、注目を集めているのが両作に登場するよめこさん。

正式な役名は芦屋版では「米川ヨメ子」、塚地版では「米山ヨメ子」といい、それぞれ高見知佳さん、水川あさみさんが演じていました。

ヨメ子は清と同じ養護施設の卒業生で、清のお嫁さんになることを夢みて追いかけまわすのが共通のパターン。

芦屋版の『ヨメ子は天女になったので』の回では、清を追いかけて三保の松原にやってきたヨメ子が白血病に倒れ、息をひきとる展開に。

さんざん逃げていたくせに、ヨメ子の死を悲しむ清の姿に胸を打たれた視聴者は多かったのではないでしょうか。

ちなみに、同ドラマは山下清をモデルにして脚色されたフィクションであり、事実とは異なるオリジナルの設定がありました。

ヨメ子さんにモデルがいたかどうかは定かではありません。


大好きな花火のように、ひと時のきらめきを残してこの世を去った山下清。

郷愁を誘うような、どこか懐かしい作風は、これからも日本人の心をとらえて離さないことでしょう。

作品の保存に尽力する遺族の方々に感謝したいですね。

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