『東京ラブストーリー』や『カルテット』など、数々の名作ドラマを手がけた脚本家の坂元裕二(さかもと ゆうじ)さん。
向田邦子賞や芸術選奨文部科学大臣賞などの受賞歴からも、優れた脚本家であることがうかがえますね。
刺さる名言がちりばめられた脚本には、ほかとは違う特徴があります。
坂元さんの脚本の魅力に迫りつつ、嫁、学歴と大学、生い立ちについてまとめました。
坂元裕二のプロフィール
本名:坂元裕二
生年月日:1967年5月12日
身長:不明
出身地:大阪府
最終学歴:奈良育英高等学校
坂元裕二の名言 脚本の特徴
坂本さんが書いた数々の脚本には、胸に刺さる名言がちりばめられています。
大ヒットドラマの1つである『最高の離婚』には、以下のような名言がありました。
「一番最初に思い出す人たち」
これこそが、「普通の家族」というものだという言葉です。
また『問題のあるレストラン』では、非常にまずい料理のことを「まずさの向こう側にある料理」と表現。
言葉自体はシンプルで、俳優さんの言い回しも非常に自然なのですが、印象的な表現ばかりです。
また大ヒット映画『花束みたいな恋をした』では、ヒロインの言葉が話題になりました。
「ちゃんと楽しく生きたいよ」
花束みたいな恋をした(2021)
心抉られてて感想がまとまらない。恋をする。生きる。はたらく。ちゃんと楽しく生きたいよ!って絹の言葉が残ってる。
2人の花束のようなくらしが、次第に色をうしなって狭くなってゆくところは、ヴィアンの日々の泡のようで辛かった。坂本裕二、、、、😂(良かった) pic.twitter.com/kiLNp1Y7xQ
— 𝗇𝗈𝗂𝗋⍤⃝ (@lalaaurora_) July 17, 2021
やはりストレートな言葉ですが、作品全体を観たうえで言葉の意味を考えると、胸に迫るのです。
まだ社会になじめない若者は、とやかく言わず無意識に社会の中へ染まっていくべき。
このような上の世代から押し付けられた考えを否定する、純粋でストレートなヒロインの言葉。
閉塞感漂う現代に生きる人々に、さりげなく人生の意味を問いかける点こそ、坂元作品の特徴といえます。
坂元さんは決して、観る人が元気100倍になるような脚本を書きません。
目指すところは、「マイナスにいる人がゼロになる。マイナス5がせめてマイナス3になる」脚本だそうです。
10元気な人が100元気になる為の作品は多分たくさんあるけど。やっぱりね、僕は、マイナスにいる人が、せめてゼロになる。マイナス5がマイナス3ぐらいになるとか、そこを目指しているから。#プロフェッショナル仕事の流儀 #坂元裕二 #カルテット
— TBSドラマ『カルテット』bot (@quartet_no_bot) May 27, 2021
生きづらさや貧困に苦しむ人々の心に、さりげなく寄り添ってくれる坂本作品は、今後もますます求められ続けるでしょう。
坂元裕二の嫁は森口瑤子
坂元さんは1998年に、女優の森口瑤子さんと結婚しました。
森口瑤子さん #いいと思ったらRT pic.twitter.com/UTYf9MuGhF
— いいの…?こんなおばさんで… (@sinagawasugina2) September 15, 2021
1996年に坂元さんは、テレビの世界に嫌気がさしたため、脚本家を休業。
ゲーム関連のシナリオや小説の執筆を試みましたが、長続きしませんでした。
森口さんと結婚したのは、この休業期間中です。
さらに長女も誕生したため、自宅で執筆しながら育児に励む主夫となりました。
女優業を続けていた森口さんを、休業中にしっかり支えてあげていたようですね。
その後は井上由美子さん脚本のドラマ『きらきらひかる』に感銘を受け、ドラマの世界へ戻ることを決意しました。
一流脚本家であっても、やはりブランクやスランプを経験することがあるのです。
ただ休業期間に大切な家族に恵まれたことを考えると、人生にとって必要な時間だったといえますね。
坂元裕二の学歴は高卒。大学へは進学せずフリーターに
坂元さんの最終学歴は、奈良育英高校です。
高校を卒業後は大学へ進学せず、フリーターとなりました。
アルバイトで働きながら、脚本家を目指して勉強していたそうです。
大学で戯曲論などを学ぶよりも、実践的なスキルを磨けたためか、わずか19歳でプロデビューを果たしています。
学歴と経歴を見るだけで、坂元さんのストイックさがうかがえますね。
坂元裕二の生い立ち。読書を始めたのは高校時代
坂元さんは1967年5月12日に3人兄弟の長男として生まれ、大阪府大阪市で育ちました。
両親は自動車整備工場を営んでいたそうですが、家業を継ぐつもりはなかったといいます。
小学生の頃から1人で映画館へ通うほどの映画好きで、映画に関わる仕事を目指すようになりました。
高校時代から読書を始め、中上健次のような小説家に憧れ始めます。
大人になってからも一時期小説家を目指したことがありますが、うまくいかなかったようです。
やはり小説よりも脚本の方が向いていたのでしょう。
高校卒業後はアルバイトをしながら、やはり映画の道へ進むため、本格的に脚本を学び始めました。
そして1987年、「第1回フジテレビヤングシナリオ大賞」を19歳の若さで受賞し、デビューを果たしました。
上京後はテレビ局でアシスタントをしながら、脚本の執筆を続けます。
1991年に『東京ラブストーリー』を大ヒットさせてからは、華々しい実績を積み上げてきました。
坂元さんは幼少期から一貫してストーリーテラーとしての才能を磨き続け、見事に開花させたのです。
今後も新たな名作を次々と生み出してくれるに違いありませんね。
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