20世紀版画界の巨匠・棟方志功(むなかた しこう)。
鍛冶職人の家に生まれた彼は、世界的巨匠となるまで、どのような家族の中で育ったのでしょうか。
両親のほか妻、息子、孫について順番に見ていきます。
併せて弟子の版画家・渥美大童さんについてもご紹介します。
棟方志功のプロフィール
本名:棟方志功
生年月日:1903年9月5日
死没:1975年9月13日
身長:不明
出身地:青森県青森市
最終学歴:青森市立長島小学校
棟方志功の家族まとめ。父は鍛冶職人
棟方志功は、父で鍛冶職人の棟方幸吉、母さだの三男として青森県に生まれました。
地元は豪雪地帯だったため、囲炉裏の煤によって目を患い、極度の近視になったといいます。
小学校時代に田んぼの小川で転んだとき、目の前に咲いていた白い花「沢瀉(おもだか)」の美しさに魅了されました。
「この花の美しさを表現したい」と考え、表現者の道を志すのです。
小学校卒業後は兄と共に家業である鍛冶屋を手伝いましたが、間もなく廃業してしまいます。
母を亡くした17歳の年に、弁護士控所の給仕として就職。
仕事の合間を縫って写生に取り組みました。
翌年、雑誌『白樺』に掲載されていたゴッホの『ひまわり』を見て衝撃を受けます。
このとき「わだばゴッホになる」と叫んだ話は有名ですね。
1903年の今日は日本の版画家、棟方志功が生まれた日です。著書に自伝「わだばゴッホになる」があります。 #近眼 pic.twitter.com/qhlrSRhHWW
— 愛書家日誌 (@aishokyo) September 4, 2018
油絵に目覚めた彼は、21歳で上京。
近視というハンディキャップを抱えながらも、並々ならぬ絵への情熱に身を任せ、巨匠へとのし上がっていくのです。
棟方志功の妻はチヤ
天才画家である棟方を生涯支えたのが、妻のチヤでした。
もう一枚。
棟方志功で好きな写真がある。
奥様のチヤさんと。「棟方志功 いのちを彫る」より。
今日はこれで。
Thank You &
goodnight 🌛 pic.twitter.com/EAI5Molz7O— ツキコサーン (@tsukjiko) August 7, 2015
棟方は27歳のとき、地元の善知鳥神社で彼女と結婚します。
しかし生活は苦しく、妻を青森に残して1人東京へ戻ったのです。
彼は21歳で上京した際、「帝展に入選するまで、青森には帰らない」と宣言していました。
上京の翌年に父が他界しましたが、約束通り地元には戻りませんでした。
帝展には4年連続で落選したものの、ようやく25歳で初入選。
晴れて帰郷を果たし、両親の墓に報告したそうです。
しかしまだまだ絵だけでは食べていかれないため、妻を青森に残して、東京で仲間と共同生活を送りました。
チヤはひたすら夫に呼び寄せられる日を待ち続けます。
1932年に棟方は日本版画協会会員となり、版画作品を米仏の美術館に買ってもらうなど、版画家の道を進み始めました。
この時期にチヤはしびれを切らし、自ら上京します。
ようやく彼との生活をスタートさせ、2男2女をもうけました。
一心不乱に彫刻を握る棟方が集中できたのは、チヤが苦しい生活を支えてくれたためでした。
棟方が売れ始めて、結婚6年目にようやく安定した生活を送れるようになったといいます。
チヤは苦しい生活の中でも子供たちを育てながら、前向きに夫を応援し続けたのです。
息子は俳優の棟方巴里爾、濱田庄司の娘と結婚
棟方とチヤがもうけた2男2女は、いずれも芸術家の子供らしい、独特な名前の持ち主です。
長女は宇賀田けようさん、次女は小泉ちよえさん、長男は棟方巴里爾(むなかた ぱりじ)さん、次男は棟方令明さんでした。
とくに知られていたのが、1933年生まれの長男・巴里爾さんです。
芸術の都「巴里(パリ)」が付いた、大変おしゃれな名前ですね。
青山学院大学文学部を卒業後、名優・宇野重吉さんが創立した「劇団民藝」の団員となります。
『法隆寺』の武将役でデビューし、『赤ひげ』の森半平太、『アンネの日記』のデュッセルなどを演じました。
私生活では、陶芸家の濱田庄司の娘と結婚したそうです。
棟方板画美術館の館長も務めたのち、1998年に亡くなっています。
棟方志功さんのお墓へ
命日でもなんでもないけれど、わりに自宅から近いところにあるのでご挨拶に。
左が志功さん、チヤさんご夫妻のお墓。右はご長男の巴里爾さんのお墓。《静眠碑》(碑は玉偏に卑、の造字)。ゴッホの墓を模した墓石なのだそう。背後には《不盡の柵》のレリーフ。 pic.twitter.com/yyQr5Ky9jF
— nayoko (@chosungtal_trs) October 24, 2019
芸術家一族にふさわしい、独特な経歴の持ち主といえますね。
孫は石井頼子。棟方研究者で学芸員
棟方の孫は、彼の長女・けようさんの娘が有名です。
名前は石井頼子さんで、慶應義塾大学文学部を卒業後、祖父・棟方の研究者となります。
棟方板画美術館の学芸員として、2011年の閉館まで勤め上げました。
美術館閉館後も、『棟方志功の眼』といった書籍の出版に加え、展覧会の監修や講演活動に取り組んでいます。
昨日は石井頼子先生(棟方志功研究家)の講演会に150名近い方がお越し下さいました。力強く語られる先生のお話に会場全体が惹きこまれ、あっという間の90分でした。展覧会も終盤です。皆さまのお越しをお待ちしています。 pic.twitter.com/DymYjV9oDe
— 大谷大学博物館 (@OtaniUnivMuseum) November 24, 2019
青森県美。棟方志功流の実験茶会。
棟方氏が好んだ菓子、愛用の器、お茶の飲み方、縁の品を活かした設えと、石井頼子さんのゆるりとした極上のおもてなしで、とても寛げる、素敵なお茶会でした。 pic.twitter.com/Wb6l7l0MF5— harmony (@harmony_ontail) April 30, 2016
頼子さんによると、棟方が鼻歌を歌いながら創作する映像が残っているものの、これはパフォーマンスだったそうです。
実際の棟方は子供たちを気遣ってくれる優しいおじいちゃんで、しかも面白い人だったとのこと。
映像に映っている棟方も見るからに個性的な人物ですが、演出していない普段の彼の方がより面白い人だったようですね。
頼子さんは棟方の人間らしさを伝えられる、貴重な証言者といえるでしょう。
棟方志功の弟子は渥美大童
棟方は釈迦の10人の弟子を描いた『二菩薩釈迦十大弟子』で有名ですね。
府中市美術館「棟方志功展」棟方の彫りおこす男性はユーモアがあり、女性にはエロスを感じます。また彫り残した部分が味を出していて、より作品を引き立てていました。今回は大好きな〈二菩薩釈迦十大弟子〉が出品されていて、とても嬉しかったです。どのお姿もそれぞれに魅力があり、 pic.twitter.com/tF1yCo4VNR
— 気ままに美術展 (@bijyutu_daisuki) June 30, 2019
棟方自身にも弟子がいたのか調べたところ、書家の渥美大童さんが、彼に版画を習っていたことがわかりました。
大童さんは棟方に書道を教える代わりに、版画を教わっていたそうです。
純粋に版画を教わる弟子というよりは、お互いギブアンドテイクの精神で結び付いていたようですね。
大童さんの作品は埼玉県行田市にある浄土宗寺院「大長寺」の御朱印となっています。
個人的生誕祭記念御朱印②
大長寺 埼玉県行田市
棟方志功さんに版画を教わった行田市出身の渥美大童さんの押し印。この御朱印がずっと欲しくて欲しくて(੭ ›ω‹ )੭ pic.twitter.com/xfw853SkpR— ゴロ猫 (@tamachan91110) June 23, 2016
そのまま行田市の街中に向かい、#大長寺 へ。
街中に有るだけ有り、綺麗に整備されています😃。境内には、総高7.4mの「大長寺大仏」が鎮座しており、他に「六地蔵」や「閻魔像」、「塩地蔵尊」等も。#御朱印 の仏像版画は、棟方志功に師事した行田出身の書家「渥美大童」氏の手による物との事です。 pic.twitter.com/YF38ccibWv— かむかむ (@kazewatari) September 29, 2019
境内の大仏様やお地蔵様のほか、仏像版画の御朱印を目当てに訪れる人もいる観光地です。
ぜひ棟方の弟子が描いた御朱印を目指して、参拝してみてはいかがでしょうか。
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